気まぐれ流れ星二次小説

白衣の名探偵 -モロー邸の人狼-

ボツになったファーストコンタクト

いかにして、医学博士である俺がそんな非科学的な存在に出会ったのか。
それを説明するには、今年の春まで時間を遡る必要がある。

ニンテンドー大学からお誘いが来たとき、俺は二つ返事で引き受けた。

教授に昇格した後の初仕事がかのニンテンドー大学での研究だなんて、夢じゃないだろうか。
まぁ、この年まで頑張ってきた成果が認められたってことだろう。

そんなことを考えながら、その頃はまだ新品同然だった部屋で俺は荷物を整理していた。
窓側には丈夫な事務机。横一面は本棚になっていて、宅配を頼んでおいた学術書がずらりと収まっている。
廊下側には座り心地の良さそうなソファと、しゃれた木製のテーブル。

窓の外、雲ひとつ無い満月の夜空を見ながら、俺は後で研究室の素晴らしい設備を見てこようと思っていた。

そのときだった。あのベルの音が鳴ったのは。

その後の俺の運命を決める電話だとは知らず、俺はその内線を取る。

『もしもし。マリオ君かね』

聞こえてきた年配の男性の声。
電話越しに聞こえるその声は、十年前と全く変わらなかった。

「…ナナカマド博士ですか?」

その名を思い出すと同時に、俺の頭は一気に学生時代の記憶であふれかえった。

俺がシュルム大の学生だった頃、この年配の生物学博士にはずいぶんお世話になった。
しょっちゅう医学部棟を抜け出した俺を、博士は迷惑がらずに研究室に入れてくれた。
暇つぶしってのもあったんだが、俺は生物学に興味があったんだ。

俺は研究手段としての実験動物に、博士は生命の神秘を体現した存在としての動物に興味を持っていた。
厳しい博士だったが、生命倫理について色々と教わったことは今も教養として役立っている。

そうか、そういえば博士も数年前にこの大学に抜擢されていたんだな。

『マリオ君。今君の部屋には誰もいないかね?』

博士の緊迫した声で、俺は現実に引き戻された。

「え? いませんけど…どうして―」

尋ねかけた俺を、博士は遮って続ける。

『君に、預かってもらいたいものがいる』

"ものが、いる"?

複雑で困難な生命倫理の話でさえ、滅多にごまかしたり曖昧な物言いをしなかったナナカマド博士が、
珍しく言いにくそうにして、そう言ったのだ。

間もなく、ナナカマド博士が人目を忍んでこっそりと俺の部屋に来た。
白髪が増えた以外、博士に変わったところはなかった。
それどころか、その立派なあごひげも眉毛も昔のまま、黒い眼差しは年月を経てますます鋭くなったように見える。

博士の後ろにもう1人、誰かがいる。
俺は背伸びしてそいつの顔を見た。

全く見慣れない顔だった。
つんつん立った茶髪に黒い革のジャンパー、利発さといたずらっぽさを併せ持つ勝ち気な瞳のローティーン。
いささか挑戦的なその表情を見て、「ああ、何かこいつとは気が合わなさそうだな」と直感した。
しかし、こんな子供がなんでまた夜のニンテンドー大学に?

10代くらいのその少年に対し、博士はやけに慎重に振る舞った。
少年を先に中に入れ、廊下の左右を確認しつつ自分も部屋に入り、ドアを閉めたのだ。

内心いくつもの疑問符を浮かべつつ、俺は2人に席をすすめた。

「ありがとう」

そう言いつつ、しかし博士はすぐには座らずに部屋を横切り、窓のカーテンを閉めに行く。
夜空は紺色のカーテンで覆い隠され、蛍光灯の人工的な明かりだけが部屋に満ちた。

少年の隣、テーブルを挟んで俺の向かいに腰を下ろすと、博士は単刀直入にこう訊いた。

「君は、これから私のする話を決して口外しないと誓うかね?」

「え…?」

口外しない。

そんな台詞を、ラジオやテレビの無いところで聞くとは思わなかった。
しかも、今それを突きつけられているのは俺なのだ。
他でもない、この俺。

無意識に、膝の上に置いた手を握りしめる。
面倒なことになる。そう確信したのだ。
いくら恩師の頼みとはいえ、厄介ごとは御免だ。

そんな俺の嫌そうな表情が気づかれたのかどうかは分からないが、
博士は組んだ手に顎を載せ、その鋭い目で俺を見上げる。 「私はまもなく定年を迎え、来期からは故郷のシンオウ大で名誉教授として働くことになっておる。
ここ、ニンテン大で私が信頼できるのは君しかいないのだ。
君を信用し、訪ねてきたのだよ」

なっ、なんて重い言葉だ。
俺を信用する…? 落ちこぼれの権化、不真面目学生の代名詞だったこの俺を?

その重圧に負け、俺はしぶしぶ首肯する。
聞くだけなら構わない。その後で断れば良いさ。
秘密くらいならいくらでも守ってやる。たとえ、どんな突拍子もない秘密でも。

「うむ…」

博士は重々しく頷く。

さぁ、何が来るんだ?
大方隣の少年についてだろう。
隠し子…ってことは無いな。博士はとんでもなく厳格な紳士だ。

俺は若干失礼な考えをわきに押しやり、博士の口をじっと見つめて待った。
そして。

「彼は、…"天使"なのだ」

…。

「……は?」

…俺は、アホみたいに口をぽかんと開け、気の抜けた声を出すことしかできなかった。

いやいやいや、ない。それはない。
冗談にしちゃ出来が悪すぎる。オチもなけりゃスジもない。

困惑しきった俺に、博士はさらにこう続けた。

「実際に見てもらった方が早いだろう。
…ピット君」

博士は隣の少年に声を掛けた。
"ピット"。それがそいつの名だろう。

「え、…大丈夫なんですか?」

少年は疑わしげに言った。
こいつ、俺を信じてない。

「うむ。以前話したように、彼は私の教え子だ。彼のことはよく分かっている」

「博士がそう言うのなら」

そして少年は、羽織っていた革ジャンをおもむろに取り去った。

中に着ていたのは、さっきから見えていた白いTシャツ。
だが、俺の目が釘付けになったのは、その背中に見えた"もの"だった。
あまりのことに、それまであった少年の露骨な態度への怒りさえ、一瞬で吹き飛んでしまった。

そこにあったのは、純白に輝く立派な翼。

少年が革ジャンをソファに掛けるため背をひねったとき、俺はこれがトリックでも何でもないことを知らされる。
Tシャツの背には、翼を通すための袖がもう2つ余分に付いていたのだが、
そこから一瞬見えた翼の根元は、ごく自然に彼の背中に繋がっていた。

一対の翼。
だが、その一方は若干力無く垂れている。
翼を隠すために折りたたんだ格好のまま、持ち上がっていないのだ。

怪我をしている。あるいは骨折さえしているのかもしれない。
外科に触れなくなって久しい俺でも、そのくらいは分かった。

はたして、博士はこう語り出した。

「昨年、8月のある日のことだ。
1人でフィールドワークに出かけていた私は、上空から何かが落ちてくるのに気がついた。
鳥よりも明らかに大きいその影は、手足を持っていた。
私が驚いている間に、それは付近の森に墜落し、何本も大枝を折って茂みに消えた。
急いでそこに向かい、見つけたのがこの少年だったのだ。
幸い途中の枝葉が衝撃を和らげたおかげで大きな怪我はなかった…左の翼の他には。
彼が左翼をいつ、誰に傷つけられたのかは分からない。墜落する前かも、後かも。
とにかく、翼が治るまで彼は元いた場所に帰れないのだ」

俺は、まだどこかキツネにつままれたような顔をして博士の言葉を聞いていた。

「私は今日まで彼を匿っていた。
有翼の人間が現れたと聞けば、ここの学者は黙っていないだろうから、私の孫だということにしてな。
だが、先も言ったように私はまもなくシンオウに帰らねばならん。
誰にも悟られず彼を飛行機に乗せることはできない。何しろ、彼には戸籍すらないのだ。
そこでだ」

博士は一息置き、まっすぐに俺の目を見据えた。

「マリオ君。君にはこのピット君を預かってもらいたい。
彼の翼が治り、故郷に帰れるようになるまで」

…い、嫌だ!

俺は言おうとした。
だが、博士の目がそれを許さなかった。

老獪な猛禽の瞳。
こちらが頷くまで目をそらさない意志。

でもなぁ…こいつを預かるのだけは…
俺は渾身の力で博士から目をそらし、少年を横目で窺う。

そいつは"大人を品定めしてるガキの目"で俺のことを見ていた。

断言する。俺は、ぜっ…たいにこいつと気が合わない。
俺は生意気なティーンというやつが大っ嫌いなのだ。

それに俺は新任教授。
やりたいこととやらなきゃならないことが山ほど待ってるっていうのに、こんな得体の知れないUMAを預かるなんて無理だ。
ましてや誰にも正体を悟られないように、なんて。

そりゃぁ博士には、学生の頃お世話になった。
生物学の課外授業に熱中しすぎて単位を落としかけた俺のために、一度弁護してもらったこともある。

だが、それはそれ。これはこれ。
無理なものは無理だ。さぁ断れ!
首を横に振る、それだけで良いんだ!

「それでは頼んだぞ。
くれぐれも、彼が天使であることを悟られないようにしてくれたまえ」

博士はそう言うと、みすぼらしく脱力してる俺と自称天使を置いて部屋から出て行った。

断れるわけないだろ?
ナナカマド博士の辛抱強さはシュルム大時代から知っている。
博士の頼みを断れる人がいるっていうなら一度お目にかかりたいもんだ。

「ふーん…ここが新しい部屋か」

隣の少年が言った。
俺はむっとしてそいつの顔を見上げる…くそ、こいつ俺より背が高いのか。

無駄に整った顔に、理不尽への怒りとこちらの優位性を叩きつけてやろうと決心し、
俺は口を開いた。

「…あのなぁ、ここは俺の―」

だが、天使は見事なまでのタイミングで俺の出鼻を挫いた。
口の片端で笑いながら、こう言ってよこしたのだ。

「これからよろしくね、おじさん!」

おじっ…
…おじさんだとっ?!

その瞬間、俺は自分の未来に暗雲が立ちこめる様をありありと見たのだった。

裏話

書いてた時から使おうかどうか迷っていたシーン。
ここまでのことは頭に組み上がっていましたが、これを入れるとなると余計長くなっちゃうよなぁと思いまして。
でも、残したシーンでも果たしているものだったかとなるような所ありますし……こういうのって難しいです。

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