気まぐれ流れ星二次小説

Open Door!

Track31『Cue』

~前回までのあらすじ~

『スマッシュブラザーズ』に選ばれ、それぞれの思いを抱いて輝く扉をくぐったファイター達。
しかし、彼らは目的地とは異なる灰色の世界に連れてこられ、得体の知れない人形の軍勢によって1人、また1人と捕らえられていく。
そんな中、プロロ島の風の勇者リンク(トゥーンリンク)と、タツマイリ村の少年リュカが出会う。

次第に勢力を強め、操られていたファイターを2人も取り返した彼らに、エインシャントは恐怖を抱いていた。
だが、彼らが自分たちの力だけでそれを成し遂げたとは思っておらず、この世界に閉じ込められているうちに潰してしまえば良いと結論付ける。
赤い十字の描かれた爆弾(亜空間爆弾)、影蟲……今まで明かさなかった手の内を晒してまで、彼はファイターを消そうとする。
がしかし、降りかかる困難はかえって彼らの結束を強めることとなるのだった。

集まったファイターはこれまでに10人。対し、エインシャントに捕まった仲間は20人近く。
絶望的な状況下で、彼らはあえて前へと進む決断を下した。
水没都市に残って先人の遺した記録を探すグループ、爆弾工場へと向かって情報を収集するグループ、そして、連れ去られた仲間を追うグループ。
10人はそれぞれこの3組に分かれて、一時別行動を取ることに。


  Open Door! Track31 『Cue』


Tuning

きっかけ

探す対象の特徴が分かれば、その後はかなり楽に集めることができた。

この世界の記憶媒体、中の記録部の形から"ディスク"と名付けられたそれは、
磁気でデータを記録した黒い円板をプラスチックの四角い板で挟んで保護する形になっている。
その色は、統一の規格でもあったのかおおむね黄色か青ばかりだった。
ディスクは手の平に収まるほどのサイズだったが、その色鮮やかさが砂埃と劣化に白く塗り込められた水没都市の中では大きな助けとなった。

翻訳は、データが集まれば集まるほど手がかりが増え、それだけスムーズに進む。

――あとはAIの翻訳作業が終わるのを待つだけだ。

そう思いながらサムスは崩れた棚とファイルの山から、また一枚のディスクを抜き取った。
上に被さっていた細かい埃を、ディスクを傾けて床に落とす。

彼女がいるのは、拠点とする大ホールから7層ほど下へ行ったフロア。
今はリュカの援護も兼ねてここへ来ている。

マザーシップが停泊した砦のようなビルディングは地上に出ている分でも60階層はあると見られていたが、
ファイター達の探索はその6分の1にも満たない範囲で終えられようとしていた。
もう少し行ってしまうと外の水面より下になり、室内が水没している可能性があるのだ。
そうでなくとも、いつ水の圧力に負けて壁や窓が崩壊するか分からない。

――リュカの感じ取る何者かの心がここよりもまだ数フロア下に存在するようであれば、
一旦その捜索は諦めて手持ちのデータだけで良しとするしかない。

自分の中で結論をつけ、彼女は立ち上がる。

ドアをきしませて開け、はるか昔に無人となったオフィススペースを出る。
と、ちょうどリュカが一周を終えて戻ってきたところだった。

通信機を持たせて、今まで彼一人で建物の廊下を進ませていたのだ。
一見その行動は、これまで過剰すぎるくらいに慎重だった彼女にあるまじき決断に見える。
しかし、これもきちんと安全を確認した上での効率的な方策だった。

新しいフロアについたらまずサムスが一周し、生命活動センサを用いて人形兵がいないことを確認する。
スーツの機能でマップを記録しつつ手早く簡潔に、しかしどんな小部屋もどんな隙間も見逃さず安全を確保していく。
1、2時間ほどかけて埋め終わったら、そこでようやくリュカを探索に出すのだ。

その間、サムスとカービィは同じフロアでディスク探しに専念する。
念のためリュカを追いかけるようにして、しかしある程度の距離を保ってついて行きながら。

小さな音に耳を澄ますためには、できるだけ周りが静かな方が良い。
リュカ曰く、心の声を聞く時にも同様のことが言えるらしい。

強い感情、すなわち大声はどんな時でも、それこそ聞きたくない時でも聞こえてしまう。
一方で今回のような、ほぼ独り言かささやきに近い"心の声"を聞くにはバックグラウンドは無い方が良い。
つまり、周りに自分以外の人間がいない、という状況が望ましいそうなのだ。

そのため、安全性は事前の下調べで確保し、それから彼を1人で向かわせる。
サムスはそういう方法を取っていた。

フロアを回り終えたリュカはサムスを見上げ、感想を伝える。

「やっぱり、まだ下です。どのくらい下かは分からないけれど……。
でも、だいぶ意味が取れるようになってきました」

リュカは眉を寄せ、言葉を選んでこう続ける。

「……なんだか、待ち望んでいるような、そんな感じでした。
誰かを……そうじゃなかったら、何かを」

そして、再びサムスの顔を見上げて、

「あんまり人間っぽくないけれど、人形よりは何を言っているのかが分かります」

きっぱりと言った。

彼はそれ以上何も言わなかったが、何を待っているのかは分かっていた。
2人は今日の探索開始から今まで、このやりとりを何度も繰り返しているのだ。
下へ行くたびに、リュカの報告は具体的になっていったが。

サムスは窓の外に目をやる。

都市に満ちる暗く深い水。
その水面は、すでにあと数階層分にまで迫っていた。
空は半ばが空中回廊や架橋に覆い尽くされ、昼だというのにあたりは薄暗い。
彼女たちは入り組むコンクリートのジャングル、その中層にさしかかっていた。

人ではなく、人形でもない心。
閉鎖された都市で気の遠くなるような年月を生き抜いた存在として考えられるのは。
彼女はすでに予想がつきつつあった。

その正否を、もう少しで見いだせるかもしれない。

微風を受け、静かにたゆたう水面。その動きは遅いものの揺るぎなく、水の圧倒的な重量を感じさせる。
もう1階層下るべきか、それとも。

考えていたサムスは、リュカの呟きで建物の中に意識を戻した。

「寂しいですよね」

ぽつりと言ったその言葉に、サムスは首を少し傾げる。

「リンク達が行ってしまったからか?」

そう問い返すと、リュカは少し驚いたように目を瞬いた。

「あ、いえ……。
……もちろんそれも寂しいですけど」

彼は、窓の方に再び顔を向ける。

「……今思ってるのはここのことです」

その視線は街の外へ、何も無い灰色の大地へと向けられていた。

「何でも作れるはずなのに、エインシャントはなんで何も作らないんだろうって。
作っても、工場とか、にせものの森とか街とか。
本当に何でもできるなら、得意になって色んなものを作るんじゃないかなって、思ったんです」

その声は、いつもの彼と同じく小声で控えめなものだった。
しかし、サムスは彼の言ったこと、その意味に気づいてはっとした。

確かに彼の言う通りだ。

この世界が荒れ果てているのは、全ての資源である事象素が足りないという理由もあるだろう。
しかし、それにしては何の役にも立たない森や街の出来損ないを残している訳が分からない。
普通残すのならば自身の威光を示すもの、例えば自分の像だの途方もない規模の建築物だの、そういったものの方が自然だ。

――それをしない理由は。
いや、それができない理由は……

それに思い至った時、彼らのいるホールに一筋の光明が差し込んだ。

折しも雲が晴れ、コンクリートの枝を縫って天球の光が差し込んだのだ。
そして白い光の中に佇む彼女の目の前にも、新たな展望が開けていた。

同じ日光を受けて、リュカがこう言った。

「空っぽで生き物もいないし、色もどこにもない。何でもできるなら、こんな寂しい景色は作らないと思う。
……僕はなんだか、こう感じるんです。この世界が、エインシャントの心をそのまま映し出してるんじゃないかって」

心象風景。
空虚で色彩に掛ける世界。もしリュカの連想が真実だとしたら、その表す感情は何か。

喪失、寂寥。

それはおおよそ、世界を思うままにできる者の持つ感情ではない。

――……そうだ、彼は全能ではないのだ。
事象を思い通りにする力。それがまだ不完全であるために、おそらく彼は……
劣等感。……そうだ、鬱屈した劣等感にさいなまれているのだろう。
しかし……だとしたら何に、誰に対しての劣等感なのだろうか?

考え込んでいるサムス。
同じ方角を見つめていたリュカは、ふと何か思い詰めた様子で傍らの戦士を見上げた。
しかし思案にふける彼女は気づかず、その様子を察した少年は出掛かった言葉を押しとどめ、口をつぐんだ。

立ち消えた言葉を閉じ込めて、彼はかすかに寂しげな表情を浮かべていた。

砂漠にも昼が訪れていた。
天球は中天に懸かってますます光量を増していたが、地勢の関係か気流のせいか、それほど砂漠の気温は上がっていない。
それを良いことに、ファイター達は外へ出てアーウィンの近くに集まっていた。

疲れを知らない修理機械が夜通し補修を掛けたおかげで、ようやくアーウィンが翼を取り戻すことができたのだ。

右の翼、その中程から先はあの黒い金属で構成されていたが、色を除けば形は設計図通り。まさに左翼の鏡移しといったところだった。
修理の過程で機体は砂から掘り起こされ、着陸脚もしっかりと展開しており、まるで初めから何の問題もなくそこに着陸したかのように見える。
出発の前にすべきことは、試験飛行を残すのみとなっていた。

メインエンジンにはすでに燃料が送り込まれ、低い唸りを上げて発進の時を待っていた。

今、アーウィンにはフォックス1人が乗り込んでいる。
試験飛行の前に念入りに計器をチェックし、機体に異常がないかどうかを確かめている。
そしてようやく、外で見守る仲間達に合図を送った。

アーウィンを囲む人の輪が、駆け足で広がっていく。
彼らが十分に離れたのを確認してから、フォックスは操縦桿を握った。

ほどなく、どよめきが上がった。
アーウィンの機体がゆっくりと浮き上がったのだ。

G-ディフューザーシステム。反重力発生装置の具合を確かめるように、フォックスは慎重に機体を浮上させていく。

着陸脚が折りたたまれていき、遠未来のエンジンが立てる甲高い唸りが少しずつ高まっていく。
機体に被っていたわずかな砂埃があちこちから払い落とされ、陽光の中で踊っていた。
アーウィンはまるで見えない糸に引っ張られるように上昇していき、ついには、白い空にぽつりと浮かぶ黒い点になった。

次の瞬間。

地上で首を痛めそうになりつつも見上げていたファイター達は、アーウィンの姿を見失った。

白い空に残されているのは、赤い残光のみ。アーウィンが残していったジェットの跡だ。

「あそこだ!」

一番に見つけたのはリンクだった。
彼が指さす方角は全く遠く離れた地平。その上空に、鋭く尖った機影があった。
轟く爆発音と共にその前方に円盤状の雲が生じ、黒い機影は翼を煌めかせてその真ん中を突っ切りさらに加速する。

距離にしてどのくらいあるのだろうか。
もしかすると、この砂漠の外にまで出たのかもしれない。

見ている間にも機影は空と大地の間を横切っていき、そして方向を変える。

今度は仲間達の頭上を通り抜けるように。
束の間、アーウィンは逆光の中に身を躍らせ、黒く塗りつぶされたシルエットの輪郭をまばゆく輝かせた。

まるで展示飛行を見ているようだった。

遠ざかりながら、フォックスは次々と曲技飛行をしてみせる。
急旋回、急降下。機体を横回転させるローリングまで立て続けに行った。

素晴らしい速さだった。
機体も、操縦士も、誰の目から見ても申し分なく一流だった。

試験飛行の数分間はあっという間に過ぎ去り、やがてアーウィンが地上に戻ってくる。
降りてきたフォックスが地面に足をつけるのも待たず、仲間達が目を輝かせて彼を称賛するために駆け寄ったのは言うまでもない。

エインシャントの住まう城。ここでは全てが灰色に鈍く光っている。

壁には一切の継ぎ目がなく、城の全てが丸ごと巨大な石材をくりぬいて作られたかのようだ。
無味乾燥。時間の流れというものを感じさせず、おそらく何千年と放っておかれても風化さえしないだろう。
城内は、どこもかしこもこういった風貌を持っていた。

シャンデリアもなければ絵画もなく、壁はどこまでもなめらかで一辺の曇りもなく磨き上げられている。
高いばかりの天井はそれ自体が発光しており、照明の類となる家具はどこにも置かれていなかった。
当然、がくの音など聞こえてこない。聞こえてくる音といえば、遠くからこだましてくる兵達のまばらな足音くらいである。

そんながらんとした根城の一室にて。

磨き抜かれた円盤。床からわずかに浮いた、幻の石盤。
自分のゲームボードを見つめるエインシャントの目は、怒りと苛立ちに鋭く光っていた。

「どこだ……奴らは。
……奴らは一体、どこに隠れている!」

握りしめた拳が、緑衣の下できりきりと嫌な音を立てる。

かつてボードの上にはは無数の光が散らばり、まるで満天の星空のようだった。
それが今や、まだらに光が抜け落ちてすっかりみすぼらしい様子を呈している。
こちら側の兵を示す白い光が減っていることはまだ良い。エインシャントが焦りを募らせる理由は他にあった。

ファイターを示す黄色い光。
それがもはや、どこにも見あたらないのだ。

エインシャントは全知であった。ただし、この世界に属するものに対して。

ファイター達は元々、他の世界に属している。従ってその足跡を追い続けるには工夫が必要だ。
そのために、エインシャントは彼の仇に勘づかれる危険を冒してまでファイターへの手紙に細工を施した。
それが、事象素を用いた目には見えないほど微小な発信器であった。

だが彼は手間取りすぎた。
ファイターを全て捕まえきらないうちに手紙の細工が解け、彼らを見失ってしまったのだ。

彼らの存在はもはや、エインシャントのゲームボードから遊離しつつあった。
自らを縛り付けていたルールから解き放たれ、手に手に武器を持ってこちらへと向かってくる。

チェスの駒がボードを離れ、キングではなくその差し手を倒しに来る。
そして喉元にチェックメイトが突きつけられる。

「忌々しい……!」

エインシャントは戦慄し、かぶりを振ってその考えを打ち消した。そんな馬鹿げたことがあって良いはずはない。

「感情など不要だ、冷静になれ。
あの屈辱に満ちた瞬間……私は誓ったはずだ。
そう、奴らへの復讐を。復讐というただ一つの意志……それ以外の夾雑物などいらぬ。
そんな私に、不安ほどそぐわぬ感情はないのだ」

盤に向けられる、暗く沈んだ目。
その底には幾千年という時を超えて煮えたぎる執念があった。

『エインシャント様!』

不意に、空間に声が響き渡った。
ゴロゴロという排気音を混じらせた割れ鐘のような重低音。

振り返ったエインシャントはあることに気がつき、目をわずかに細めて不快を表す。

「ガレオム。なぜ持ち場を離れた?
私は一言も命じてはいないぞ」

室内にホログラムとして顔だけが浮かび上がった部下は少しも怯まなかった。
どころか妙な熱意さえその声に込めて、こう答える。

『ヤツらのねぐらを見つけました。エインシャント様、どうかオレに攻撃の命令を!』

「ふむ……?」

まだ疑いを残しつつも、エインシャントは改めてガレオムの幻に向き直る。
彼の仕草一つによってホログラムの視点が変わった。

ガレオムの視界を借りて、彼が見るものへと。

丈の低い巨大な円筒をなす、褪せた白色の防壁。
その中には膨大な水をたたえた都市が広がっている。

エインシャントはあることを思い出し、軽い驚きを覚えた。
その光景はまだ記憶に新しい。人間達が最後の悪あがきを見せた都市、そのなれの果てだった。
あれからどのくらい経ったか忘れてしまったが、建築物は意外にも降伏の日のままの姿を保ち、そこに佇んでいる。

視点が街の中心部へとズームされていく。ガレオムが、彼の目であるカメラセンサの倍率を上げたのだ。

中央に捉えられているのはやや太い円柱状の建物。
都市の統括をしていた中枢センターは、いくつか大きな傷を受けながらも今だ毅然としてそびえ立っている。

その傷の隙間から何かが見えた。
オレンジ色の曲面。それを認め、それが何であるかに気づいたエインシャントの目がわずかに見開かれる。

上手く隠れたものだ。建物やハイウェイに紛れ、その姿はほんの一部しか見えていない。
今ガレオムがしているように正しい位置に立ち、正しい方角からのぞき込まない限り視認は不可能だろう。

『ヤツらの船です、エインシャント様!』

言われなくとも分かっていた。
その橙色の船はまさしく彼自身が手を下し、その破壊を試みた宇宙船だったのだから。

結果は散々だった。亜空間爆弾でも仕留め損ね、影蟲からも逃げられて奴らの合流を許してしまった。
それっきりエインシャントの前から姿を消していた宇宙船。
しかし、執念に燃えるガレオムがその後を追いかけていたのだ。

エインシャントはほくそ笑む。
このときほど、自立して動く部下を創ったことに満足を覚えたことはなかった。

「やれ、ガレオム。奴らを殲滅するのだ」

『はっ、お任せください!』

ガレオムに笑みを浮かべる口はなかったが、その目には愉悦と興奮に満ちた残忍な光がぎらついていた。

ホログラムが消え去る。
しかしエインシャントは仮想の盤には戻らず、しばらくそのままの姿勢でいた。

そして、彼は言葉を発した。

「何か言いたいようだな? デュオンよ」

背後にはいつの間にか双頭戦車の幻が浮かんでいた。

デュオン、そのソードサイドが重々しく一礼を返し、こう言った。

『無礼を承知の上で』

そして主の背を真正面から見つめ、声を改めて語り始めた。

『あなた様は一つの信念をお持ちでした』『"感情など不要"だと』
『感情は合理的な思考を妨げ、理性の判断を歪め、無意味な行動へと走らせる』
『……しかし、今はどうでしょう?』

十分に間を開け、主の心奥深くへと言葉が届ききるまで待ってから、彼らは続ける。

『状況が思わしくないことは分かっております』『だからこそ、ここは一度、お気を確かに持たれご自身の行動を振り返られた方が』
『例えば、今のガレオムに対する命令』

先ほど彼が消え去ったあたりを剣で指し示し、デュオンは続ける。

『確かに、修繕を施された彼は奴らの母船を破壊できるやもしれません』
『彼の攻撃力と奴らの防御力。それだけを見れば、ガレオムは勝つでしょう』
『……しかし、本当に"それだけ"で良いのですか?』

エインシャントは振り返らなかった。
かたくなな背の向こうから、威厳に満ちた声がこう言った。

「数は絶対だ」

その声は灰色の宮殿に重々しくこだまし、微かなざわめきがあたりに満ちた。

「デュオンよ、私が焦っていると言いたいのか? 物事が上手く進まぬことに苛立っているとでも?
……いや、私は至って冷静だ。なぜなら私は世界を演算できる。私に想定できぬことなどない。
この世の全ては数。どんな現象も細部に至るまで分解していけば数式で表すことができる。
そうであろう? 私にとっては、これも想定の内なのだよ」

そこで彼はようやく振り返る。
彼の声はすでに自信を取り戻し、がらんどうの部屋を淡い残響で満たしていく。

「そればかりではない。
私は演算の結果を変えることさえもできる。この世界を構成するあらゆる変数を、この手に掌握しているのだ。
……そんな私に分からぬことなど、思い通りにならぬことなどない」

主に対し、デュオンは恭しく礼をして誠意を示す。

『然り。しかし、今しばらく我々にお時間を』

「これより他に、まだ話すことがあるというのか」

問いかけたエインシャントに、デュオンは無言のままその背を曲げ、片方の腕を胸部鎧につけて深々と礼をする。

叱咤は飛んで来なかった。
無言の懇願に主が折れた様子を見計らって、デュオンはまたゆっくりと顔を上げた。

『我々は度重なるファイターとの戦闘で、あることに気がつきました』『彼らの持つ力には、我々のあずかり知らぬ要因があるのでは』
『ファイターは主の仇敵が特別に手がけた存在。これまでのような、普通の命ある者には見られなかったような変数』
『あるいは無視できるほど関与の少ない変数がその性能に影響を与えているやもしれませぬ』

「ふむ、未知の変数か……」

淡々と呟きつつも、エインシャントはその考えに興味を持ったようだった。

終盤にいたって、ファイター達は異常なまでの抵抗を見せた。
能力値をはるかに上回る戦闘を行い、察知されないはずの動きを読み、幾度も窮地から抜け出した。
そして何よりも、広大な工場を一夜にして壊滅させたあの"切り札"。

そんな彼らの型破りな性能もまた、単純なパラメータに支配されているとすれば。

エインシャントの瞳に静かな炎が燃え立った。

――奴らを制することができる。
いや、そればかりではない。"駒"を今以上に強化することさえできるだろう。

神々から愛された戦士。エインシャントは彼らを神々の目につかぬところで奪いとり、自らの宿願を達成しようとしていた。
可能なほどむごたらしい手段、思いつく限りの残忍さで。
デュオンの推測が真実であった先の未来を思い浮かべ、エインシャントは外套の下から低く笑い声を漏らした。

「デュオンよ」

やがて彼は言った。

「お前たちに命ずる。
奴らを支配する最後の変数。それを突き止めるのだ」

『はっ』

デュオンの幻はさっと一礼を返し、かき消えた。

キャノピーが開かれ、空に向かって開放されたアーウィンのコクピット。
操縦席の後ろ、引き出された補助座席にはリンクが座っていた。
言われたとおりシートベルトをつけているが、やはり慣れない様子で時折ベルトを引っ張ってゆるめようとしている。

フォックスがアーウィンに戻ってくると、リンクは外の何もない砂漠を眺めていた。
その表情は硬く、口をきっと引き結んでいる。

「本当に大丈夫か? 偵察だけなら俺1人で行っても良いんだぞ」

キツネの口でにやっと笑い、コクピットの縁に片腕を乗せてフォックスは尋ねた。
リンクは一瞬だけこちらを見かえし、そして向こうを向いてぶっきらぼうに言った。

「ここまで来て、今さら降りれるかよ」

彼の頭から離れないのは、試験飛行の時に見せられた光景。信じられないほどのスピードを出すアーウィンだった。
リンクが今まで生きてきた中で見たどんな動物も、どんな乗り物も比べものにならないくらい速い。
あまりに速すぎて、それが乗り物であることさえ信じられないくらいだった。

おまけにこの"船"は、その速さのまま宙返りだのとんぼ返りだのまでやってのけるのだ。
そんなものに乗って無事で済むわけがない。
でも乗ると言い出したのが自分である以上、引き返すことはできない。それは彼の負けん気が許さなかった。

少しでも緊張と不安を紛らわそうと、荒涼とした灰色の地平線を見つめるリンク。

出発を前に、すっかり年相応の少年になってしまった風の勇者。
フォックスはひやかすこともなく、ただ笑って肩をすくめる。
そしてついた手で弾みをつけ、縁を飛び越えるようにして操縦席に座った。

いくつもあるスイッチが慣れた手つきで順番に切り換えられ、コクピット内のあちこちに色とりどりの光が灯りはじめる。
エンジンの唸りが低く静かに高まっていき、左右の可変翼もしっかりと広げられた。

キャノピーを閉めようとした時。
リンクが不意にフォックスを呼び止めた。
振り返ると、真剣な目をした少年と目が合った。

「なぁ。絶対見つけような」

リンクがついていくのはもちろん彼自身の希望もあったが、フォックスが人形兵から仲間を取り返す際に少しでも力になるため。
いくらベテランのファイターと言っても、たった1人で渡り合えるほど向こうの警備は甘くはないはずだ。
フォックスは頷き返す。

「ああ。運転は俺に任せてくれ」

座った状態でも人2人を入れるのがやっとという、細長く狭い船体。
カヌーやボートのように小さい船では外の空間をより意識することになる。
それでも怖いもの見たさから、リンクは窓の外に顔を向けていた。

試験飛行の時のように外には仲間達が集まっていた。
違うことと言えば今度は集まりが輪ではなく一列の線になり、そして自分が見送られる側にいるということ。

不意に視界が変化し、リンクは小さく驚きの声を上げた。
少しずつ外の景色が手前に向かって傾き始めた。船が浮き上がり始めたのだ。
もちろん、フォックスからはこれから離陸することを告げられていた。

だが、体が浮き上がるときに感じるあの特有の重みが伴っていなかった。
まるで船が静止したまま地面の方が勝手に沈みだしたような感覚。
混乱している間に、見上げる仲間達の姿が小さくなっていく。

大きく手を振っているのはマリオとルイージ。背が違うことを除けば、彼ら兄弟は手の振り方までそっくりだった。
ピットは手を振りつつ、空いた手でひさしを作り眩しそうな顔をしてこちらを見上げている。
ただ1人メタナイトだけはマントに半身を包み、静かに戦闘機を見送っていた。

リンクも彼らに手を振り返す。
窓ガラスは黒味を帯びており、距離からしても向こうには見えないかもしれない。
それでも彼は、精一杯手を振った。

仲間達が灰色の砂漠にぽつりと浮かぶ小さな色の点となったところでフォックスが種明かしをした。

「この船が積んでいる装置、G-ディフューザーシステムは設計限界までの慣性を反重力で打ち消すことができる。
つまり、どんなに加速や急旋回をしても乗っている俺達には負荷がかからないようになっているんだ」

「ハンジューリョクって、昨日言ってたジューリョクの反対ってことか?
引っぱり合う力じゃなくてその反対ってことは……跳ね返す力か。
うーん……よく分かんないけど、そのジーなんとかっていうのが余計な力を跳ね返しておれ達を守ってくれてるんだな」

昨晩フォックスから教えられた重力の知識を思い返しつつ、リンクはようやく自分なりに今の状況を納得した。

「だいたいそんなところだ」

頷き、続けてフォックスはこう言った。

「だが、慣れないうちはあんまり外を見ないほうが良い。目が感覚についてこなくて酔ってしまうからな」

リンクはきょとんと目を瞬く。

「酔う? まさか!
おれは船酔いなんてへっちゃらさ」

それを聞いてフォックスは笑った。

「船酔いなんて比じゃないぞ。
まぁ、気分が悪くなったら言ってくれ。きっと長いフライトになるからな」

そして、アクセルをいれる。
周りにあった群雲があっという間に後ろに吹き飛んでいった。
凄まじいスピードが出ているはずだが、やはりリンクはわずかに背もたれに体が沈んだのを覚えただけだった。

つぎつぎと灰色の雲海を切り裂いて、アーウィンは一直線に突き進む。
その進路に、世界の中心を据えて。

それから2時間ほど経って、ピットは爆弾工場にいた。
ただし通路ではなくダクトの中に。しかも、今はまだ待機中だった。

ダクト内の空気には外の砂漠から吹き込んだ砂と工場からの熱気が混じり合っており、あまり居心地が良いとは言えない。
だが、今回はなるべく相手に見つからないようぎりぎりまで身を隠す必要がある。

金網の下では、物々しく武装した人形兵達が巡回していた。
廊下は眩しく照らし上げられ、建物の中心部であるにもかかわらず十分な明かりを保っている。
見ている間にも巡回にはときおり途切れが生じていたが、焦りは禁物だ。監視カメラという目がいつどこで見ているか分からない。

しかし、照明と監視機構、その両者ともが依存しているのは電気。すなわち元を断てば監視網には大きな隙ができる。

昨夜の会議で、警備がより厳重だと予想される制御室に2人が確実に入れるよう、
マリオ達は製造ラインを目指すついでに、同フロアにある発電機を壊すことになっていた。
さしあたりそれまでは、ピット達はここで息をひそめて待たなければならない。

ほんの数メートル先では、人の背丈ほどもある換気扇が地響きのような鈍い音を立ててゆっくりと回っていた。
わずかでも涼しい風が来れば良いのだが、そこから出てくるのはただただ騒音と熱風のみ。
ピットはしばらく換気扇の方を見るとも無しに見ていたが、暇を持てあまして上を見上げる。

――天井が高いだけでもありがたいかなぁ……

これでもし、座っている彼のすぐ上に天井があったとしたら、熱と音と閉塞感の三重苦で今頃耐えられなくなっているかもしれない。

続いて彼は、その視線をそっと横に向ける。
向かい側の壁際、そこには今回ピットと組むことになった剣士がいた。
相変わらず彼はマントで半身を包み、背に剣を掛けて目を閉じている。
身動き一つせず、こちらが感じている退屈さとは無縁の境地にいるようだ。

とてもではないが、雑談など持ちかけられるような雰囲気ではなかった。

思えば、本格的に彼だけと行動するのはこれが初めてだった。
いつもは間にカービィが入って彼の反応を引き出していたものだが、今はここにはいない。

ダクトの中には換気扇が立てるごとごとという単調な音しかなかった。
話しかける言葉を探していたピットは、途中で諦めた。

――……いや、作戦が始まったら暇だなんて言ってられなくなる。
今はその時に備えて、十分休んでおかないと。

曲げていた足を入れ替え、首を曲げて凝りをほぐす。
背中をずっと壁につけたままだったので、翼もすっかりこわばってしまっていた。
簡単なストレッチでもしようかと思い始めた矢先、彼の持っていた通信機が小さな着信音を鳴らした。

双剣と共に腰のベルトにつけられた通信機。薄い円盤状の小さな機械を、ピットは急いで手に取る。
円に十字。スマッシュブラザーズのシンボルが描かれたバッジ。
その上に浮かび上がった送り主の名は彼の思っていた方ではなかったが、かまわず内容を確認する。

マザーシップで作られ、ファイター達に配られたその新しい通信機はシンプルな作りでありながら機能が洗練されており、
それまで全く機械に触れたことのない者でも直感的に扱えるように出来ていた。

宙に浮かび上がる名前。その文字に触れると、代わって詳細が現れた。
黄緑色に光って流れていく文章。ピットはそれを目で追う。

「音声、データ?
……メタナイトさん、聞いてみても良いですか?
サムスさんから連絡があるみたいです。なんでも、エインシャントに関わることで新しい発見があったそうで」

反対側の壁際に立っていたメタナイトは、少し考えて言った。

「そうだな。彼らが発電室に辿り着くまでまだ時間はあるだろう。
ただし、警備兵に気づかれないよう音を絞ってくれ」

「わかりました」

ピットは素直に頷くと、通信機のいくつかのボタンに触れた。

無線が繋がる際のかすかな砂嵐音が流れ、そしてその中から声が立ち現れる。

『全メンバーへ、私からの伝言だ。
用件はプロパティにあるとおり、エインシャントに関する新たな情報について。
以下のメッセージを聞くのは各自の手が空いたときで良いが、
この知見はおそらく、君達が任務を遂行する上で重要な手がかりとなるだろう』

音声のみの通信ではあったが、彼女の堅苦しい物言いは相変わらずであり、
どんな表情をしているかまで目に見えるようであった。

昨日さくじつ発見されたものを含む12枚の記憶媒体。そのデータ解析、及び翻訳が終了した。
意味のある形でデータが残っていたものはそのうちの4枚であったが、
今から、その中でも重要と思われる記録をいくつか再生する』

外出した仲間には、一度に送ることの出来る情報量の上限を超えてしまうため人工音声の読み上げデータのみが送られた。
一方その頃、マザーシップのミーティングルームに集まった4人が前にしているのは解析済みのデータ丸ごと。つまり映像付きの情報であった。

乗組員が減ってすっかり余裕の出来た円卓。
4人はめいめい席につき、その中央に浮かび上がる映像を真剣な眼差しで見つめていた。

はるか昔。窓の外の都市はまだ水に満たされておらず、傷一つ無い建物が立ち並んでいる。
そして映像の中央には、自分のオフィスらしき部屋にデスクを構え、重厚な作りの椅子に腰掛けている男。
苦悩の表情を浮かべた壮年の男性が組んだ手の上からこちらに視線を合わせ、そして語り始める――

『○月○日。
おそらくこれが、私のつける最後の日記となるだろう』

男の話す言葉に合わせ、白い文字が画面の下に浮かび上がる。
マザーシップのAIが翻訳し映像に付け加えたのだ。時折挟まれる"○"は、翻訳不能の箇所を示しているのだろう。

『昨晩。彼はついに我々に向け、最後通牒を送ってきたそうだ。
これ以上の抵抗は止め、すみやかに降伏せよと』

そこで額をぬぐい、首を振る。
白髪交じりのこうべを垂れ、うなだれたまま彼は続けた。

『私はこの都市で働いていた研究者に過ぎない。
しかし、我々人間にもはや勝ち目が無いことくらいは分かっている。
……当然の報いなのかもしれないな』

自嘲するように、男は肩をすくめて力無く笑う。
報い。気がかりな言葉が出てきたが、その意味を説明しないまま彼は別の話題に移った。

『だが、勝てなくとも道はある。勝たなくとも、負けなければ良いのだ。
我々もまもなく、先に行った仲間を追ってここを脱出する。
その際に、○を起動させる。上手く行けば、彼に深い痛手を負わせられる』

再びカメラに顔を向けた彼の目には、強い意志が現れていた。
その並みならぬ熱心さからすると、起動される兵器は彼が取り組んでいた研究分野で開発されたものだったのだろう。

不意に、その顔がふと陰る。

『そう。そうすれば我々は、最後に一矢報いることができる。だが、しかし……』

ため息をつき、彼は窓のある方角を見やった。
下から見上げるカメラはわずかに彼の動きを追い、その横顔に刻まれたしわを映し出す。

『それでも事実は変わらないのだ……。
私達がこの世界を捨てなければならないこと……この世界から逃げなければならないことは、決して……』

鋭い破裂音。続いて、いくつもの氷塊を床にこぼしたような音。
同じフロアの、どこかのガラス窓が破られた音だった。

男は音のした方角を向き、席から立ち上がりかける。
が、そこまでで動きは止まり、虚空を凝視したまま彼は固まってしまう。
大きく目を見開いていた。息をするのさえ忘れていたかもしれない。

やがて彼はかすれた声で言った。

『なぜだ。あり得るはずがない……一体どうやってシールドを突破したと言うんだ』

視線が吸い寄せられるように、ゆっくりと外に向けられる。

『まさか……』

その後は言葉にならなかった。

カメラは純粋に男の視線を追って、彼の見る光景を映し出した。

窓の外は一変していた。

氷柱の森。
降りしきるのは、黒い雪。

外の世界には、ここと同じようなビルディングが立ち並んでいるはずだった。
しかし、今そこに林立するのは真っ白な氷と雪でできた塔ばかり……

いや、違う。
目の前にあるのはやはりハイウェイ、ビルディング。
樹氷の森と思えたものは、都市の全てが凍てつく冷気に閉ざされてしまった姿だった。

雪は街のあらゆるところに平等に、静かに降り続けていた。
まっすぐに、ゆっくりと、しかし何者にも止められない揺るぎなさを持って。
灰色の空から降り来るその色は、限りなく黒に近い紫色。

その物質ならぬ物質には、ファイター達も見覚えがあった。

影蟲かげむし……」

ぽつりと呟いたのはリュカ。

影蟲は、寄り集まることで何度でも、自在に姿を変えることができる。
その力によってマザーシップのバリアを破り、船体にダメージを与えた。
それと同じことが、過去にこの都市でも起こっていたのだ。

映像の中でも、影蟲が変化していく様子が映し出されていた。

すでに氷に閉ざされた建物、その上にも雪は容赦なく降り積もり、塗り重ねるように真っ白な氷へと姿を変える。
記録主のいる建物、現在はファイター達の隠れ家となっている研究棟の窓にも黒い雪のようなものが取りついていった。

それは――それらはどんどん寄り集まって膨れあがり、黒くざわめいたまま鋭く尖っていく。
次の瞬間、その質感が一変した。
水晶のように透き通った、純粋な氷の牙。

巨大な氷の刃は、それがすでに固体であることをまるで無視して、
ぐいと弓なりに反り……そして、一気に振り下ろされる。

その質量と勢いに、ガラスの防壁では耐えることができなかった。

弾けるような音がして、壁面いっぱいのガラス窓が一瞬にして吹き飛ぶ。
無数の破片が衝突の勢いで砕けた氷と一緒くたになって、幅の広い廊下に勢いよく散らばった。

『教授!』

別の字幕が割り込んだ。それと同時に現れたのは若い男。
彼もまた研究所の職員らしく、ネームタグをつけている。

男は部屋に飛び込んできた勢いのまま、すっかり硬直してしまった記録主の肩を掴む。
ようやく我に返った壮年の男に、彼は息を弾ませてこう伝えた。

『急いで脱出ポッドに向かってください。エインシャントが攻撃を開始しました!』

『何……?』

教授と呼ばれた記録主の顔が驚きに固まる。

『しかし、避難アナウンスが流れていないが……』

『通信網が破壊されたんです。いえ、それどころか街のあらゆる施設が……。
完全に埋もれてしまった建物もあります。市民がすでに避難していたから良かったものの、もしこれが一週間早かったら』

若い職員はそこで首を横に振った。

『盲点でした。まさか、彼が自前の兵士だけでなく自然の物質までも操れるなんて――』

それを聞き、教授は顔をこわばらせたまま廊下の方角を見やる。
止むことのない黒い雪。氷に閉ざされてしまった大都市。生き物のごとくうごめき、牙をむく巨大な氷塊。
あまりにも現実離れした光景が、壊された窓の向こう側に容赦なく実在していた。

『なんだと?
……つまり、これは彼の仕業だと言うのか』

そう言ってから、教授は自分で首を横に振った。
いいや、彼以外にできるはずがない。そのことに思い至ったのだろう。

再び口を開いた教授は、すでに責任者らしい威厳を取り戻していた。

『よし、私も行く。だがその前に、このフロアの皆を避難させよう。
君も手伝ってくれ』

『はい!』

続いて教授は、カメラの方に向かって手を伸ばす。

『……記録はおしまいだ。君も、一緒に来てくれ』

そこで映像は途絶えた。

――なるほど、氷か……

サムスは心の中で呟いた。

痕跡を残さず、なおかつガラスからコンクリートまでを貫くことの出来る物質。
それは、氷だった。

影蟲から作られたとはいえ、氷では強度が足りないようにも思える。
しかし、今映像で見せられたように勢いをつければ。

加速度をつけられた水は、岩をも両断する。
正確に成形した氷を凄まじい速度で一点に集中して突き立てれば、氷でもビルディングに穴を開けることは可能だろう。
それにエインシャントの手に掛かれば、分子結合に手を加え鋼のような強度を持たせることさえできるかもしれない。

さらに、今の映像はもう一つの事実を教えていた。
都市に満ちる水。それをもたらしたのは影蟲の作り出した氷だったのだ。

あらゆる建造物を封じていた氷は時間が経つにつれて少しずつ解けて水となっていった。
しかし円筒状の防壁に阻まれて流れ出ることは叶わず、都市の中に溜まっていく。
こうして今の水没都市ができた、というわけだ。

それにしても、氷とは。
シールドを突破するために影蟲を用いたまでは分かる。
だが、その先にある建造物を破壊し制圧するには、その変化先は人形兵でも良かったはず。

考えられる理由はただ一つ。示威行為だ。
本来自然の摂理に従うはずの雪と氷。それさえも意のままにし武器にできるのだという、圧倒的な優越性を示すための選択だったのだろう。

考え込むサムス。
一方で、他の3人はそれぞれに意見を出し合っていた。

「ねぇ、このおじさんたち、エインシャントのこと知ってるみたいだったよね」

テーブルに手をつき、カービィが身を乗り出す。
対し、その向かいにいるリュカはこう言った。

「戦争を始めた時に、彼が自分から名乗ったんじゃないかな」

「それも考えられるわよね……。
でも、それにしては複雑そうだわ。この"教授"っていう方の言葉が気になるの」

人差し指を立てて見せ、ピーチは彼の言葉を繰り返した。

「ほら、言ってたでしょ? "人間に勝ち目がないのは、当然の報い"って。これ、どういうことかしら」

カービィもリュカも答えることができず、ピーチは説明を求めてサムスに顔を向ける。
彼女は一つ頷きを返し、こう言った。

「それについては、次の映像を見てもらうと分かる。
内容から考えると、先ほどの記録よりは昔に撮られたものだと思うが、
少なくともエインシャントが戦争を仕掛けた後ということは間違いない」

そしてサムスは手元のパネルに指示を出し、次のデータを表示させた。

色の砂嵐。意味を成さない雑音。

これが記録された媒体は少し悪条件に置かれていたらしい。
湿気か熱気か、それとも襲撃時の強烈な冷気か。そのデータは分析を任されたAIが難渋するほどに劣化していた。

それでも辛抱強く待っていると、ゆっくりとノイズの中から形あるものが現れてきた。

『――っぱり間違いだったんだよ、博士の判断は』

男性の声。その声音がざらついているのは、データ自体の劣化のせいだろう。
さほど年は取っていない、その予想に違わず、遅れて結像した姿は20才前後の青年だった。
またも、カメラは人を少し下から見上げるようなアングル。

続けて、別の声がした。こちらもやはり雑音を混じらせていた。

『そうかな? 私は分かると思う』

カメラがそれを追い、今度は女性を映し出す。
男性と向き合い、カメラを横に雑談をしているようだ。

2人とも、先ほどの映像に出ていた男達と似たネームプレートをつけていた。
彼らもまたこの都市で働いていたのだろう。

『分かる? 冗談言うなよ。
エインシャントが暴走を始めたのはなぜだと思ってるんだ。
彼が他と違うのは何だ? ……ヘクター博士が与えた機能。それより他に考えられない』

妥協を許さない様子で彼は言っていたが、彼女のことをけなすつもりではないようだった。
ただ単に、真剣に議論したい。2人の間にはそんな雰囲気があった。
まだ学生の頃の空気を伴った砕けた口調で、自らが学んできた知識を次々に出し合っていく。

『確かにエインシャントは特別だった。
でも、彼に与えられたのは人間に対する反抗心じゃない。"好奇心"。
自分の周りを分析し、知識にないことを見つけて興味を抱く。それを知ろうとする。
自ら学び成長する人工知能。私達人間が赤ちゃんから子供に、そして大人になるように。
博士はそれを目標にして、エインシャントに好奇心を与えた』

『それがまずかったんだよ。
確かに彼は知らないことを見つけ、それを積極的に理解しようとする。だが、機械と人間は同じじゃない。
僕ら人間はあまりに彼に対して寛容すぎたんだ。
彼が行きたいところには自由に行かせ、見たがるものは遠慮無く見せ――』

そこで、束の間ノイズが挟み込まれる。
灰色の淡い砂嵐に飲み込まれた休憩室の中、2人の映像がパクパクと口だけを動かしていた。
蜂の羽音のような雑音が続き、ようやく再び声が戻ってくる。

『――彼は気づいてしまったんだ。
人間達が持つ文明と、自分の知能があれば何でもできる。人間達を支配できるって』

『そこが変だと思うの。人工知能に支配欲はないはず』

『確かにプログラムの段階で、彼らは人間への反抗を禁じられている。
でも、エインシャントが自分でそれを書き換えたとしたら?』

『そんなことできるの?』

女性が片眉を上げる。

『無いとは言い切れない。それができるだけの知能は持ってるんだから』

『全く、卵が先か鶏が先かと言ったところね。
プログラムを破るには人間への反抗心が必要で、反抗心をかき立てるにはプログラムが破られていないといけない』

矛盾を指摘されたが、彼は動じなかった。

『でも、現にエインシャントが僕らを敵と見なしたのは事実だ』

彼女はため息をつく。

『……それは確かだよね』

そこでカメラに向かってかがみ込み、こちらに向かって彼女は話しかけた。
いや、これは撮影者に目線を合わせて語りかけているらしい。

『あなたは人間の味方?
これからもずっと、私達についてきてくれるかな』

すると、カメラが頷くように揺れた。
その時、一瞬だが撮影者の腕が映った。

赤と白に塗り分けられた二本のアーム。
くの字を描いて突き出された金属の腕。そしてその手には何も握られていない。

つまり、撮影者そのもの――ロボット――がカメラの機能を果たしていたのだ。

「……人工知能の反乱、か。ありがちだな」

フォックスは、冷静にそう評した。
キャノピー内部の画面に映し出されていたデータに、身を乗り出して見入っていたリンクはフォックスの肩越しにこう尋ねる。

「なぁ、つまり何がどういうことなんだ?
ハカセがどーの、好奇心がどーのってさ。それがエインシャントとどう関係があるんだよ」

フォックスは進路から注意を逸らさず、答えた。

「つまり、エインシャントは人間に作られたんだ」

それを聞いてリンクの眉が跳ね上がる。

「えっ? あいつが、人間に?!
だって……作れるわけないだろ、あんな化け物みたいなやつ!」

空ろな赤い目をした人形。痛みも恐怖も覚えずファイター達に飛び掛かってくる。
そんな怪物じみた兵士を大軍で操る総大将は、それ以上に得体の知れない世にもおぞましい存在としてリンクの想像の中に鎮座していた。

「最初から化け物だった訳じゃない。人間が与えたものによって、化け物になってしまったんだろうさ」

「でも、誰もそうするつもりじゃなかったんだろ?」

「その通りだ。リスクを分かっていたかもしれないが、それよりも利益の方を取ってしまったんだろう。
自分達はここまで出来る。こんなものを作れる。それを試したいがために、研究者は時に越えてはいけない一線を踏み越えてしまう。
この世界では、それは"自己進化する知能"だったんだろう」

地平線の彼方を見つめるフォックス。その白い眉は微かにひそめられていた。
自分で考え、心を持つ人工知能。そんな存在が、彼のクルーにもいるのだ。
ナウス64。彼はフォックス達の大事な仲間だ。クルーも皆、彼を自分たちと同じ心あるものとして受け入れている。

しかし、ここでは。エインシャントは違った。
進化していったあげく人間を超越した彼は、知能の上で劣ると分かった途端に人間を見下し、支配できる対象として見たのだ。
そして、それに気づくように彼を改造してしまったのは、他ならぬ人間。

志は正しかったかもしれない。しかし、その方向がどこかで間違ってしまったのだ。
科学はいつもそうだ。時に友となり、敵となる。行使する者を救い、はるかな高みに押しやり、あるいは気の狂うほど魅了させ、殺める。
"ありがちだ"。そう言った彼の背景には、そんなどうにもならない矛盾への憤りもあった。

「なるほど、エインシャントは人間に作られた。で、作ってくれた人間を追い出した……と」

リンクはそうまとめてから、続けて今度はこう聞いた。

「そこまでは分かった。でも、まだ分からないことがあるな。
あいつ、なんであんなにおれ達のことに詳しいんだ? いくら賢いったって、ここと『スマブラ』は別の世界なんだろ?」

フォックスは頷いて同意する。

「俺達ファイターに目をつけたのが他の世界を手に入れるためだったとしても、
いつ、そしてどうやって俺達の存在を知ったか。そこが問題だよな」

少しの間考え込んでから、彼は再び口を開く。

「今まで分かっていることを総合すると、この世界では物理学、中でも時空間を操る分野がマクロからミクロに渡って発展していたと考えて良いだろう。
エインシャントの手から逃れるために街ごと空間を切り取ったり、とてつもなく劣化しにくい磁気ディスクを作ったり。
エインシャントが持っている技術、あの事象素を操るのなんかも人間が持っていた素粒子の知識を発展させたんだろうな。
そこで二番目の映像で男が言っていた言葉、それが重要になってくる。
『彼が見たいというものは見せ、行きたいというところに行かせた』。
つまり人間達は彼の知能を成長させるため、時空を渡る技術を使って彼にあらゆる世界を見学させたんじゃないか。俺はそう考えている」

「で、その中に『スマブラ』も入ってたってことか」

操縦席の背もたれに組んだ腕を載せて寄りかかり、リンクは神妙な顔をして頷いた。

反抗の芽を隠し、人間を利用して過去の『スマブラ』を訪れたエインシャント。
"境界を越える戦士達"は彼の目にどれほど魅力的に映ったことか。

2人が見つめる進行方向には、依然として代わり映えのしない白色が続いていた。
時折現れる灰色の雲も、形を見定めるよりも先にあっという間に後方へと流れ去っていく。
風の音もせず、身に掛かる重みもなく、まるで周りの空間の方が勝手に動いているような錯覚を覚える。

そんな風景を眺め、リンクがぽつりとこう言った。

「……何て言うかさ、わがままなヤツだよな。
賢くなったら恩も忘れて人間を追い出して、で、そのせいで世界がぼろぼろになった。
それだっていうのにまだ懲りないで、今度は外にまで手を出そうとしてるのか」

「そこまでして彼を駆り立てているのは何なのか。
単純な支配欲か、歪んだ向上心か……こればかりは、人工知能じゃない俺達には想像がつかないな」

そう言って、フォックスは行く手の灰色の地平線を、答えを探すように細くすがめた目で見つめていた。

Next Track ... #32『Stratus』

最終更新:2016-01-30

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気まぐれ流れ星

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