気まぐれ流れ星二次小説

Open Door!

Track42『What's it for』

~前回までのあらすじ~

『スマッシュブラザーズ』に選ばれ、それぞれの思いを抱いて輝く扉をくぐったファイター達。
しかし、彼らは目的地とは異なる灰色の世界に連れてこられ、得体の知れない人形の軍勢によって1人、また1人と捕らえられていく。
そんな中、プロロ島の風の勇者リンク(トゥーンリンク)と、タツマイリ村の少年リュカが出会う。

現在、偶然が積み重なり運良く助かった者を除くと、20数人ものファイターが謎の存在エインシャントに捕らえられている。
ついに彼の住まう浮遊城の足元まで辿り着いたリンク達は先行班と後続班の二手に分かれたが、
エインシャントの城を遠隔操作で墜落させようとした後続班の前にガレオムが立ちはだかる。

かつて自分を罠に嵌め、再起不能にさせた上に主からの信頼も損なわせた憎き仇サムスを見つけ、
ありったけの憎悪を込めて一方的な暴力を振るい始めたガレオム。居合わせた2人では止めることができず、リュカは無線で助けを求める。
救難信号を聞きつけて10人のファイター全員が集結するが、それはガレオムの作戦であった。

新しく頭部に備えられた亜空間爆弾を起動させ、勝利宣言をするガレオム。
しかし、絶望的状況に陥ったことでルイージの"最後の切り札"が発動。ファイター達は間一髪で難を逃れるのだった。


マザーシップ操縦室。
どこか有機的なカーブを描く半楕円形の空間に、狐顔のパイロットが立っていた。

彼は腕を組み、険しい顔をしていた。
その見つめる前方にあるのは外の景色を映し出したモニタ。探査に出した超小型機が送ってよこしたカメラ映像だ。

そこには、灰色の雲を引き連れて浮かぶエインシャントの城の遠景が映し出されていた。
大小のごつごつした岩塊が互いに無数の通路で繋がり、じっと見ているとそれらが連なったままゆっくりと自転していることが分かる。
翻って地上、迷宮は相変わらず丈の低く幅の広い円筒状の外観をみせて大地に広がっていたが、その中央からは黒紫色の球体が顔を出している。
ガレオムがその身を犠牲に生み出した空間の裂け目、亜空間だ。

迷宮の内縁までを削り取ったところで亜空間は膨張を止め、静止していた。
フォックスが気にしているのはそこではない。その中央にかつてあった機械のことだった。
斥力を発生させ浮遊城を支える球形の装置は、すでにその中心に取り込まれているはずだった。

「なんで落ちてこないんだ?」

傍らに立ち、同じく腕を組み眉間にしわを寄せて映像を見ていたマリオが聞いた。

「あの真ん中にあった装置が城を浮かせていたなら、そろそろ落ちてきても良いはずだ」

「俺の予想が正しければ……城は落ちない」

顎を引きモニタの中央に居座る城を上目遣いに睨みつけて、フォックスはそう答えた。
目を丸くし、問いかける顔でこちらを見上げてきた相手に彼は続ける。

「聞きかじりの知識だが、宇宙を成り立たせる現象には各々それを伝達する素粒子があるという。電磁波ならフォトン、といったようにな。
そういった素粒子の中には余剰次元、簡単に言うと俺達の立つ次元の外側を通れるものもあるらしい。
引力と斥力を発生させるグラビトンの類もその一つだ、と言われている。
あの装置がグラビトンを操る機械だったなら、そのビームは亜空間を余剰次元の方向から突き抜けて城に当たっているのかもしれない。
……まぁ、あくまで推測だがな。そうとでも考えないとこの状況に説明がつかないんだ」

帽子の上から頭をかき、マリオはその答えを自分なりに理解した。

「ふーん……つまり抜け穴を通って持ち上げる力が働いていると、そういうわけか。
そして、落ちてこないってことは装置もまだ無事ってわけなんだな?」

依然として厳しい表情をモニタに向け、フォックスは頷いた。

「おそらくな。ガレオムは装置との距離が最小になる位置で爆弾を起動させていた。
取り込まれた正常な空間がその端から亜空間化すると仮定すれば、中心にある装置が機能停止するまでどのくらい掛かるのか……」

「ここから装置を止めることはできないのか?」

「サムスが試していたが、制御システムはエラーを返すだけだった。すでに装置は存在していないと、そう回答したらしい」

「うーん、通信に使われてる電波やなんかは亜空間を通り抜けられないってことか……?
仮に俺達で中に入って機械を壊したとしても、捕まっているブラザーズもろとも城が落っこちてくる。しかも、あの亜空間の真上に。
それじゃあ意味がない。……まったく、これ以上はない完璧な防御を取られたな」

"まったく"を言うところで、彼は溜まっていた疲労を吐き出すようなため息をついた。
フォックスも厳しい表情のまま頷き、声のトーンだけを落としてこう返した。

「ガレオム。彼はまさに、エインシャントの忠臣だった」


  Open Door! Track42 『What's it for』


Tuning

光を求めて

水底から引き上げられるような感覚があって、サムスはふと目を覚ました。
そこで初めて、今まで自分が眠っていたことに気がついた。

「……」

反射的に起き上がる。
ついた手はパワードスーツに包まれており、緑色のバイザーの向こうには見慣れた光景が映っていた。
白い壁の狭い部屋。そこはマザーシップの医務室だった。

――そうだ、私は船に戻ってきて……

無意識のうちに額に当てようとした手が、かつ、と音を立ててヘルメットに遮られた。
中途半端な格好のまま、彼女はここに来るまでの記憶を思い起こす。

ガレオムが斥力発生装置を巻き込んで自爆したのち、彼女は再び管理センターの人工知能にアクセスして装置の停止を試みた。
だが無情にも返ってきた言葉は『タイムアウト』の一言。亜空間を越えて装置が返答を返すことはなかった。
他に何かあの城を落とす方法は無いのか試しておきたかったが、
頭上の亜空間が時間と共にじわじわと広がりつつあったため、あの場を立ち去らなければならなかった。
彼女は他9人のファイターと共に、行きに通ってきた粒子加速装置の整備トンネルを抜け、地上に停まっていた偵察船に乗って脱出した。
あの時はなぜ偵察船が地上側にいたのか分からなかったが、おそらくは亜空間爆弾を感知した船載AIの判断で外へと退避したのだろう。

その先はどの道をどうやって走っていったのか。記憶が曖昧になっている。
おそらく自分以外の誰かが船を運転していたのだろう。その間自分は、もしかすると車内に寄りかかってうつらうつらとしていたのかもしれない。
マザーシップについた辺りでマリオかフォックスあたりがこちらを心配して、どちらかに医務室に引っ張っていかれたような記憶がある。
医務室に一人で置いておかれ一度は起き上がろうとしたのだが、まだベッドの上にいるところをみるとどうやら眠気に負けてしまったらしい。

思っていたよりも、疲労は蓄積されていたのだ。
今までずっと慢性的な忙しさが続いていたために、いつしか自分が疲れていることさえ気がつかなくなってしまった。
それに倒れて初めて気がつくとは、いつもの自分らしくない。

目を閉じ、静かにため息をつく。
自分らしくないといえばあの時もそうだ。ガレオムの頭部鎧に登ってハッキングを試みたあの時。
普段ならガレオムが目を覚ましかけていることに気がつけたはずだ。それがマリオに声を掛けられて初めて知った。
疲労のあまり判断力が鈍り、視野が狭くなっていた良い証拠だ。

――これでは人のことをとやかく言えないな。

だが、久々にちゃんとした寝床で睡眠を取ったことで気分はいくらか良くなっていた。
何しろこの世界に来てからこの方、ろくな場所で眠った試しが無かったのだ。操縦席だの、ミーティングルームの椅子だの。
どんな時であっても、第一に考えるべきは自身のコンディション。それさえ忘れてしまうほど、今までの自分は切羽詰まっていたのだろう。

彼女が次に目を開いた時には、既に感情を切り替えている。
あれからどれほどの時間が経ったのか、そして仲間達は今何をしているのか。状況を把握しようと彼女は医務室のパネルに手を触れた。
皆がどこにいるのか、およその見当はついていた。

程なく、それに応えて目の前の壁面に映像が浮かび上がる。
中央に穴の開いた円卓。似たような円を描いて頭を付きあわせるファイター達。
それはミーティングルームを真上から見下ろした光景だった。

「さて、これからどうする?」

所変わって、当のミーティングルーム。
円卓に向けて発せられたマリオの言葉は、備品の箱も椅子として持ち出すほどの混雑ぶりとなった室内に投げかけられたものだった。
しかし、なかなか返答はかえってこなかった。誰もかも腕を組み、あるいは目の前の白い机をじっと見つめて考え込んでいるのだ。

用意周到に準備していき、臨んだ試合が土壇場で仕切り直しになったようなものだった。
浮遊城の真下に亜空間ができたことであらゆる細々とした状況が変化し、計画の基礎となる条件も変わってしまった。
今まで立てた作戦はほとんど破棄せざるを得ず、また最初から、当面の見通しを立てるところからやり直さなければならない。

「まずはどうやって城に入るか、だよな」

少しでも発言を引き出そうと、マリオは方針を絞り込んだ。

「そうだな……」

眉間にしわを寄せ、深くため息をつくようにしてフォックスが応えた。
次いで、目を開くときっぱりとこう続ける。

「輸送機に潜り込んで密航する方法は諦めたほうが良い。
中継地点となっていた城の直下が潰されたことで、プレートのルートが大きく変わってしまっている。
今ではどうやら各機、それぞれ城に直行するようになっているようだ」

それに対し、リンクが驚いたように目をみはり円卓に身を乗り出す。

「城に真っ直ぐ行くようになったってのは良いことじゃないのか?」

「いいや。エインシャントのことだ、ただ単にルートを変えただけじゃないだろう。
中継地点が使えなくなったことで今までより一層警戒を強めているはずだ。
城に着く前に全機検問を通し、プレートの隅々まで調べさせていてもおかしくはない」

それを聞くと、ルイージは腕を組み眉を寄せた。

「それが空中なら、僕らの逃げ場はないな……」

フライングプレートが城に近づいたところで、向こうから人形兵をどっさり詰めた出迎えのプレートがやってきて横付けする。
そこから兵士が乗り移り、しらみつぶしにプレートの表から裏、操縦室の中まで確かめていく。そんな想像がありありと浮かんでいた。

一方で、ピットはきりりとした表情と共にこう発言した。

「でも、その分手間も掛かりますよね。
相手がいくら用心深くても、注げる兵力には限界があります。どこかに必ず、守りの薄い場所が出来ているはずです」

「盲点。検問を一カ所に限っているならばその反対側か」

椅子の座面に立ち、マントに身を包むメタナイトは瞑目したままそう言った。
隣に座るフォックスも、「それだけじゃないぞ」と皆に呼びかける。

「この世界にある相手方の工場は、確認できる範囲で7割方潰されている。
あの空飛ぶ要塞の中にも人形を作る設備はあるようだが、効率の面では落ちるはずだ。
多少荒っぽい方法で押し切るのも場合によってはありかもしれない。俺達に残された時間はそう長くないからな」

「と言うと、突撃か?」

にやりと悪戯っぽく笑い、下から見上げるようにしてマリオはフォックスに尋ねた。
こちらも示し合わせたような企み顔の笑みを返して彼は答えた。

「ああ。対空戦に関して相手に人形兵以上の戦力がないことは分かっている。
それだけじゃない。工場が減っている今、俺達がここに来たときほどの物量戦はもう掛けられなくなっているはずだ。
みんなには偵察船に乗ってもらい、それを俺がアーウィンで援護する。
敵の策も分かっているし、もう妨害するものもない。三度目の正直だ。今度こそ墜とされずにやってみせるさ」

そこで、ピーチが小首を傾げて心配そうに言った。

「私達のコピーが出てきたら? それでも大丈夫なのかしら」

「新型兵は対ファイター用として作られただろうから、突入時に限れば心配は要らないと思うな。
多少硬いくらいで、できることは他の人形兵とそう変わらないだろう」

「うん、ふねに乗っかられなければだいじょうぶだね!」

そう明るい声で相づちを打ったカービィの横顔に、隣のメタナイトが無言のまま複雑な視線を送っていた。

「そしたら今度は乗り込めたあとどうするかだよな」

リンクはそう言って、円卓の中央に浮かぶ地図へとさらに身を乗り出し目を凝らした。
ここにサムスがいない今ホログラムを操作できる者はいなかったが、
彼の様子を見た船内AIが意図をくみ取ったか、灰色の地図は中央の浮遊城へ向けてクローズアップされていった。

「まず、どこに船を着ける? どうせなら勢いのまま突っこんでって城のどこかに入り込みたいよな」

リンクのその言葉を聞いたルイージは、眉を八の字にして少し怖じ気づいたように言った。

「僕としてはどこかに向こう側での足がかりを作っておきたいところだけど……。
でも、もう城の中に入っちゃったら行ったり来たりできるような時間もないのか」

マリオがもっともらしい顔をして腕を組み、大きくゆっくりと頷いた。

「そうだ。ぐずぐずしてたらまたエインシャントが何か仕掛けてくるかもしれない。
しかし、良いアイディアが浮かぶのはリラックスしている時と決まってる。
エインシャントは俺達を仕留め損ねて相当焦ってるはずだ。つまり、今がチャンスってことさ」

「やぶれかぶれって言葉もあるんだよ、兄さん」

否を唱えると言うよりはただ単にツッコミを入れるような口調でルイージはそう言った。
それに対し兄は余裕綽々の表情で明るくこう返す。

「なーに、焦ってる時に出てくる考えは大抵的外れなものさ」

2人のやりとりのそばにいるフォックスの表情は、それほど楽観的ではなかった。

「俺達も、どっちかと言えば余裕は無いがな……」

すでに捕らえられた仲間はエインシャントの元にある。
デュオンの言っていた不完全性、おそらくは自意識の封印が解けてしまうことの原因がいつ突きとめられるのか。
こうしている間にも"駒"となったファイターが再改造を受け、エインシャントの野望を叶えるためにどこかへ飛ばされてしまうかもしれないのだ。

血気はやり、今すぐにでも浮遊城へ飛び込もうと主張する者。
一歩手前で立ち止まり、彼らの提案する作戦にほころびがないかどうか吟味する者。
意見が飛び交い熱気あふれるミーティングルームに、不意に柔らかなブザー音が響いた。

誰もが口を止め、天井を見上げる。
ホログラム投影装置の青白い光の彼方から、人工の声がニュースを読み上げるように事務的な口調でこう伝えてきた。

”ゼロポイント『浮遊城』を中心に半径500単位で事象素の密度が上昇しました。
予想される水平視程は9割の減少。船内の機器は現在オールグリーン、事象素による障害は確認されておりません”

それと共に、円卓の真ん中に浮かぶホログラムも現状を反映して書き換えられていった。
首都跡の上空あらゆる方角から中心に向けて、白く輝く帯がいくつも集まってくる。
帯は寄り集まって大河となり城の上空で合流すると、そこから示し合わせたかのように裾野を降ろし、
ついに城の一帯をすっぽりと覆い尽くしてしまった。

降りしきる雪によって再び隠されてしまった浮遊城。
今度はカモフラージュなどではなく、緩い円錐形に降りた分厚いとばりは明確な拒絶の意思を示していた。

ミーティングルームはすっかり静まりかえっていた。まるで今日の振り出しに戻ってしまったかのように。
8人はそれぞれの反応を顔に表し、そのホログラムを見つめていた。
やがて、白い眉を寄せてフォックスがこう呟く。

「よっぽど近寄って欲しくないらしいな……」

「こんなに曇ってて飛べるのか? フォックス」

真剣な顔をして問いかけたのはリンクである。
しばらく黙って考え込み、フォックスはこう答えた。

「短時間なら飛べないこともない。この状況を逆手に取れば奇襲にも使えるだろう。
……だが、相手が何を企んでいるのかが気がかりだ」

彼が何を案じているのか、同じくらい身にしみて分かっているリンクは難しい表情をして頷いた。

「確かに、また何か隠してるかもしれないしな……」

ミーティングルームでの会議の内容はカメラに付随した集音マイクによって監視網に乗り、医務室にも届けられていた。

煮詰まってしまった仲間達の様子を俯瞰で見つめ、サムスもまたベッドに腰掛けたまま腕を組み、じっと考え込んでいた。
かといって、ここを出て議論に参加する素振りもない。彼女にもあれ以上に良い案があるわけではなかったのだ。
それに大筋は決まってきている。立ちはだかる課題は大きいが、これだけの人数がいれば自ずと名案も出よう。

彼女が気にしているのはむしろ部屋の中にある空白であった。
ミーティングルームには、椅子の形をしていないものもあるが10人分の席が用意されている。
今、そのうち空席は2つあった。1つはもちろんサムスのもの。だがもう1つは。

そう、会議の場にはリュカの姿が欠けていた。

橙色の鎧に包まれた手が傍らのパネルに触れる。一定のリズムを置いて、壁面の映像が切り替わっていった。
船内のあらゆる部屋に置かれた監視カメラ。廊下から操縦室、備品室から格納庫まで。
一つ一つ、油断のない瞳でつぶさに観察していたサムスの手が、はたと止まった。

浮遊城を中心に突如として始まった純白の猛吹雪。
これに戸惑ったのはファイターばかりではなかった。

円に半ばまで切れ目を入れたマーク、その外周をなす構造である『リム』の一角に立ち、デュオンは濃霧の彼方へと目を凝らしていた。
リムは不格好な大岩をいくつも数珠つなぎにしたような外見をしているが、地面に当たる上面はそれなりに平らに整えられている。
彼らの立つ区画は空母の甲板を何枚も重ねたような、鱗鎧にも似た地面が広がっていた。

デュオンが見据える向こう側、吹雪の中から芥子粒のような点が浮かび上がる。
アイセンサを持ってしても見通せない事象粒子の濃霧、それを切り裂いてまた一陣のフライングプレートがやってきたのだ。
すぐさま、こちら側から何体ものファウロンがプリムを乗せ、飛び立っていく。

霧の向こう、ファウロンの隊列がフライングプレートを静止させ、プリム達が機体に飛び移ってくまなく積み荷を確かめる様子がぼんやりと見える。
新しく命じたことをそつなくこなしていく兵達の様子を注視するデュオン・ソードサイド。
一方背後のガンサイドは何事か憂う顔をして目を伏せていたが、ふとその顔を上げる。

彼の見上げる先は世界の中心。すなわち、エインシャントの住まう城があるべき場所だった。

宙に浮かび、そこから更にはるかなる高みへと手を伸ばす、主の抱く意志を形にしたかのような姿。
かつて雲を割りその威光を示したとき、この世界に住んでいた者共は皆恐れをなし、己の矮小さを悟ったものだ。
だが今は主ともどもその身を深い霧の中に隠し、一向に現れようとしない。

それは、右腕たるデュオンに対しても同様であった。

数刻前、エインシャントは次の命令があるまでその場を離れぬようにと彼らに告げて一方的に世界の維持を止めた。
壊され用済みとなった工場、すでに打ち棄てられた廃墟、もはや住むもののない森、そしてそれを載せる大地そのものまでも。
灰色の世界はついに辺境の地から崩壊を始め、ゆっくりと縮みはじめていた。

それだけならばまだ良い。終局に近づいている今、もはや広い舞台を整えておく必要はないのだから。
だが結果として放出された大量の事象粒子を、主はあり得ないほどの密度で一点に集中させはじめた。
あまりの量に光も音も干渉を受けて通過できず、兵はもちろんデュオンまでもが主との繋がりを断たれてしまっていた。
ファイターの侵入を警戒しているのだろうが、これでは防衛するこちら側にまで不都合が生じてしまう。

それに何よりも、あの亜空間爆弾である。

何の報告もないまま城の直下で爆発が起きたとき、デュオンは思わずリムの縁に走り寄り、はるかな下の廃墟を見下ろした。
こちら側にまったく被害がないことはその後すぐに調べに出したプリム達の報告で分かったが、
あの爆弾がどこから持ち込まれたものなのかは結局分からずじまいだった。
工場から城に運び込まれた爆弾の総数は命じた数と合っており、こちらから起爆要員としてロボットが出動した形跡もなかった。
もっとも、城下に転がっているロボットの数を把握している者などいないのだが。

残党のファイター達が地上の廃墟に放置されているロボットを拾ってエネルギーを与え、
どこかからくすねてきた爆弾を起爆させたとも考えられるが、それではあんなに離れた場所に仕掛ける理由が分からない。
おそらくこの爆弾騒動はデュオン達よりも上の存在、エインシャントの一存で決められたことなのだ。

今すぐにでも、デュオンは微粒子の壁を越えて架け橋を渡り、主に理由を問いただしたかった。
なぜ霧の中に全てを閉ざしてしまったのか。なぜ城の真下で亜空間爆弾を使ったのか。
だが、少しでも持ち場を離れればもう二度と主の信は得られないだろう。彼らは今までに度重なる失態を犯していた。
幾度となく叱責されても彼らの忠誠は変わらなかったが、主を思えばこそ今は侵入者の撃退に集中すべきだった。

それでも、彼らは思わず空を見上げて嘆息する。

――我等が主、いったい何をお考えなのです……。

遠い眼差しを天上のかすかな光に向け、ガンサイドは心中秘めて問いかけた。
舞い散る光の粒子は空をも霞ませ、天球の弱々しい輝きはその中にほとんど呑み込まれてしまっていた。

白く清潔な光に包まれたマザーシップ船内通路。
窓もなく静かな廊下を、俯き加減に歩いて行く少年の姿があった。

「どうした、リュカ」

後ろから声を掛けられて、彼はびくりと肩をすくませた。
少しの間があって少年はこちらにいつものおとなしそうな、見ようによっては自己主張の少ない表情を向ける。
声を掛けた者の顔を見上げ、彼はちょっと目を丸くした。

「……あっ、サムスさん。もう大丈夫なんですか?」

「私のことは心配するな」

そう言って組んでいた腕をほどき、サムスはこちらに歩いてきた。背後で医務室の扉が音もなく滑るように閉まる。

「それより君のことだ。今までどこへ行っていた?」

咎める様子もなく穏やかに、しかしある程度たしなめるような口調で彼女は聞いた。
対し、リュカは自分の行こうとしていた方角を向いてぽつりと答えた。

「……その、トイレです」

「ずいぶん長いトイレだったんだな」

片足に体重を預けて立ち、サムスはそれだけを言った。リュカはじっと向こうをむいたまま口をつぐんでいた。
彼が嘘をついているのは分かっていたが、サムスはそれ以上問いただすことはしなかった。
代わりに彼女はこう言った。

「もうすぐエインシャントの本拠地へ向かう。それは君も分かっているな」

何も言わず、まだばつの悪そうな顔をしてリュカはこちらを見ないまま頷いた。
バイザーの陰で少し首をかしげ、サムスは上からリュカの横顔を観察するようにして尋ねる。

「君も何か考えを持っているのなら、皆に言ってみたらどうだ?」

こちらをうかがう様子のサムスを見上げ、リュカはこう答えた。

「いいえ。僕には、何も。良い考えが出なくって。
こういうのは苦手で……だから、みんなに任せます」

こちらを見上げてきた顔にはもう、先ほど一人で廊下を歩いていた時のような陰りはない。
わずかに浮かんでいた悲しげな色も、おとなしげな表情の向こうにすっかり隠されてしまっていた。

見えない仮面を被る少年と、緑色のバイザー越しに相手を見つめる戦士。
一方は心の奥を探られることを拒み、一方はその向こう側を望み本音を見いだそうとしていた。

お互いに何も言わず視線をかわす2人。廊下の向こう側で、出し抜けに壁際の自動扉が開いた。

赤い帽子を被ったヒゲの男がひょこっと顔をのぞかせる。
廊下に立つ鎧姿を認め、彼は意外そうな顔をして目を瞬いた。

「あっ、もう起きてたのか! 大丈夫か……って言っても、その様子なら大丈夫そうだな。
ちょうど良い。サムス、ちょっとこっちに来てみんなの話を聞いてくれないか。やっと作戦が固まってきたんだ」

「分かった。今行く」

そう答えてサムスは歩き出した。きっぱりと、後ろを振り返ることもなく。
一人残されたリュカも逡巡の後、そのあとについていった。

浮遊城外縁部。
エインシャント達がリムと呼ぶ円周部分では、立ちこめる霧の中様々な兵種の人形達がせわしなく動き回っていた。
戦闘員の小隊が集団ごとにそれぞれの配置に向かい、その隙間をすり抜けるように火器を抱えた整備兵が急いで走っていく。

降り始めの頃に吹き荒れた風は収まり、事象粒子の降り方は猛吹雪からぼた雪へと移り変わっている。
それでも相変わらず密度は尋常ではなく、五里先も見通せない白一色の中、人形兵は危ういところですれ違っていた。
時には避けきれずにぶつかり、荷車に載せて運んでいた武器を地面にばらまいてしまっている者もいる。

言語をなさない不平の呟きらしきものが至る所からくぐもりながら聞こえてくる中、デュオンのみが微動だにせずその場に待機していた。
指示を出し切り、準備を整え、彼らは待つべきものをただひたすら待っていた。

ひるがえってジャイロシティ地下。崩落した天井の大穴からはるか上空の浮遊城を望む地下街跡にて。

マザーシップが停泊しているエリアはちょっとした広場のようになっていた。おそらく昔は憩いの場になっていたのだろう。
枯れきった噴水、白く埃を被ったベンチ。横倒しになった鉢植えにはすっかり乾燥して白くなった木が辛うじて刺さっている。
相変わらず気の滅入るような光景だったが、今は複数の人影が密集しているだけ少しはましになっているかもしれない。

マザーシップは格納庫側のハッチが全開になっており、そこから節足動物が直立したような姿の作業ロボットがひっきりなしに出入りしている。
いつもと違うのはファイター達もそこに肩を並べて作業に加わり、鋼材を運んでいることだった。

おおよそ2人がかりで一つの鋼板や柱材を持ち、格納庫から外の広場に運び出していく。
そうでない者も広場に散らばり、手分けしてベンチやら机やらを脇にどけ、作業スペースを広げていた。
その中央では何かボウルを伏せたようなものが組み上がりつつあったが、
作業はまだ始まったばかりらしく、今の時点では何を作っているのか見当もつかない状態だった。

白黒格子のタイルは何百年かぶりの歩行者にそれぞれの靴に応じた足音を返し、
降り積もった細かな砂埃も、ファイターが行き来するたびに少しずつ擦り取られていった。
往時の賑やかさには敵わなくとも、地下街は彩りの上では華やかさと活気を取り戻していた。

重い物を持ち上げようと合図する掛け声、近くにいる者に応援を頼む声、何とはなしの他愛ない雑談。そこにときおり笑い声も混ざる。
正午を越えて少しずつ暮れ始めた白い空の下、ファイター達は各々の体力に合わせた仕事をこなしていく。
見通しが決まり現時点で達成すべきことがはっきりとしたことで、彼らの顔にはそれぞれに活気を持った明るい表情が現れていた。

「せぇーのっ!」

しゃがみ込んだ姿勢から互いに息を合わせ、リンクとカービィは鋼板を持ち上げた。
若干の身長差があるためにカービィは頭の上に手を挙げた格好になっているが、気にせず先頭を執って運搬をはじめた。

長机ほどの大きさがある厚めの板を持ち、えっちらおっちらと運んでいく小柄な2人。
向こうから、入れ替わりでまた船から資材を持ってこようと走ってきたルイージがそれに気づき、声を掛けてきた。

「大丈夫? 手伝うかい?」

が、重みで少しへしゃげているカービィは板の下からにこっと笑ってこう返す。

「へーき、へーき!」

しんがりのリンクも威勢良く首を振って前髪を払い、負けじと明るい声で言った。

「これくらい何ともないさ! なんせ、おれ1人で人担いだこともあるもんな」

ルイージに見送られつつ、2人は作業場所へと歩調を合わせて歩いて行った。

作業ロボットの近くまで行くと、相手は向こうからやってきてアームを伸ばし鋼板を受け取ってくれた。
2人がかりで運んできた板をロボットは軽々と持ち上げ、キャタピラをカタカタ言わせて自分の持ち場に戻っていく。
その様子を揃って眺めていたリンク達の視線は、自然と目の前で組み上がりつつある構造物へと向けられていった。

ちょっとした小屋ほどもある金属のドーム。
それは天辺から全体的に少し押しつぶしたような形をしており、ところどころがまだ窓のように四角く穴が開いている。
見ている間に、先ほどの作業ロボットが穴を鋼板でふさぎ、いくつもあるアームの1本から青白い炎を出して溶接していった。

それを見ていたカービィがふと声をひそめてこう言った。

「いま中に入ったら、おこられるかな」

「怒られるに決まってるだろ。今はまだ作業中なんだからさ」

腕を組み、兄さんぶった口調でリンクはそう返す。
しかし、一旦思い立ったらやってみたくて仕方がないらしい。カービィは諦めきれない顔で鋼鉄のかまくらを見つめていた。

「でも入ってみたいなぁ~」

「2人とも」

不意に背後から声を掛けられて、リンク達は後ろを振り仰いだ。
カービィの方はさすがに驚いたように目をぱちくりさせていたが、
声を掛けた本人、サムスは彼の言っていたことには気づかなかった様子で2人を交互に見て、こう尋ねた。

「リュカは来ていないのか?」

すぐに、リンクが肩をすくめてこう返す。

「ああ。あいつあんまり力仕事したことないみたいでさ」

「たぶん、だいどころでピーチひめのおてつだいしてるんじゃない?」

2人の答えを聞き届けると、サムスはわずかに声のトーンを落として言った。

「そうか……」

ため息のようにして呟かれたその言葉のニュアンスは、リンク達では掴むことができなかった。
怪訝そうに顔を見合わせる2人を後に残し、サムスは日陰に停められたマザーシップの方へと戻っていった。

格納庫側のハッチから船内に入ろうとしたサムスは、そこでふと顔を上げる。
優雅なドレス姿で昇降タラップに足をかけた相手もちょうどこちらを認めたところだった。

「あら!」

そう言ってから、ピーチは両手に持ったトレーをちょっと上げてみせる。

「ちょうどお茶が入ったところよ。あなたも休憩しない?」

ティーポットと伏せられたカップの3つまでは彼女の自前のものだったが、
残りの雑多なカップは船の備品であり、それを載せるトレーもよく見ればクリップボードを裏返して使っているのだった。
いかにも間に合わせのティーセットであったが、ここまで堂々と持たれると不思議とこれで正しいように思えてくる。

「ああ。後でもらおう」

いったい彼女はどれだけの茶葉を持ち込んでいるのだろうと思いつつ、サムスはそう返した。
そのまま姫の傍らを通り過ぎかけて、ふと立ち止まる。
振り返ると、彼女を呼び止めて短く尋ねた。

「リュカを見なかったか?」

こちらに顔を巡らせた姿勢で小首をかしげ、ピーチはちょっと困ったような顔をしてこちらを見つめ返す。

「いいえ」

そう言ってから、彼女はドレスの裾をゆったりと回すようにして改めてこちらに向き直った。

「もしかして、何かあったの? てっきりみんなと一緒に出ていると思っていたのだけれど」

察しの良い彼女は、心配そうに眉を曇らせてそう尋ねてきた。
対し、サムスはあくまで緑に光るバイザーの陰に心情を隠し、声にも表さなかった。

「いや、ただ単にはりきりすぎただけだろう。
リンクから彼が船に戻っていると聞いて、確認したまでだ」

そう言ってきびすを返し、サムスはタラップを上りはじめた。
その背になおも案じるような視線が向けられていることに気づいたのか、彼女は途中で足を止めると、そのまま振り返らずに言った。

「彼は私が様子を見る。
君は紅茶が冷めてしまわないうちに、皆に休憩を呼びかけてくれ」

その低く穏やかな口調に、ピーチははっと我に返ったようになって目を瞬く。

「そうね……それじゃ、あなたに任せるわ」

サムスは彼女を見送らなかったが、
それでも後ろで相手が気持ちを切り替えて皆の方に向き直り、明るい笑顔で呼びかけようとする姿が想像できた。
少し遠ざかったところで実際に仲間を呼ぶ彼女の声が聞こえたところで、サムスは再びタラップの段を上っていった。

視界の先、格納庫の中は眩しいほどに照明が効いていたが、その方角をまっすぐに見据える彼女の表情はいつにもまして硬かった。

少年はたった1人で座っていた。

船外の賑やかさは何層もの鋼板に遮られ、彼のいるエンジンルームには届かない。
代わりに4基のリアクターが立てる、遠雷のようなゴロゴロという低音が狭い室内に満ちていた。
耳に重苦しいその音は長く聞いていると徐々に聴覚が麻痺してきそうなほど単調だったが、
少年の顔はそんなことなどまるで気にしていないかのように、ただ寂しげな表情だけを浮かべていた。

故郷でも彼はこうして1人でいることが多かった。
心を閉ざせば何も考えずにいられた。昔のことも、そしてなぜ自分が1人でいるのかさえも。

初めのうちこそ、タツマイリ村の人たちは変わってしまった彼を案じ、声を掛けてくれた。
しかし、彼が何も答えないでいるうちに1人また1人と遠ざかっていった。皆それどころではなくなってしまったのだ。

いつの間にかあらゆる品々を買うときにカネというものが必要になり、同時に村にものがあふれはじめた。
どこからともなくもたらされる素敵な商品を買って家に飾り身に纏い、豊かにシアワセになるために、村の人たちは必要以上に働くようになっていった。
何も用事が無いのに常に忙しそうにして、朝早くに列車に乗って仕事をしに行き、夜が更けるまで村に帰ってこない。

彼らの顔にあるものは笑顔だったが、少年にはそれがどこか嘘っぽく、空虚で浮かれたものに感じられていた。
終わらない綱渡りを続け、目まぐるしいスピードで村は町へ、街へと発展していく。
自分はなんてシアワセなんだと言いながら、些細なことで争い、貶め合う大人達。張り合う子供達。
そんな光景を眺めながら、少年は3年前に取り残された風景の中でじっと佇んでいた。

物思いにふけっていた少年はそのために、誰かがこちらに近づいていることに気がつかなかった。

はっと顔を上げると、エンジンルームの扉はすでに開いており、戸口には橙色の甲冑が立っていた。
彼女は立ち入り禁止区域にいることを咎めるでもなく、天井のあたりを眺めてこう言った。

「なるほど、AIを説得したのか。道理で警報が鳴らなかったわけだ」

全身に武器を備えた鎧から目を逸らすこともできず、すっかり固まってしまっているリュカ。
彼が目を丸くして動けなくなっていることはまったく意に介さず、サムスはいつもの落ち着いた口調で言った。

「君はずいぶん器用なことができるんだな」

それは皮肉や揶揄を言っているのではなく、彼のなしたことに本心から感心しているのだった。
今は共に旅をして時間が経っている。
子供だとはいえ、彼女はリュカがエンジンにいたずらをしようとしてここに忍び込んだのではないことくらいもう分かっていた。

返す言葉が見つからず、少し赤くなった顔を伏せるリュカ。
胸がどきどきいっていたが、それは不意を突かれて驚いたからなのか、思わぬところで褒められて照れたからなのか自分でもよく分からなかった。

金網の張られた床に靴音を響かせて、サムスがこちらに歩いてきた。

「いつから、ここに隠れるようになったんだ?」

「……け、けっこう前です。あの、水に街が丸ごと沈んでたところで……」

やっとのことで、リュカはそう答えた。か細い声は最後の方で消え入るようにしぼんでいった。

リュカ達にとって大きな転換が起きたのは、あの街でのことだった。
主にリンクの活躍で、自分たちのような子供も今後の方針に口を出せるようになったのだ。
そのことは素直に嬉しかったが、いざ実際に会議に出てみると自分が何ら良い意見を出せないことに気がついてしまった。
活発に発言する他の仲間達と同じ場所にいながら、彼は少しずつ焦りと疎外感を募らせていった。

なぜこうまで考えが浮かばないのか。
悩んだ末に思い出したのは、そもそも自分はこれまでに作戦を立案したことがなかったのだということ。
ここに来てからはずっと、誰かの言うがままに動いてきた。時には自分で何かを言うこともあったが、率先して主張することなどほとんどなかった。
他にも、彼は様々な理由から仲間との隔たりを覚えるようになっていた。

そんな自分の不甲斐なさが情けなくなって、彼は仲間から距離を置き1人になれる場所を探しはじめた。
何も考えずに開けた扉の向こうにあったのは、金網とパイプに囲まれた巨大な機械。
エンジンルーム。以前リンクと一緒に入り込んで怒られた場所だ。
それに気がつき慌てて引き返そうとしたところで、天井から声が飛んできた。

"警告。あなたはこの区画への立ち入り許可を得ていません。すぐに立ち去りなさい"
そう言って、姿の見えない船の頭脳は天井からカメラアームを引き出し、素早くこちらに向けた。
それがまるで銃のように見えて、リュカは頭を手で庇いつつ半ば無意識のうちに、相手にこちらの意思を返していた。
攻撃しないで。ここにあるものには絶対に触らないから、と。

恐る恐る目を開けると、天井にするするとアームが引っ込んでいくところだった。
つまみ出されもせず、船内に警報が響き渡ることもなかった。

「確かにここなら誰も来ないだろう」

サムスはそう言って、リュカの隣に腰を下ろした。
2人がベンチ代わりにしているのは床面を走る配管で、
大人にとっては少し丈が低く、彼女は横の配管に左手をつくと曲げた膝に右腕のアームキャノンをあずけた。
銃口は誰もいない壁の方に向けられている。

そうして、相手はしばらく黙っていた。
彼女からは尖った感情は感じられなかったが、それでも言いようのない威圧感を覚えてリュカはちらちらと相手の顔をうかがっていた。
いったい彼女は何をしようとしているのか。何を考えてここに来ているのか。
しかし、相手の心はまるで凪の海のように穏やかで静かだった。しいて言えば、その空に愁いを帯びた雲が懸かっていることが気になるくらいだ。

リュカが言いようのない気まずさを覚えている一方で、サムスはふと思い出したようにこう聞いてきた。

「皆のところへは行かないのか?」

「僕は……」

口をついて出かけた言葉を、リュカは首を振って遮った。

「……ごめんなさい」

「謝らなくても良い。君なりの理由があってのことだろう。
……君には何か気がかりなことがあるようだ。そしてそのために、君は踏み出せずにいる」

そこでサムスは一旦口を閉じ、エンジンルームの扉へと顔を向けた。つられてリュカもそちらを見る。
扉はしっかりと閉ざされ、施錠を示す赤いランプが点いていた。

「作業にはまだ時間が掛かるだろう。誰かに聞かれる心配もない」

そうして彼女はこちらを振り向いた。
扉の方を眺めていたリュカと視線がぶつかる。陰になったバイザーは発光をひそめ、本来の顔立ちがその向こうに表れていた。
見るものの目を捉えて放さない怜悧な瞳。真剣な表情で、サムスは声を改めると言った。

「……聞かせてくれ。君が何を案じているのかを。
私は君を、このままにはしておけない」

その言葉にリュカははっと目を丸くした。

彼女の口調はその表情と同じくらい真っ直ぐなものであり、こちらが悩みを抱えていることをもっと前から気づいていて、
その上でどう対処すべきかを考え抜いてきた、決して短くはない時間を思わせる言い方だった。

リュカは顔を俯かせて床を見つめ、その金網の一点に視線を落とす。
どれだけ相手が本気で心配しているのか、そしてどれほどの覚悟を胸にここへやってきたのか。
心を感じることのできる彼にははっきりと分かっていた。

眉間にしわを寄せて目をつぶり、そして決心を付ける。

「僕は……。
正直に言うと僕は、恐いんです」

語るのには相当の勇気が必要だった。
今までずっと黙っていたことを口にするのはひどく辛く、それでも語り始めたからには最後まで話さなくてはならなかった。

「何が待っているのか、僕らは勝つことができるのか……そして、みんな揃って帰れるのか。分からないことばかりで。
僕は……みんなが笑い合ってるのが信じられない。
いつ、誰がいなくなっちゃうか分からないのに、なんで……なんでそんな平気な顔をしてられるんだろうって」

もう一つの疎外感。仲間から距離を置くようになった理由。

彼が感じる違和感は日に日に募っていた。特に、目指すエインシャントの城が目前に現れてからは。
内心で強い恐れを抱くリュカをよそに、みんなはいつもと変わらない調子で話し合い、先を見据えて来るべきものを待ち構えていた。
敵がどう出てくるかを明日の天気と同じような調子で語り、楽しそうにしている人さえいた。

同じ空間にいながら、一人取り残されたような心地がして落ち着かなかった。
こんなに怯えているのは自分だけなのだろうか。おかしいのは自分なのか、それともみんなの方なのか。

これまで共に過ごしてきて、最初のうちこそ互いに遠慮のあった人とも打ち解け、今では本当に"仲間"と言える間柄になってきている。
それでも……いや、それだからこそ言い出すことができなくなっていた。
だからみんなの前では、特にリンクの前では自分の心を隠し、あえてみんなに合わせて笑顔を作っていた。
決着に向けて心を一つにし、立ち向かおうとしているときに水を差すようなことなど、できるわけがなかった。

隣で、サムスが心持ち顎を上げ、ヘルメットを上向かせた。

「皆、同じだ。程度の差こそあれ、こんな状況にいて恐れを感じない者などいない」

虚空の一点を見つめて、彼女は言った。
それは暗に、彼女も恐れを抱いていると告げるものだった。

驚いてこちらを見上げたリュカに目を合わせ、さらにサムスはこう続ける。

「恐れは自然な感情だ。危険から身を守るためには欠かすことができず、命ある者は全て恐れの感情を持っている。
だが、ここにいる皆はそれぞれに現実を、自分が感じる恐怖を受けとめている。
立ちはだかる壁の高さを知っていて、それでも今の仲間とならそれを越えられると信じている。だから逃げ出さずに済んでいるのだ。
心から笑っている者もいれば、内心では震えるほどの恐れを感じていてもそれを笑い飛ばそうと、仲間と肩を組み合っている者もいる。
……感情というものが見かけ以上に複雑だということは、おそらく君の方が良く知っているだろうな」

この言葉に、リュカは何を返すこともできず再び足元に視線を落とした。
確かに人の心を見つめたとき、そこには数え切れないほどの色彩が渦巻いている。
でも普段はどうしても一番目立つ色彩に気を取られてしまって、陰に隠された細かな感情までは読み取ろうとしていなかった。

彼らの心にあるあの前向きな輝きは決して根拠のないものではなく、
互いに互いを信じ合い、そして自らを信じることから来ていたのだ。

信じること。
リュカはわずかに顔を俯かせる。

「僕は、受けとめられない。分からないんです。この恐いって気持ちを、自分が乗り越えられるのか。
マリオさんは自分を信じろと言ったけど……あれから何度も考えたけど、やっぱり僕にはできそうにない。
……僕は」

そこで、彼は傍らの戦士を見上げる。
人工灯の白い光を背に受けてほのかに輝く、威厳に満ちた橙色の鎧。
逆光の中に黒く隠された表情。見えないその顔を一心に見つめて、リュカはこう尋ねた。

「僕は、みんなと一緒にやっていけるんでしょうか」

すがるように向けられたリュカの視線を、彼の甘えを、サムスは真正面から受けとめる。
そして、静かでありつつも妥協のない口調で返した。

「私が頷いたら、君は満足するのか?」

短くも鋭い問いかけに、少年は胸を突かれたように顔をこわばらせた。

言葉を失った彼に、サムスはあくまで冷静に語りかける。

「自信というものは結局のところ、自ずからわき上がってくるものだ。
誰かから与えられるものでも、誰かから承認されるものでもない。
例えきっかけが誰かの言葉であったとしても、最終的にそれを自信に繋げるのは自分以外の誰でもない。君に足りないのはその最後の行程だ」

「……」

言い返すこともできず、リュカは相手から視線をそらしわずかにうなだれる。
彼女の言葉に間違いは見つからなかったが、どれもまるで遠い世界のことのようで、とてもではないが自分にも可能だとは思えなかったのだ。

俯く彼の視界の端には、こちらをじっと見つめる鎧の姿が映っていた。
沈黙を貫く少年に、やがて彼女は少し口調を和らげてこう尋ねかけた。

「君は自分を信じることができない、と言ったな。
何か……理由があるのか?」

ためらいつつも、リュカは黙って頷いた。口を引き結び、床の一点を見つめて。

サムスは改めて座り直し、こちらに正面から向き合うように腰を下ろすと相手の言葉を待った。
長い沈黙を越えて、少年はようやくこれだけを言った。

「…………。
……ファイターになったのは、間違いだったんじゃないかって」

それ以上言葉を継ぐことができない様子の彼に、サムスは助け船を出す。

「それはつまり……、
こんなことに巻き込まれるなら来るのではなかった。やめておいたほうがよかった、ということか?」

しかしリュカはそれをすぐに否定した。首を横に振り、こう答える。

「それとは違うんです。
僕には……みんなのように自慢できるものがない。臆病だし、強くもないし。
リンクみたいにどんなときでも敵に立ち向かったり、マリオさんみたいにたくさん人助けをしたこともない。
分かっていたけど……分かっていたつもりだったけど、あの白い扉をくぐって、それがはっきりと目の前に突きつけられた感じで……」

そこで彼は口を引き結び、痛みに耐えるようにその端をわずかに歪ませた。

静かに、2人の周りにエンジンの重低音が戻ってくる。
少し距離を開けて座る2人の間を、そして途切れた声の間を、単調なモーター音がしばらく満たしていた。

藍色の目を伏せ、長い沈黙を越えて少年はぽつりと呟くように言葉をこぼした。

「…………僕は……大切な人を守れなかったんです」

「大切な人、か」

サムスはそれだけを繰り返した。光の加減が再びバイザーに照り返しを与え、彼女の表情をその金属的な緑色で覆い隠していた。

リュカは黙って頷き、目をつぶった。
しばらくそうしてじっとしていたが、やがて彼は静かに息をついて目を開くと、そのまま床を見つめて真剣な口調で尋ねた。

「サムスさんは、どんなことも願えば叶うと思いますか?」

宇宙を駆ける戦士は、あえて言葉を返さなかった。
ただその沈黙を持って自分の信条を示し、そして少年は相手の心から嘘偽りのない彼女の答えを読み取った。

金髪の少年は決心し、わずかに顔を上げる。
自らを鼓舞するように少し息を吸い、こう切り出した。

「……僕のお母さんは3年前に、死んじゃったんです。……僕と、兄ちゃんを守って」

その声は初めの頃よりも大きく、寂しげな陰を持ちつつも芯のある声音になっていた。
ずっと心の奥に封じていた記憶。掘り起こし、触れるだけでも辛いだろう。
癒えることのない古傷と向き合うことを決めた彼に、サムスはあえて声を掛けることはせず見守り、静かに次の言葉を待っていた。

リュカは訥々と語り始めた。

「3年前のあの日、僕らはお母さんに連れられて、山の上のおじいちゃんの家からタツマイリ村に帰る途中でした。
山を下って、テリの森をぬけて。
……あの辺りには滅多に人を襲う動物なんていなかった。
噛むときは噛むヘビがいるけど、次に来るときは兄ちゃんと2人で来れるねって言われたくらいなんです。
それが……」

ふと、彼の顔が暗く陰る。壁の方角に向けられた彼の視線は、ただひたすらに自分の過去を見つめていた。
3年の月日が経ってもなお鮮烈に思い出すことのできる、あの日の記憶に。

「大きな木が、道をふさいでて。お母さんは『ちょっと遠くなるけど回り道しましょう』って。
よく覚えてます。ちょうどお昼を過ぎた辺りで、空も明るくて。夕ご飯が遅くなっちゃうなって、ちょっと残念な気持ちだったのも。
……その時はなんであんなに大きな木が倒れてたのか、考えてもみなかった。
変だなとは思ったけど、お母さんも兄ちゃんも一緒だったから、大丈夫だって思ってたんです。
その後は、僕は兄ちゃんと追いかけっこしながら森の中を歩いていきました」

少しためらうような気配があって、彼はそこで口ごもった。

「……途中で、開けた場所に出たんです。草むらが広がってて、虫もいっぱいいました。
山の上の方とは違う虫もいて、僕らはもう夢中になって虫取りをはじめたんです」

――
―――

「あっ、バッタ!」

先を走っていたクラウスがはたと立ち止まり、そう言って草むらの一点を指さした。
その声にリュカも追いかけっこをやっていたことを忘れ、双子の兄と並んでその方角に目を凝らす。

「ほんと? どこ?」

午後の日差しが空き地を照らし、膝丈くらいの若緑色の草が風になびいている。
辺りはむせ返るような緑のにおいに包まれて、虫の声がそこここで聞こえていた。
隣に立つ兄は癖のある明るい茶髪の下でちょっと顔をしかめ、黙ってじれったそうに向こうを指さす。

見つめる先で、ぴょんと何かが跳ねた。
束の間日の光の中に緑色が映え、大きく広げられた羽までもがはっきりと見えた。
かなり大きなバッタだ。見とれて口をぽかんと開けているリュカの横で、気の早いクラウスはさっさと駆け出していた。

「つかまえるぞ!」

青と黄色の縞シャツが草むらに飛び込んでいき、入れ替わりにバッタが慌てて飛び出した。

(まったく。子供が来るといつもこうだ)

バッタのグチが聞こえてきたが、クラウスはまったく気にすることなく後を追いかける。
リュカの方は右に左に駆け回る兄の後ろを、一拍遅れてついていった。
2人が走り回るたびに草むらはさわさわと耳に心地良い音を立て、そこにときおりけたたましいバッタの羽音が混ざった。
お母さんの笑う声も聞こえていた。早く降りないと日が暮れてしまうわよと、穏やかな声が背中に届く。

しばらくそうして追いかけっこをしていると、先を走っていたクラウスが出し抜けにこちらを振り返った。

「リュカ! そっちに行った!」

同時に胸元に何か小さなものが飛び込んでくる。
驚いて反射的に両手で受けとめると、指の間に細くしっかりした感触が当たった。
草の色に似た緑のカッコいい虫。抗議するようにそれは手の中で触角を振り回していた。

捕まえたよ、と声を弾ませて言おうとした、そのときだった。

2人の周りでびり、と空気が震えた。
それは山の上の方に住んでいるドラゴの吠え声にも似ていたが、どこかが違っているようにも思えた。
何か動物がドラゴの子供にちょっかいでも出したんだろうか、そう思って顔を上げたリュカははっと身を固くした。

森の木々を荒々しく薙ぎ倒し、見たこともない怪物が姿を現したのだ。

そいつの顔は、緑と銀色でごちゃまぜになっていた。
日光を照り返しギラギラと光る金属と、革のように滑らかな緑色の鱗。
足も手もそれぞれ片方ずつが銀色になっていて、恐ろしいくらいに尖った爪が備わっている。

その目をらんらんと光らせているのは、出口もないまま濁りきった怒りの感情。
口がゆっくりと大きく開かれ、その向こうに湿った赤黒い洞窟が現れる。2人は立ちすくんだまま動けない。
ドラゴの出来損ないみたいな怪物は牙を閃かせて咆哮すると、そのままの勢いでリュカ達に迫ってきた。

「危ない!」

声がして、リュカはクラウスと共に横に突き飛ばされる。

倒れ込み、急いで後ろを振り返ったリュカは自分の目を疑った。

前屈みになり、こちらに向かって手を差しのべる格好になった母。そのすぐ横に大口を開けた怪物が迫っていた。
よろめき、ゆっくりと倒れていこうとする母。その目はただひたすらに、リュカとクラウスだけを見ていた。
濃いピンク色のワンピースが束の間風にたなびき、そして――

点々と、小道に赤い染みが落ちていた。

2人はそれをどんどん跨ぎ越し、森の中を駆けていた。
道は徐々に狭くなり獣道に近いものになっていったが、彼らはがむしゃらに走り続けた。
泥溜まりに靴を汚し、枝に足を引っかけて転び、石で膝をすりむいても、何度でも立ち上がりまた駆け出した。

彼らの目は地面に赤い目印を見つけるたび、吸い寄せられるようにそちらを向く。
はっとするほど赤い色をした小さな水たまり。それは茶色の土や緑の草むらから浮き上がって見えるほどに鮮烈な色をしていた。
沈みかけた夕日を照り返し、油のようにギラギラと輝いていた。

息を切らせ、笛のように喉をひゅうひゅうと鳴らしながら双子はただひたすらに無我夢中で足を動かし続ける。
行く先に現れる鮮やかな赤い染みは途切れることなく続き、それでいてなかなか終わりが見えなかった。

時は無情に過ぎていく。
木漏れ日は徐々に薄れていき、2人の周りで森は少しずつ闇の中に沈んでいった。
こんな日に限って虫も鳥もなりをひそめ、テリの森はよそよそしいほどに静かだった。

追いかけて、追いかけて。
必死の形相で走り続けていた2人は、はっとたたらを踏む。

「あっ……!」

どちらかが声をもらした。

彼らが見上げる先には、険しい崖が切り立っていた。
怪物はすでに崖を登り終え、その向こう側の台地へと姿を消そうとしていた。
そいつが蹴落とした岩が騒々しい音を立てて、ほぼ直角に立ち上がった斜面を転がり落ちていく。
こんなに険しい崖では追いかけることもできない。

息を弾ませて見上げる双子の背に、ゆっくりと現実が追いつく。

「あぁ……」

すっかりしゃがれてしまった声で嘆息をつき、リュカはその場にへたりと膝をついた。
隣の兄も悔しげに崖の上を見つめて、黙って拳を握りしめていた。

どうすることもできず、崖を見上げる2人。
まだ息も整わないうちに、畳み掛けるようにしてさらなる異変が起こった。

後ろでごうと風の吹き荒れるような音が立ち、2人は驚いて振り返る。
その目に映ったのは真っ赤に燃えさかる火の海。今まで駆けてきた森が激しい炎に包まれていたのだ。
見る見るうちに火の手は森全体に回り、双子の兄弟は炎の中に取り残されてしまった。

―――
――

火の粉が顔に掛かったことを思い出したか、リュカはそこで少し顔をしかめた。

「……動けなくなった僕の手を、兄ちゃんが引っ張ってくれた。
きっと行くあては無かったんだろうけど、僕は引っ張られるままに赤く燃える森の中を走ってました。
そして目の前が開けたと思ったら、僕らは水の中に飛び込んでた。ぐるぐると体が回っていて、溺れないようにとにかく腕を振り回して……」

――
―――

目の前で、たき火が燃えていた。

辺りはいつの間にか夜になっていて、前で燃えているたき火だけがリュカ達の顔を照らしていた。
たき火に当たっていない背中はひやりとした湿気に包まれていた。
川を流されていたせいもあるが、あの大火事のあとで森に雨が降ったために辺りの草地が濡れているせいでもあった。

2人とも下着だけになって毛布にくるまり、すっかり芯まで冷えてしまった体を暖めようとしていた。
着ていた服は枝で作った即席の物干し竿に掛けられ、乾かされている。
そしてそれをやってくれた村の皆は2人のそばにいて、何も言わずこちらを心配そうに見守っていた。

川の下流で見つかったときから双子には数え切れない質問が掛けられた。
一体何があったのか。2人きりで森に出てきたのか。お腹は空いていないか。何か必要なものはないか。誰を呼ぼうか。
けれども、双子は一言も言葉を返さなかった。今もただ、呆然として目の前のたき火を眺めているばかり。

そんな2人が、ふと後ろを振り向いた。

そこに来ていたのは彼らの父親だった。
すっかり煤けてしまったウェスタンシャツとジーンズ。目深に被ったカウボーイハットの陰からのぞく目がこちらをじっと見つめていた。
悲しみと安堵が混じり合った複雑な視線。何も言わなくても、父が何を思っているのかは伝わってきた。

2人は思わず、毛布にくるまったまま立ち上がっていた。

「お父さーん……」

「……」

リュカは涙声で、クラウスは何も言わずぶっきらぼうに、父の腕に飛び込んだ。
父は黙って、彼らを受けとめてくれた。暖かくて大きな腕が彼らの背中に回される。兄弟も父の服に顔をうずめる。
ずっと火事の中を歩いていたのだろうか。父の服は煙くさくなってしまっていたが、今はもう2人ともそんなことなど気にならなかった。

たき火が燃えている。
それを見つめるリュカの体は、細かく震えていた。

髪も乾き、体も温まってきたはずなのに震えは止まらなかった。
張り詰めていた気持ちが解け、あの時の恐ろしさがようやく追いついたのかもしれない。
恐かった。恐かったのだ。でも、今はみんなが、お父さんがそばにいる。

今はもう大丈夫だ。ただ、お母さんが――。

鼻の奥がツンとなって、彼はいつの間にか声もなく涙を流していた。
心に深く突き刺さった棘の痛みが、今になって胸を苦しくさせていた。
煙や川の水を吸い込んですっかりおかしくしてしまった喉がひどく痛んだが、涙を止めることはできなかった。

どさり、と何か重い物が落ちる音がして、リュカははっと顔を上げる。
隣でクラウスも前を見つめ、驚きと疑いに眉をしかめていた。

たき火の向こうで、父が膝をついていた。
その前に立ち、両手で何か長く鋭いものを捧げ持っているブロンソンさんの驚いたような顔が見えた。

父が、突っ伏している。

無口だけど勇気があって、どんな相手にも悪いことは悪いと言える父。腕っ節も立って村人からも一目置かれている。
困っている人を見れば捨て置けず、助けに行く父は母の、そして双子の誇りだった。

そんな父が項垂れて、雨に濡れた地面を黙々と殴りつけはじめた。
びしゃ、びしゃ、と湿った音がして泥混じりの水しぶきが上がる。何度も、何度も。

宿屋のテッシーが心配して立ち上がり、何事か声を掛ける。
しかし父は耳を貸さず、どころか……あろう事か彼女を片手で突き飛ばしてしまった。
短く悲鳴を上げ、横様に倒れ込むテッシー。草地に突っ伏す彼女をよそに、父はふらりと立ち上がった。

こちらに向き直った父。
彼の表情にあるものを、正しくは無いものを見て双子は息をのむ。
もう、それは2人の知っているお父さんではなかった。

父は何も言わずに燃えさしを掴み、それを荒々しくたき火に叩きつけた。
火の粉が散り、焼け残った木片が双子のところまで飛んでくる。
しかし2人ともその場に凍り付いたようになって、動くことができなかった。

たき火を叩き崩しただけでは、嵐は収まらなかった。
父はこちらに背を向け、まだ火のついた木の棒を乱暴に振るいはじめた。
集まっていた村の人たちは驚いたように声を上げて後ずさり、あるいは父にやめろと呼びかけていた。
父には、聞こえていないようだった。目に見えない敵をやっつけようとするように、狙いの定まらない手で焼けぼっくいを振り回しつづけた。

悲しみに荒れ狂う父を、双子は目を丸くして見つめていた。
目をそらすこともできない彼らの視界に、テッシーが駆け寄って来て、庇うように覆い被さった。
辺りが真っ暗になった。しかし、村のみんなが慌てふためく声は聞こえていた。
誰かがくぐもった声を上げ、倒れ込む。もみ合い、突き飛ばされる音も聞こえてくる。

そして、最後に一番大きな音がして、

あたりは静かになった。

―――
――

「そのあと、僕らは村の人に家まで送ってもらいました。父さんの姿が見えなかったけど、でも心配要らないって言われました。
父さんは火事になったライタさんの家からフエルを助けたり、僕らを捜したりで一日中歩きづめで、疲れちゃったんだって」

帰った家は、当然のことながら明かりもついていなかった。
真っ暗な家の中は、いつもよりがらんとして広いように感じられた。
その光景を思い返すリュカの目は、あの時の暗闇を見ているかのように暗く沈んでいる。

「2人揃ってベッドに入ったけれど、いつまで経っても寝られなかった。
胸が苦しくて、苦しくて。寒くて、毛布を首までかけて丸くなっても眠れなかった……。
……家の中はとても、静かでした。隣のベッドは空っぽで、誰の息も聞こえてこない……」

彼の家には2人用のベッドが大小2つ、並んで置かれている。
いつもは居間側から順番に父、母、リュカ、そしてクラウスというように寝ているのだが、
横になった彼の視界には、きれいに整えられたままのベッドだけが映っていた。

「そうしてるうちに、勝手に毛布がはがれました。
顔を上げたら、隣で兄ちゃんが体を起こしてて……そのまま、壁の方をじっと見てるんです。
どうしたのって聞いたら、『あのばけものドラゴは崖を登ってったよな』って。僕が何も答えられないでいると、
『あの先はドラゴ台地だ。お母さんを襲った悪いドラゴはきっとドラゴ台地に住んでるんだ』って恐い顔で言うんです。壁の方を見たまま……」

そこで、リュカは力無く首を横に振った。

「でも、お母さんはもう見つかりました。……ブロンソンさんが見つけてくれました。
村の人がお母さんのためにお墓を作るって、おじいちゃんにも報せに行ったんです。
だからもうそんなとこに行くことないって言ったら、兄ちゃんは怒って。『悔しくないのか』って。
『ぼくは明日、あのドラゴを倒しに行く。ばけものドラゴを倒して、仕返ししてやるんだ』って……。
……あの時の僕は何も言えなくて、聞こえなかったふりして背中を向けることしかできなかった……勇気がなかったんです。
きっと明日になれば忘れてくれるだろうって、そう思ってた。そうなることを願ってた」

――
―――

翌朝早く、リュカは慌てて家から駆け出てきた。
つっかけた靴が脱げそうになりながらも、まだ誰もいない村の広場を突っ切ってその北へ、ミソシレ墓場へと走っていく。

塀で囲われた敷地に駆け込み、味気ない灰色をした墓地の中を過ぎていくと、目の前に上り坂が見えてくる。
地面が剥き出しになっている墓場の中にあって、そこだけは草地に包まれている。

走りながら首を伸ばし、リュカはその頂上に目を凝らした。
誰かが立っている。それを認めると、彼はますます足を速めて坂を駆け上がりにかかった。
朝日の中で風にそよぐ草花には目もくれず、ただひたすら前を見て必死に走り続けた。

クラウスはそこにいた。
こちらに背を向け、黙って石造りの墓標に向き合っていた兄は、リュカの足音に気づいて振り返った。
自分とそっくりの、それでいて少し強気な顔がこちらを見る。リュカは心から安堵し、ようやく立ち止まると大きく息をついた。

今朝ふと目が覚めたとき、ベッドに1人取り残されていることに気づき、リュカは急いで着替えると家を飛び出した。
まさか本気で行くつもりなんじゃないだろうかと、心配になったのだ。

2人は、しばらく黙って母の名前が刻まれた墓石を見つめていた。
そこは坂道の終わりで、見晴らしの良い一等地だった。
近くにはたくさんのヒマワリも植えられており、吹き抜けるそよ風に大きな頭をゆったりと揺らしていた。

ヒマワリは母の一番好きな花だった。
大好きな花に囲まれて、母はここに眠っている。

それを思った途端、勝手に涙があふれてきて、リュカは気がつけばしゃくり上げていた。
隣のクラウスも顔を俯かせ、歯を食いしばっていた。

もう会うことはできないのだ。
お母さんは行ってしまった。2人の手の届かない、ずっとずっと遠くへ。
大好きな手料理も、もう食べられない。いたずらをして怒られることもない。家に帰っても、もう迎えてくれる人はいない。

そんなの、信じられなかった。
だって、昨日まで一緒にいたのに。すぐそばに、いたのに。

あの時の母の表情を、感情を。兄弟は鮮明に思い出すことができた。
理不尽な存在に襲われたことへの驚きと、足がすくむほどの恐怖。焦りから発せられた、閃光のような衝動。
それら全てを覆い尽くしてしまうほど大きな、無条件の愛。そして、祈り。

まだ幼い2人は、母親の心情を全て理解しきることはできなかった。
太陽のように明るく、数え切れないほどの色が混ざり合った光。
今の2人には、全てが溶けあった後の白しか見えなかった。虚ろで寂しく、ただ眩しいだけの白。

2人はしばらくそうして墓石の前に佇んでいた。
無表情な灰色の石をじっと睨みつけていたクラウスが、出し抜けにこう言った。

「これからドラゴ台地に行ってくる。しばらく帰らないから、誰にも言うなよ」

ぶっきらぼうに言って、彼はその手に持ったものをリュカに見せた。

それが何であるかに気づいて、リュカは思わず目を丸くして後ずさった。
それは父の手作りナイフだった。刃渡りは兄の腕ほどもなかったが、磨かれた刀身は朝日をはね返し、ぎらぎらと輝いていた。

ひどくぎらつく光を放つナイフからリュカはやっとのことで目を逸らし、懸命に言った。

「ぼ……ぼくも行くよ!」

しかし彼の涙に濡れた顔を見て、クラウスは「だめだ!」と怒鳴った。
目を怒らせて、彼は強い口調で言い放った。

「決めたんだ。ぼくは一人で行く。だからリュカはついてくるな!」

―――
――

「そう言って兄ちゃんは走っていった……坂道に背中がどんどん小さくなっていったけど、僕は凍り付いたみたいになって動けなかった。
追いかけたかったのに、一緒に行きたかったのに。でも、僕はできなかった。あの悪いドラゴが恐くて。
……ついてくるなって怒鳴った兄ちゃんが恐くて。
…………」

そこで少年は長く、重い沈黙を挟んだ。

か細く震えた吐息をつき、やっとのことで彼はこう言った。

「……それで、その後……兄ちゃんを探しに出た父さんが持ち帰ったのは、一足の青い靴。
その日兄ちゃんが履いていった靴。それだけでした」

金髪の少年は項垂れ、足元をじっと見つめた。

「……僕は、分からなくなったんです。
お母さんも、兄ちゃんもいなくなった。なのに、なんで。僕はなんで生きてるんだろうって……。
僕は臆病で、弱くて、お母さんも兄ちゃんも守れなかった。僕1人が残っても、誰も喜ばない。何のためにもならない。
もしもあの時、兄ちゃんと一緒にドラゴ台地に行ってたら、兄ちゃんを庇うことくらいできたんじゃないかな……って、そう、思ったんです」

心に溜まった苦しみを少しずつ絞り出していくように、彼はぽつぽつと言葉を零していく。

「……その日から僕は、何をしても兄ちゃんのことを思い出すようになりました。
だって、僕らはずっと一緒だったんです。遊ぶときも、ご飯を食べるときも、眠るときも。
でももう兄ちゃんは遠くに行っちゃった。僕が追いかけられないほど遠くに。
悲しかった……まるで自分の半分が無くなっちゃったみたいに、何をする気も起きなかった。
何もしないと余計に兄ちゃんのことを思い出して、でも何もできなくて……毎日がどうしようもなく辛かったんです」

そこで一息置き、彼は顔を上げる。何もない一点を見つめ、すっかり疲れ切ったような表情で、こう言った。

「……僕に出来ることは、あとは兄ちゃんの仇を討つことだけでした」

――
―――

ある夜、リュカは木の枝を手に、たった1人で暗い森の中を走っていた。
父親が家を空けている隙に抜け出し、道中で目についた丈夫そうな枝を拾い上げてここまで来たのだ。

彼が目指しているのはドラゴ台地ではなかった。
あの辺りにはいつの間にかへんてこな動物が巣喰うようになってしまって、村の大人でも怖がって近寄ろうとしない。
彼の向かう道はテリの森の開けた草地、兄弟が最初に悪いドラゴと出くわしたあの空き地へと繋がっていた。

あのドラゴがまた来ている可能性は低いかもしれない。でも、もしかしたら。もしかしたらいるかもしれない。
敵うとは思っていなかった。どころか、母と同じ目に遭っても構わないとさえ思っていた。
死んでしまったら父が悲しむかもしれないけれど、母や兄とまた一緒になれると考えていたのだ。
手にした木の棒を、それがまるで剣の柄であるかのようにきつく握りしめ、リュカは静かな森の中を奥へ奥へと進んでいった。

目の前が急にぱっと開けて、リュカはそこで虚を突かれたように立ち止まる。

彼の視線の先には、暗がりにうずくまる動物がいた。

ドラゴだ。

それに気づいた途端、体が言うことを聞かなくなった。
怒りと恐れが一気に押し寄せてしまって、全身がすっかり麻痺したようになってしまったのだ。
かたん、と音がして、リュカは自分が持っていた木の棒を取り落としてしまったことに気づいた。

しかし、それに対し向こうのドラゴは襲いかかる気配さえ見せなかった。
少し頭を下げ上目遣いにこちらを見て、それから挨拶をするように尻尾を振る。
そこでリュカはようやく、相手を間違えていたことに気がついた。
目の前にいるのはあの恐ろしい怪物ではなく、ただのドラゴの子供であった。

大きく恐ろしげに見えたのは暗がりにいたための錯覚だったらしく、
やがてよちよちとこちらに歩いてきた子ドラゴは、月明かりの中ではいつもの愛らしさを取り戻していた。

以前おじいちゃんの家に行っていたとき、親に連れられて近くまでやってきた子ドラゴだ。
クラウスに誘われて一緒に遊んだあの日から少なからず時は経っていたのだが、しっかり覚えていたらしい。
子ドラゴは甘えるような鳴き声を上げるとリュカの顔に鼻面をこすりつけてきた。

こちらも頭をなでてやりながら、リュカは子ドラゴに尋ねた。

「ねえ、ぼくは探しものをしてるんだ。
鉄を体にくっつけた恐ろしいドラゴなんだけど……きみは見たことない?」

子ドラゴは一歩下がり、首をかしげるとこう返した。

(それって……ぼくのとうちゃんのこと?)

リュカははっと目を丸くした。

「きみの、お父さん……?」

ようやくそれだけを返したリュカに、子ドラゴは頷く意味を込めて鼻を鳴らす。

(ずっとまえに、とうちゃんがへんなにんげんにさらわれちゃったんだ。
それで、かえってきたらなんだかすごくこわいかおになってて……。
ぼくのことなんかみえないみたいに、もりのほうにはしっていっちゃったんだよ。
ぼくはとてもしんぱいだったけど、かあちゃんがやまからでるんじゃないって)

尻尾を力無く垂らし、子ドラゴは言葉を継いだ。

(……そのあと、もどってきたんだけど、とうちゃんはふもとのにんげんとたたかってたおれちゃったんだ。
にんげんがぶきをもってとうちゃんにちかづこうとしたから、ぼくがおいはらった。
でも、とうちゃんはもうたてなくなってた。それっきり、うごかなくなっちゃったんだ……)

そう言って、子ドラゴは堪えきれなかったように悲しげな鳴き声を上げるとこちらに寄りかかってきた。

胸に鼻面をうずめる子ドラゴに、リュカは何も言ってやることができず、ただその頭をなでてやることしかできなかった。
子ドラゴの心も、そしてリュカの心も深い悲しみに満ちていたが、リュカの方は一つ気がかりなことがあった。
何かが変だという思いが膨らみつつあったのだ。

ドラゴをさらって改造した"へんなにんげん"。子ドラゴの見たものが正しいなら、あの日の出来事には本当の犯人がいるのかもしれない。

すっかり暗くなってしまった山道を降り、誰もいない静かな村の広場を抜け、
とぼとぼと自分の家へ歩いて行ったリュカは庭に入ったところで何の気なしに顔を上げ、はっと身を固くした。

家の玄関の前に立ち、ランプを提げた父もこちらを見ていた。

「……どこへ行っていたんだ」

驚きを通り越して、呆然とした声で父は言った。

リュカは何も答えることができなかった。
本当のことを知った今になって、なぜ自分が棒きれ一本で化け物ドラゴを倒そうなんて思ったのか、自分でも分からなくなったのだ。

玄関にランプを置き、父がこちらに歩いてきた。
歩みを止めずリュカの前に立ちはだかると、そのまま両手でリュカの肩を強く掴む。あまりの荒っぽさに、ぐらりと頭が揺さぶられた。

見上げた父の顔は、夜の闇の中に溶け込んで表情が分からなくなっていた。

「リュカ、正直に言うんだ。
こんな夜遅くにたった1人で外に出るなんて、お前はいったい何を考えているんだ……!」

「ぼくは……、ぼくは……」

言葉を何度もつっかえさせながら、リュカは慌てて答えようとした。
父にここまできつく肩を掴まれたことなどなかった。父がこんな恐い感情を向けてくることはなかった。
ただただ早くいつものお父さんに戻ってもらいたくて、半ばパニックになっていたのだ。

「テ……テリの森に行ってたんだ……!
あのときの、悪いドラゴがどこに行ったのか……確かめに行ったんだよ!」

父はいくぶん静かな口調に戻り、たしなめるように言った。

「……確かめに行っただけじゃないだろう」

「……」

リュカが黙っていると、不意に肩が楽になった。父がその手を離したのだ。

一歩退いた父はわずかに項垂れ、何事かを考え込んでいるようだった。
もう先ほどの恐ろしいぎらつきは感じられなくなっていた。

「リュカ」

やがて、父は顔を上げてこちらをじっと見つめた。

「もう、仇を討つ相手はこの世にいない。
父さんがクラウスを探しに行った時に出くわして……楽にしてやったんだ」

それを聞いた時、リュカの頭の中でかちりと音を立てて何かがはまった。
子ドラゴが言っていた"ふもとのにんげん"とは、父のことだったのだ。

でも、仇はまだいる。ドラゴを捕まえて恐ろしい姿にし、人を襲うほど凶暴にさせたやつがどこかにいるはずなのだ。
それを言おうとしたリュカは、先に掛けられた父の言葉に遮られてしまった。

「……だから、もう勝手に出ていったりしないでくれ。
たった1人守れないようでは、母さんに示しがつかない」

そう言ってこちらに背を向け、家へと戻っていく父。
ランプを拾い上げるために背を丸めたその後ろ姿は、ひどく老けてしまったように見えた。

後に残されたリュカは父を追うこともここから出ていくこともできず、中途半端なもどかしさを抱えて立ち尽くしていた。

周りの庭は世話をする人をなくし、遠慮のない雑草たちがはびこりはじめ、きれいだった往時の面影を失いつつあった。

―――
――

「……兄ちゃんは今でも見つかってません。
父さんもますます元気がなくなっていきました。あの日から僕の住む村もどんどん変わってしまったんです。
村の人はみんな、どこかからやってきたカネっていうものに取り憑かれたみたいになって、変なことでけんかして……。
昔の父さんなら間に入って仲直りってしてくれたのに……今じゃもう、何も言わずに見ないふりして横を通り過ぎてくんです」

やり場のない苛立ちと戸惑いとで、リュカは眉間にしわを寄せていた。
両足をあてもなくぶらつかせ、そのつま先が当たるたびに床の金網は空虚な音を立てた。

「天気も変になっちゃって、村にカミナリが落ちてくるようになりました。それも、どこかに決まって落ちてくるんです。
僕の家もその一つで、おかげで羊小屋が跡形もなく吹き飛んじゃって、この間なんか2頭くらい毛が黒こげになっちゃって。
カミナリ落ちまくりの家ってひどいあだ名も付けられて、よそからわざわざ見に来る人までいるし……」

そこで彼は足を止め、金網の一点にじっと視線を留めた。

「そんなになってても、父さんは何もしないんです。ふらっと外に出て行って、羊の世話も忘れて夜まで帰ってこない。
村の人に聞いたら、お母さんのお墓に行ったり、山に入ってクラウス兄ちゃんを探してるんだって……。
いつもそんな感じなんです。毎日……まるで魂が抜けちゃったみたいになって。
……こんな僕が残ったところで、父さんは嬉しくないんだ。だからあんなに元気がないんだ」

訥々と紡がれる言葉は投げやりなようであって、一つ一つが並みならぬ悲しみの重みを抱えていた。

何もできずに母を目の前で喪い、無謀な仇討ちに向かう兄を止めることさえできなかった自分の無力さを悔やみ、
誇りだった父が日に日にメッキがはがれるように威厳を失っていき、
母と兄の幻ばかりを追いかけ、こちらを顧みなくなっていった寂しさに、彼は無意識のうちに両の手をきつく握りしめていた。

辛い日々だった。何をしても前のような楽しさを覚えることはできず、かえってここにいない母と兄のことを思い出して虚しくなるばかり。
幼い頃の思い出があふれた家にいるのが辛くなって外へ出ても、気分が紛れることはなかった。
日に日に発展し昔の面影を失っていく村の姿を見ていると訳もなく悲しくなってくるのだ。
幸せだった過去が跡形もなく消え去ってしまうように思えた。忘れたいはずなのに、そして、忘れたくないはずなのに。

「それでも僕は、僕なりにやっていこうとしました。
ドラゴをおかしくしたやつを捜そうと、村のみんなに話を聞いたり、怪しいなって思った人の跡をつけたり。
でも……結局手がかりはなにも見つかりませんでした」

傍らに座るファイターは無表情なバイザーにその顔を隠していたが、口を差し挟む様子もなく真剣に耳を傾け、彼の告白を全て受けとめていた。
リュカはじっと自分の足元を見つめていたが、その視線は自らの心の中へと向けられているようでもあった。

「今のタツマイリに、僕がいられる場所はありません。
僕は……僕の場所が欲しい。
もう一度、僕の居場所を取り戻したい……願っても叶わないなら、強くなってそれを手に入れようと思った。
だから、スマッシュブラザーズに行こうと思ったんです。
強くなるために。強くなれば、もう悲しいことはないんだって」

そこで、腱が浮いて見えるほど強く握りしめられていた彼の手から、ふと力が抜ける。

「…………でも、そうじゃなかった。
ファイターになる人はみんなもう、マスターさんに呼ばれるずっと前から強くて、たくさんの人を助けてきた。
みんな帰ることのできる場所があって、大事に思ってくれる人がいる。
でも、僕は違う……。僕は、誰も……誰も守ることができなかった。帰る場所も、待ってくれてる人もいない。
……僕のところに届いた招待状は、きっと……何かの、間違いだったんです」

それを最後に、リュカは口をつぐんでしまった。
もう、言葉が出てくる気配はなかった。言うべきことを言い切り、彼は力無く項垂れていた。

しばらく、エンジンルームにはリアクターの立てる重低音だけが響いていた。

鼓膜を鈍く振るわせる定常音の向こうから、バウンティハンターの声が確かめるように問いかけた。

「つまり君は、自分には資格が無いと。
何もできずに大切な人を失い、拠り所を無くした自分のような者にはファイターに選ばれるだけの素質が無いと、そう思っているんだな?」

少年は黙って俯いたまま、一つ頷いた。

そんな彼の横顔をじっと見つめていたサムスだったが、ふと空模様でも見るようにに天井を見上げる。
そして一言、こう言った。

「マスターハンドの心は、誰にも分からない」

怪訝そうにゆっくりとこちらを見上げた少年に再び顔を合わせ、彼女はこう続ける。

「何を理由に私達が選ばれたのか、それを彼が明かしたことは今まで一度も無いのだ。
だがこれだけは言える。
スマッシュブラザーズに選ばれるのは、必ずしも人が想像するところの"英雄"ではない、と」

その意味が少年の心に届くまで待って、彼女は少し穏やかな口調で語り始めた。

「そもそも、ファイターになる資格とは何だと思う。
仮に英雄が選ばれるのだとすれば、その英雄の基準とは何だ?
誰よりも強くあり、一人でも多くの人を救うことか。清く正しく生き、世界中の人から必要とされることか。
……そんな完璧な存在はどこにもいない」

首を横に振り、彼女は続ける。

「例えば、こんなファイターもいる。
人工的に造り出された、高い知能を持つ生き物。
人になりきることも獣になりきることもできず、彼は施設を破壊して逃げ出し、洞窟に居を構えたという。
彼は正義をなしたわけでも、悪事を働いたわけでもない。ただ衝動のままに己の望むことを行っただけだ。
また、それどころか……あの舞台には、我々の思う正しさとは対極の位置に立つ者もいる」

今まで『スマッシュブラザーズ』で出会ってきた、数々の個性を持つファイター達。
その1人1人をつぶさに思い返すようにして、サムスは言葉を継いでいった。

「では、強ければ良いのか? これについても正解とは言い難い。
君と同じくらいの年で仲の良い登山家がいるが、彼らは乱闘より登山の方が好きだと言っていたな。
かと思えば、己の身で戦う意味での戦闘をしたことがない者もいる。
故郷では専らレースをしているような男も、ファイターとして私達と同じ舞台に立つ。
必ずしも、マスターハンドは力の強さや心の正しさではファイターの候補を選んでいないのだ」

そこで一呼吸置いて、サムスは向かい側の壁の方角を見やる。
昔を懐かしむような口調で、彼女は言った。

「私はずっと不思議に思っていた。マスターハンドに選ばれた私達には、どういう共通点があるのか、と。
彼はこちらが納得するような答えを与えてくれることもなく、最初に選ばれてからこの方一人で考えてきたが、最近になってようやく分かってきた。
思うに、おそらく彼は様々な世界を垣間見て、その中でふと惹かれた者に招待状を送っているのではないか。
ただ自分の望むままに、あるいは望まれるままに生き、心を強く持って突き進む者に」

彼女の声に聞き入っていたリュカは、そこで目を瞬く。
緑色の輝きを持つバイザーが、つとこちらに向けられたのだ。
そして、真っ直ぐに彼女は伝えた。

「君が受け取った招待状は、間違いなどではない。
技量も思想も超えた……より基本的な強さ。
……君もまた、何かマスターハンドの心を惹く強い輝きを持っていたのだ」

「僕が……」

目を丸くし、リュカは思わず自分の胸に手を当てていた。
その手を見るように俯きしばらく黙っていたが、やがて自信を無くしたように首を横に振る。

「……ごめんなさい。僕には無理です」

その手に感じるのは、ただの暖かな鼓動。
力強くもなく、ごく平凡なリズムが刻まれているだけ。

項垂れる少年をじっと見つめていたサムスは、一つ瞬きをする。
静かに、しかしより真剣な口調になって彼女は尋ねかけた。

「……それで君は探し求めていたのか? 自分の居場所を、自分の生きる目的を」

少年は沈黙を貫いた。
うちひしがれたようにじっとしていた。諦念と敗北に背を丸めて。

サムスはその小さな背を黙って見つめていた。
青い瞳の中、様々な感情が静かな光の姿をとってせめぎ合う。

ようやく、全てが繋がった。

少年が抱える、深刻なまでの自己否定。
周りのファイターと肩を並べて戦えるほどの実力がありながら、彼は頑なに自分には資格がないと思い込んでいる。
もっと正確に言えば、彼は自分で自分に資格の有無を付けることさえもためらっている。

自分を信じることができない。自分にはそんなことは出来ない。
それはただ他のファイターと比較して自分の不甲斐なさを嘆くような、そんな単純なものではなかったのだ。
より絶対的で、深く複雑な根をもつ宿痾しゅくあ。それが彼の心を雁字搦めに縛り付けている。

彼がはまり込んだ茨の園。その荒涼とした風景には見覚えがあった。
なぜもっと早く気づけなかったのかと、サムスは苛立ちと心痛に目を細める。

彼は先ほどから居場所が欲しかった、と繰り返していた。
自分を無条件で受けとめてくれる場所を、安全でぬくもりに満ちた場所を。

立て続けに家族を失ったとき、彼には逃げ場所がなかった。誰を憎むこともできず、誰を頼ることもできなかった。
生まれ育った村は彼を置いて変貌していき、唯一の家族もこちらを顧みようとしない。
憎む相手も逃げ込む場所も見つからないまま時は経ち、母と兄がいなくなった原因を彼はいつしか自分に結びつけていた。

そうするしかなかったのだ。
彼はまだ幼く、何よりもちかしい者の死を真正面から受けとめるだけの強い精神が育っていなかった。
自分を丸ごと無条件に受け入れてくれる場所、"家族"。
よりによってそれを喪ってしまった彼は、悲しみも苦しみも全て自分の中に閉じ込めるほかなかった。

それは文字通り、ただの封印だった。昇華されることもなく、受容されることもない。
そうして未だに育ちきっていない心の中に押し込められた負の感情は罪悪感となり、
解消されることもないまま時間と共に膨れあがり、いつしか彼の心に途方もない虚無の穴を作った。

彼が何かをしようとするたびに、心の中に開いた暗い穴は冷たい吐息を吐き出した。
本当にそれで良いのか、また取り返しのつかないことになるんじゃないのか、と。
彼の心は次第に麻痺していき、自分の意思で何かをすることを避けるようになっていった。

時が経ち、流していた涙も尽き、彼はただ自分の中の空虚を見つめるようになった。
自分が弱かったから。自分が臆病だったから。そう繰り返しても、底なしの穴は埋まることはない。
何もかも自分のせいだと言ってみたところで、在りし日の家族は戻ってこないのだ。
それでも彼は、ごまかしの言葉を空虚に向けて投げ続けた。

生きる理由をなくしたのに、彼は生き続けた。生きるしかなかった。
彼はどちらの方向へも思い切りを付ける勇気がなく、またその機会も失っていたのだ。
何をする気も起きず、生きているという実感もなく、ただ惰性のように日々を過ごすしかなかった。

そんなときに舞い込んだのが、生まれ育った世界の外へといざなう招待状。
強くなりたい。そう願って扉を開けた彼の心には、潜在的な逃避願望もあっただろう。
ここではないどこかへ行けば少しは気分も晴れるかもしれない。紛らわすことができるかもしれない。

そしてその期待は叶えられた。いや、叶いすぎてしまった。
彼はあらゆる世界からやってきた勇敢な戦士達に次々と出会い、共に旅をすることになった。
時に危うい場面もあったが、いつもそばには誰かがいて彼が切り抜けるのを手助けしてくれた。

理不尽な脅威と絶対の安心。その両極端に挟まれた刺激的な日々を送るうちに、彼の心の中にある幻想が芽生えた。
彼らなら自分を受け入れてくれるに違いない。この虚しさを埋めてくれるに違いない。なぜならこんなにも強く、優しいのだから。
そうして彼は、強く頼もしいファイター達をいつしか仲間の域を超えた存在、"家族"だと思うようになっていったのだ。

目の前にいるこの少年は、だから、あんなに取り乱したのだ。
同い年のリンクを無意識のうちに兄と同一視し、さらわれた時には動揺のあまり船を飛び出した。
目の前でガレオムに打ち据えられたピーチに母の姿が被り、心が整わないうちに慌てて助けようとした。

彼は自分の家族を喪ったことを完全には受けとめられずにいた。
考えることから逃げ、結論を付けることを拒み、依存できる誰かを求めていた。
そのために、周りの人々に記憶を重ね合わせて罪のない幻想を作りだしてしまった。
自分は生きていても良いのかと問いかけても、もう母と兄が答えることはない。
でも、ここにいる"家族"なら答えてくれる。共に行こうと言ってくれる。

しかし彼の心にぽっかりと空いた大きな穴は、そんな幻では埋められるはずもない。
幻想は渇望のままに育っていき、ついには彼自身を圧倒してしまった。
「生きてくれ」と言ってほしい。「ここにいてくれ」と言ってほしい。
そんな基本的な自分の意思までも、無条件に偽りの家族へとゆだねてしまうほどに。

サムスは、思い切って声を掛けた。

「よく聞いて欲しい。
……冷たいようだが、もう過去を悔やむのはよせ。君はあまりにも過去に縛られすぎてしまっている」

この声に肩を叩かれたように、リュカははっと顔を上げた。
表情は相変わらず乏しく、彼の目に生気はなかったが、サムスは動じることなく彼の心に呼びかけた。

「確かに、願っても叶わないことは星の数ほどある。行ってしまった者は二度と戻ってこない。
だからといって外に代わりの者を求めてはいけない。その時は満たされても、虚しい結果が待っているだけだ。
どれだけ似ていても、どれだけ親身になってくれようとも、その者は君の求める者ではない。いずれはすれ違う時が来る。
同じ悲しみを繰り返すより……」

思い出すものがあったのか、そこで彼女はほんのわずかに言葉を途切れさせる。

「……辛いだろうが、そろそろ認めなければならない。
周りにいる者は1人1人彼らだけの人生を歩んでいる。
それまで刻んできた物語をねじ曲げてまで君の望む役を演じ、君の求める全てを与えてくれる人はいない」

そこで、サムスは意外な行動に出た。
その鎧に包まれた左手を静かに、リュカの頭に乗せたのだ。

この仕草に、少年は驚いたようにわずかに目を見開いた。
金色のくせ毛を梳くように手を滑らせ、彼女は凛然とした声に紛れもない優しさを込めて告げた。

「君の求めるものは、すべてここに……君の中にある。それを、よく心に刻み付けなさい」

こちらを一途に見上げる少年の目に、少しずつ光が戻りつつあった。
その光を呼び覚ますように、サムスは静かな声で語りかけていく。

「君が今ここにいられるのは、君の母と父がいて、遡る無数の親がいたから。
君が今の君でいられるのは、君の兄を含めた家族や君の住む村の人々、君の人生に訪れては去っていった数え切れない人々がいたからだ。
そして彼らは今、ここに。……ここにこうして辿り着いている。『君』という形をとって。
だから、ここから一歩を踏み出すのは君だ」

真正面から向き合って、彼女は言った。

「もう誰に気兼ねすることもない。
笑いたいときは笑え。泣きたいときは泣け。
君の物語は他の誰でもない、君のためにあるのだから」

リュカは、目を離せなくなっていた。
相手がこちらの頭に手を乗せるためにかがみ込んだ時、光の具合がわずかに変わり、バイザーが完全に透き通ったのだ。

向こう側にある、緑色の窓を通した戦士の素顔。
彼女は、きっと口を引き結んでいた。
わずかに細められた青い瞳は痛みを堪えているようでありつつも、逸らされることなく真っ直ぐにこちらの目を見つめていた。

視線と視線が重なった時、リュカは全てを理解した。

彼女もまた、大切な人を守ることができなかったのだ。

深い悲しみに打ちのめされ、出会いと別れを繰り返し、数え切れない期待と絶望を経験して。
性格の違いか、彼女が取った行動はリュカとは異なっていた。ひたすらに弱みを見せまいとし、庇護される対象であることを拒み続けた。
そうしてがむしゃらに生きながらも彼女は何度となく自問してきた。自分は何のために生きているのか。なぜ自分は生きているのか、と。

しかし、問うことこそが己を束縛していたのだ。
人は何のために生きるか。自分は生きていて良いのか。そこに正しい答えなどない。
さらに言えば、その答えを探し求め続けることこそが人生の目的。

数え切れない間違いを繰り返し、束の間訪れる理想に目を惑わされ、それを見失って途方に暮れる。
でも、この道を行けば、いつかは分かるときが来る。答えが見つかるときが来る。そう信じて歩き続けることが生きるということなのだ。

その一方で、時は流れ続ける。
歩き続け、生きてゆけばどんな者ともいつかは別れの時が来る。
時は無常だ。どんなに親しい者も、どんなに頼りにしている者でも例外はない。
うちひしがれ、運命を呪い、生きることへの信念が揺らぐこともあろう。

だが、彼らは消えてしまうわけではない。
姿が見えなくなったとしても、彼らは自分の記憶の中にこれから先もずっと在り続けるのだ。
彼らがいたという証は自分の中に残されている。思考や言葉の中にこだまを残し、生き続ける。

それは呪いでも、縛めでもない。彼らは何も望んではいない。恨みなど持っていない。
ただ残された者と共にあり続け、一体となり、今そこにある自分という存在、自分という人格を成り立たせている。
彼らと共に刻んだありとあらゆる記憶。そこからどの瞬間を切り出し、どんな意味を見いだすのかは自分次第だ。

守ることができなかったと自分を責め続けるのも、後ろめたさを感じて自分の感情を押し込めるのも、
あるいは、悲しみも怒りも何もかもを受けとめてそこから立ち上がり、
彼らが生きた証を語り継ぐために、そして自分の人生を歩むために次の一歩を踏み出すのも、全て。
全て、自分次第なのだ。

"君は自由だ"
彼女の瞳は、そう言っていた。

「……」

胸に、不意に熱いものがこみ上げてきた。
喜びとも悲しみともつかない感情が去来し、長らく凍り付いていた心の堰を一気に解き放つ。

見まいとしていた過去、閉じ込めていた白の底から様々な記憶があふれるようにして立ち現れた。
それはもう、かつてのようなただ苦しく目を背けたくなるだけのものではなくなっていた。
暖かく、そして懐かしい思い出。もちろん時には悲しい記憶や恥ずかしい失敗も、怒りたくなるような理不尽もあった。
しかしそれらもまた彼の記憶の、そして彼の一部だった。

様々な色合いを持った思い出。そのほとんど全てとも言える光景には家族の顔があった。
浮かんでくるたびに必死に打ち消していたその表情、その仕草。ついに彼は勇気を出し正面から見て、そして知った。

どこにも責める者はいない。彼を赦していない者などいない。
全ての思い出は、そして自分はいつも、家族のありったけの愛に包まれていたのだと。

少年の目に、ふつと涙があふれた。

せき止められていた感情が一気にあふれ出して、彼は崩れかかるように相手の膝に突っ伏した。
誰にはばかることもなく大声を上げて泣きじゃくった。
涙が頬に流れ落ちる熱い感触があった。すがりついた鎧のほのかな暖かさが、染み入るほどに感じられた。

自分の強さも、自分の弱さも、自分が見まいとしていたことも、なにもかも。
彼はついに自分の全てを認め、受け入れた。

3年分の感情をさらけ出し、涙を流し続ける少年。
そんな彼を受けとめるように、孤高の戦士は何も言わず、ただ少年の背に静かに左の手を置いていた。

Next Track ... #43『Point of No Return』

最終更新:2016-09-25

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