気まぐれ流れ星二次小説

Open Door!

Track50『Carillon』

~前回までのあらすじ~

『スマッシュブラザーズ』に選ばれ、それぞれの思いを抱いて輝く扉をくぐったファイター達。
しかし、彼らは目的地とは異なる灰色の世界に連れてこられ、得体の知れない人形の軍勢によって1人、また1人と捕らえられていく。
そんな中、プロロ島の風の勇者リンク(トゥーンリンク)と、タツマイリ村の少年リュカが出会う。
偶然が生み出した出会いは数々の困難に遭いながらも成長していき、10人のファイターが集結を果たした。
ついに、彼らは全ての根源であるエインシャントの根城へと最後の攻勢を掛ける。

数々の犠牲の上にエインシャントの元に辿り着くマリオとリンク。
彼の放った未知の攻撃によってリンクは一撃で倒れ伏し、残るはマリオ1人だけとなってしまう。
だが、あらかじめ用意していたバッジ型通信機の仕掛けによってファイター達は復活を果たし、ついにエインシャントを打ち倒すことに成功する。
纏っていた衣服を失ったあとに現れたその姿は、かつてこの世界で人とともに共存していた機械と全く同じものであった。

沈みゆく城から脱出したファイター達は、エインシャントが映し出した映像によって驚くべき事実を知る。
ヘクター博士なる人物、彼が語ったところによればエインシャントは自分たちを助けるために未知の存在の取引に応じ、自らのボディを明け渡したという。
つまり人間に対し戦争を仕掛けたのも、そしてファイターを捕らえて駒に仕立て上げたのも彼自身の仕業ではないというのだ。
証言は意外なものであったが、残された博士の映像は偽装されたものとも思えない。最終的にファイター達はヘクター博士の言葉を信じることに。
一方その頃、自分の判断によってもたらされてしまった惨状を改めて目の当たりにし、船外に出ていたエインシャントは為す術もなく立ち尽くしていた。
かつての平和だった日々を懐かしむように博士の残したデータを眺めていた彼の目に、ある一通の手紙が映し出される。


  Open Door! Track50 『Carillon』


Tuning

鐘の音が告げるもの

一夜明けて、再びデータベースルームは満室となっていた。
今回は隣のミーティングルームに繋がる側の扉も開放のまま固定され、
部屋からあふれたファイター達が椅子に座っていたり壁際に立っていたり、思い思いの格好で待っていた。
エインシャント改め"ロボット"は、今度は船のAIとケーブルで直結され、大人しく自分の記憶を読み出されるままになっている。

ファイター達は皆ロボットの方を見つめていた。程度の差こそあれ、さすがに誰もが緊張した面持ちだった。
昨夜から休むことなく続けられてきた解析、その結果が間もなく出揃うのだ。

ヘクター博士の警告は『戦いはまだ終わりではない』という大きな意味を持つものであったが、
肝心の黒幕がどこに潜んでいるのかについては一切触れられていなかった。
突きとめられなかったか、あるいは単に復旧プログラムを作るので精一杯だったのかもしれない。
また操られていたロボット自身も、この質問には申し訳なさそうに首を振るだけだった。
どこからか遠隔で操られていたのは分かるのだが、彼の頭脳を持ってしてもその発信源を探ることはできなかったという。

とにもかくにも相手は亜空間の中にいる。それならばそこら中で口を開けている闇の中に突入すれば良いのではないか。
そういった意見も出たが、あまり積極的な賛同は得られなかった。
亜空間の主がどういう経緯でロボット達の世界にやってきたにせよ、
彼の領域は長い年月を経てこちら側を吸収し、途方もない広さに膨れあがっていることだろう。
その膨大な海の中の一点に飛び込んでいったところで、相手を見つける前に力尽きてしまうのが関の山だ。

では、主が確実にいると分かっている地点に向けて飛び込むのはどうか。
奇抜な案だったが、これには控えめな支持がついた。

たとえば相手が亜空間の中心にいるとして、それはこちら側から見て必ずしも到達が困難というわけではない。
二つの時空が近接している様子を三次元の住人にも理解できるように描くと、それは二枚の平面が密着しているモデルになる。
今の状況をこれで表すと、亜空間側から瘤のようにして領域が持ち上がり、徐々にこちら側を浸食していく様子として表現されるという。
つまり、その瘤のどれかには平面の"中心"に、亜空間の主が潜む場所に一番近いものがあるはずなのだ。

今こうしてロボットが記憶を読み出されているのは、その中心を見つけ出すためであった。
記念研究所に最初に現れた亜空間の瘤、ロボットが亜空間の主と相対した地点が今でも残っていれば候補として有力だったのだが、
それはロボットが亜空間の主に乗っ取られて戻ってきた時点で消えてしまっている。
だが、彼がこれまで遠隔で操作されていたということは、入れ替わるようにしてこことむこうを繋ぐ別の瘤が現れたということ。
その在処が、常に亜空間の主の"近く"にいたロボットの記憶に残っている可能性は限りなく高い。
ボディを乗っ取られてから、良心の呵責によって自身の認識を閉ざしてしまうまでの、短くも濃密な期間に。

もちろん、いくつかの疑問は残された。
仮に発信源が見つかったとして、主は今もそこに留まっているだろうか。追い打ちを警戒して逃げてはいないだろうか。
また、自分たちが飛び込んでいったとしても主を倒す方法はあるのか。そもそも太刀打ちできるような相手なのだろうか。
しかし、何もせずに議論ばかり巡らせるのはファイター達の本意ではなかった。ともかく情報を得るために行動しよう。吟味するのはそれからだ、と。

ロボットが船のAIと協力して記憶を一単位ごとつぶさに確かめていく中、それと同時進行で別の作業も進められていた。
亜空間の主がこの世界に直接働きかけるための手段を失った今なら、彼が何らかの方法で及ぼしていた妨害も解けているはず。
凍り付いていた世界は再び動きだし、『スマッシュブラザーズ』に向けた通信も届くはずだ。

マスターハンドへの通信は操縦室にいるサムスが担当し、記憶の読み出しについてはAIと残りのファイター達が受け持った。

ミーティングルーム中央の円卓には映像データの窓がいくつも開き、9人の目がそれを見つめる。
月日を示す数字の羅列。スローモーションで伸び上がっていき、枯れていくまがい物の草花。逃げ惑う人々の俯瞰、その虫のように小さな姿。
ロボットの頭脳が細部に至るまで記憶していた過去。彼らはすぐに、奇妙な点に気がついた。

「見て。太陽が――」

ピーチが席から立ち上がり、映像の一つを指さした。
AIがそれに反応し、彼女の指し示した画像を停止させると大きく拡大する。
まだ記念研究所が元々の面影を残していた頃、操られたエインシャントが建物の外に出て空を見上げる一場面があった。
心なしか白っぽく色褪せ始めた空。そこにあったものは……

「太陽が、2つあるわ」

すると、ホログラムの端から新たな窓が開き、ファイター達の注意を引くように点滅した。
ロボットが発言を求めているのだ。マリオはデータベースルームの方を向き、そこからこちらをじっと見つめる新米のファイターに頷きかけた。

「いいぞ。君の意見を聞かせてくれ」

窓が開き、録音された音声が室内に響き渡った。

『人間どもよ。お前達の時代は終わった。
すみやかに降伏し、全ての資源を明け渡すのだ。抵抗する者には、我が軍の刃が振り下ろされるであろう』

それは"エインシャント"の名を騙った存在が、かつてこの世界に住んでいた人に対して突きつけた宣戦布告の文言。
ロボットは続いて、『全ての資源』という部分だけを切り取ってもう一度、再生してみせた。
それと同時に、新たな窓が幾つも開いていく。亜空間爆弾の設計図、ファイター達が集めてきたディスクの録画データ。
様々な感情を持った人の声、吹きすさぶ風の音、爆発音、ガラスの砕ける音が一斉に室内に弾ける。

よほど伝えたいことがあったのだろう。
その様子は人でいえば、言いたいことをまとめられないまま言葉が口をついて出てくる様子にも似ていた。
向こうの部屋にいる人が混乱している様子はさすがに表情を見て分かったらしく、
ロボットは少し申し訳なさそうな仕草でカメラアイを瞬かせると、適切なデータを選択していった。

『だが、勝てなくとも道はある。勝たなくとも、負けなければ良いのだ。
我々もまもなく、先に行った仲間を追ってここを脱出する。
その際に、亜空間爆弾を起動させる。上手く行けば、彼に深い痛手を負わせられる』

それは水没した都市で見つけられたディスク、そこに記録されていた映像だった。
ロボットがファイターになったことで、今や他のファイター達にも翻訳を必要とせずにその言葉が分かるようになっていた。

「資源、爆弾……」

差し出された情報を眺め、ピットは眉根を寄せて考え込んでいた。
開かれた窓には何か共通項がある。それこそが、ロボットの伝えようとしていることなのだろう。
それを突きとめようとしばし頭を働かせていた彼の目に、一筋の光が映る。

「……そうか!」

そのまま、彼は周りの仲間に向けて今し方思いついた考えを伝え始める。

「亜空間の主が求めていた資源というのは、この世界、それ自体だったんです。
彼は無傷のまま世界を手に入れることを望んでいた。でも、それに気がついたここの人達が先手を打った。
逃げていく際に爆弾を使用することで、資源として使い物にならないようにしたんです。きっと、そういうことですよ。
……ただ、世界を何に使うのかまでは分かりませんが」

話していくうちに疑問に突き当たり、首をかしげるピット。
しかし、その後はフォックスが引き継いだ。

「文字通り、"資源"だろうな。
俺達が戦った人形兵は何から作られていた? 廃墟を取りつぶして得られた事象素だ。
あの白い光は世界の全てを形作る素。きっと、エインシャントは」

と言いかけて、彼は言葉を訂正する。

「――亜空間の主は、マスター達を倒すために大量の事象素を必要としていたんだろう。
莫大な軍勢、ワームホールを作るためのエネルギー、そして"駒"。
あの演説は宣戦布告なんかじゃなかった。ついに格好の餌場を見つけて舞い上がった、奴のデモンストレーションだったんだ」

マリオは腕を組み、2人の意見に頷いていた。

「彼が必要としているものに気づいた住民達は、悪あがきだと分かっていたかもしれないが、
次々と世界をちぎり取りながら、あるいはこちらから亜空間に飛び込ませながら逃げていった。
この世界がやけに小さいっていうのもそれが原因だったんだな」

ファイター達がそこまで辿り着いたところで、もう一つ新たな窓が現れた。
ワイヤーフレームで描かれた、この世界の立体映像。今まで地図として頼っていた画像と異なるのは、それに光球が描画されているところであった。
誰もが発言をやめてその映像に見入る中、緑の輝線で描かれた世界に変化が起こった。

プレート状の大地は広がっていき、巨大な曲面の――球の一部になった。
空の拡大はそれよりも急激で、劇的だった。大地を示す球は見る見るうちに小さくなっていき、他の同様の球体と共に大きな光点を中心に回り始めた。
それはある程度の(そしてこの世界と同様の)天文学の知識を持ったものなら、何を意味するのかは容易に見て取れた。
恒星と惑星。自分たちが今いる灰色の世界は、その複合体のちっぽけな欠片に過ぎなかったのだ。
そのどれほどが人間達の削り取っていった部分で、どれほどが亜空間の主に資源として使われたのかは今となっては知りようがない。
しかし、ファイター達が注目していたのはそこではなかった。

太陽は、映像の中ではただ一つしかない。

「じゃあ……2つあった太陽っていうのは」

呆然とした声でリンクが呟いた。
惑星の上空に位置する、不自然な光点。亜空間の主が本格的な侵略を開始すると同時に現れた物体。
それは灰色の世界となった領域を示す小さな球のに入っていた。

この世界にある太陽と言えば一つしかない。
昼も夜も空に留まり続け、今も自分たちの頭上で光り輝くあの"光球"こそ、亜空間の主が穿った穴だったのだ。

次の瞬間、リンクは椅子をくるりと回しほとんど蹴るようにして勢いよく飛び降りると真っ先に駆け出した。
自分たちが見つけた新事実に、いてもたってもいられなくなったのだ。
彼はそのまま静かな廊下を駆け抜けると操縦室の扉、その開閉パネルに手を叩きつける。

「サムス、分かったぞ!」

が、彼はそこで口をぽかんと開けて立ち止まった。
操縦室前面のモニタに映し出されていたものを見て、呆気にとられてしまったのだ。

晴れ渡った空、青々と葉を茂らせた木々。
そんな瑞々しいほどの美しさを持つ自然を背景に、巨大な――樹木よりも巨大な白手袋が浮かんでいた。

リンクから見て左にある、つまり右の手袋が心持ちこちらを向いた。

『そこにいるのは、プロロ島のリンクだな? 改めて、ようこそ――』

声の調子からすればおそらく"彼"。彼が言いかけたのを横からいきなり遮って、もう片方が口を挟んだ。

『なぁ、右手。やっぱり招待状にオレ達のブロマイドを付録としてつけた方が良いんじゃねーか?
こうもおんなじリアクション返されると、流石のオレでも飽きちまうぜ』

白手袋は一対であるように見えて、実際には完全に独立した別々の人格を持っていたのだ。

どうやら最初に口を開いた手袋は右手というらしい。そうすると、こちらは"左手"と呼ばれているのだろうか。
呆然としつつもそこまで考えていたリンクは、自分に届いた招待状に"両手"という記述があったことを意識の端で思い出しつつあった。

『彼が驚いているのは我々の姿にではないだろう。どこにも妙なところは無いはずだ。
指は過不足無く5本揃っているし、関節の可動域も彼らの大部分と同じだ』

『そういうことじゃねーんだよ、たぶん』

巨大な手袋は、挨拶しかけたのも忘れて概念的な議論をしだした。
彼らは何に驚いているのか。外見だとしても、ファイター間にある違いの方が多い。自分たちは十分"ありふれた"姿をしている等々。

「リンク」

声を掛けられて、少年はやっと我に返った。
操縦室の壁際、モニタを遮らない位置に立ちやや陰に入った鎧姿がそこにあった。
彼女の声は平時と変わらず――全く変わらず、冷静だった。

「紹介しよう。彼らが『スマッシュブラザーズ』の主、マスターハンドとクレイジーハンドだ」

それから数分後、通信が確立したと知らされた他の仲間も操縦室に集まり、モニタに顔を向けていた。
部屋の間取りがいささか狭いために彼らは列を作って並んでいたが、その自然な様子は彼らが共に潜り抜けてきた日々の長さをしのばせる。
マスターハンド側の感覚で言えばそれは1秒にも満たない一瞬のうちに起きた出来事であったのだが、彼がその主観的な印象を押し通すことはなかった。

『おおよその話はサムスから聞かせてもらった。……よく、ここまで耐えてくれたな。
君達は十分頑張った。私達ができることと言っても帰りの扉を開けることだけになってしまったが、あとはこちらでゆっくり休んでくれ』

モニタの向こう、青い空を背に浮かぶ右手は一人一人の顔に手を向け、そうねぎらった。
しかし、ファイター達が予想していたのはそのような言葉ではなかった。
耳を疑うようにモニタを凝視する者、隣にいる仲間と視線をかわす者。その中から代表するようにリンクが発言する。

「あとは帰るだけ、だって?
おいおい、まだモンダイは終わっちゃいないぞ。やっとあいつの居場所が分かったってのに。
それに、狙われてたのは他でもないあんた達だったんだ。何のんきなこと言ってるんだよ」

腕を組んでそう言い、片眉を上げてみせた。
それに対しマスターハンドは最初の調子を変えずにこう言った。

『君達の気持ちも分かる。割り切れない思いなのだろう。
数知れぬ苦労を重ね、打ち倒した相手が替え玉だったことに。
そして、首謀者が潜む場所を突きとめた君達は今こそ本当の決着を付けようと、そう望んでいる』

彼がそう言い終わるか終わらないかのうちに、今度はカービィが口を挟む。

「マスターったら、あいかわらずどこかぬけてるなぁ~。
リンクが言いたいのはそういうことじゃなくて、このままほっといても良いのってことだよ。
だって、あんまりはんせいした感じしなかったもん」

『放っておいて良いというより、苦労に見合うほどの収穫はないということだ。
君達はすでに、これ以上はない成果を得た。サムスが送ってくれた画像を参照したが、今回招待に応じたファイターは皆取り戻せている。
また、その空間に働きかける媒体とされていたファミリーコンピュータ・ロボットも支配を逃れた。
相手は決定的な二つの要素を失ったのだ。もはや我々にいかなる干渉をすることもできないだろう』

考えを曲げないマスターハンド。隣にいる左手袋もその肩を持った。

『まさに手も足も出ないのさ。そんなとこに自分から飛び込んでって何をするって言うんだ?』

これに、リンクは少し怒ったような顔をしてこう返した。

「何をって、決まってるだろ? こんなことが二度と起こらないようにするんだ。
まったく信じらんないよ。自分の命や、大事にしてるものを狙ってるやつがいるっていうのに何のんきなこと言ってんだか」

「マスターさん。私も同じ考えよ」

心持ち顎を上げ、はっきりとそう言ったのはピーチである。

「私達はまだ、エインシャントの名前をいつわった方がどうしてこんなことをしたのか、それについて直接の答えをもらっていないの。
事件は解決していない。このままではまた同じことが起こるわ。私達、スマッシュブラザーズだけの問題じゃない。
多くの人が住むところを失い、それよりももっと多くの人が悲しみ、怯えて暮らすことになる。
……マスターさん。それにクレイジーさんも。あなた達が狙われていた理由に、何か心当たりはないの?」

真摯な表情で呼び掛けたが、返ってきた反応はどうにも手応えのないものだった。

『心当たり、か……』

『まぁ、あんたらファイターに恨まれるってなら考えられるけどな。
なっ! ほら、オレにこてんぱんにやっつけられたとか、頭に花咲かされたとかさ!』

左手のあまりに軽薄な調子はいつものことであるらしく、
ベテランのファイターは思わず苦笑するか、完全な呆れ顔を向けるかのどちらかだった。
後者であったサムスは次いで、傍らに来ていたロボットに視線で合図を送った。
ロボットは頷き、前に進み出る。

2つのカメラアイが青く光り輝き、受像器に向けて実体を持たない映像を映し出した。

途端に両手は揃って指の動きを止め、沈黙した。軽口を叩いていたクレイジーハンドさえも。

覆い被さるような青い影。それは、ロボットが亜空間で遭遇した存在であり、この事件の真の首謀者。その克明な静止画だった。
全身を青く輝かせた人の似姿。ポッドに向けて背を丸め、両腕を交差させたその上にある顔には目が存在せず、そこには眼窩の浅い窪みだけがあった。
胸の心臓にあたる部分には赤く光るコアがあり、亜空間の闇にぼやけてしまっているが背には虹色の翼のようなものがあることもうかがえる。
だが、ファイター達の視線を釘付けにしていたのは人とは似て非なる彼の異様な姿ではなかった。

闇の中、こちらを睥睨するその顔には、紛れもない笑みが浮かんでいた。

誰も彼もが多かれ少なかれ背筋に言い知れぬ怖気を感じる中、まったく動揺を見せていないのはそれを映し出すロボットくらいであった。
しかし彼にしても動作に出していないだけで、その思考の内奥では恐れを感じているのかもしれない。

やがていくらかいつもの調子を取り戻したマリオが両手に向けてこう尋ねる。腕を組み、あくまで軽い調子で。

「それで、この顔に見覚えは?」

宙に浮遊する巨大な手袋が次に言葉を発するまでには、少し時間が掛かった。
両手とも指が心持ち開かれている。それは人間で言う唖然として口を開けている様子とも取れた。

『……まさか』

ようやくマスターハンドはそう言った。
"まさかあれは、あのときの"。呆然としてそのような言葉を繰り返す相方を押しのけるようにして左手が正面に出てくる。
それまでとはがらりと調子を変えた厳粛な声音でこう切り出した。

『答えは、イエスだ。
だが、こいつが関わってるならなおさらあんたらは帰ってきた方が良い。
これはオレ達の責任だ。あんたらの手を煩わせるわけにはいかない』

「責任だって?」

耳をぴくりと動かし、フォックスがわずかに目を見開いた。

「じゃあやっぱり、君達は何らかの形で関わっていたんだな。彼があれほどまで、あんなことをするまで憎しみを募らせたことに」

彼は極力、声には感情を出すまいとしていた。だが、その白い眉は言葉と共に険しさを増していく。
その憤りは愛機を撃ち落とされたことや仲間を奪われたことばかりではなく、故郷を捨てざるを得なかったこの世界の人々の分も含まれていた。
これにはクレイジーハンドも、おどける様子もなく手首を項垂れさせた。

『その通りだ。……弁解のしようもねぇ。
だが、これだけは言わせてくれ。こいつはお前らが太刀打ちできる相手じゃぁない』

たちまち、船内が騒がしくなった。
左手の言葉を聞いたファイター達が我先にと声を上げ始めたのだ。
彼らは実際には一人としてモニタに詰め寄らなかったが、その言葉の勢いはほとんど殺到に近かった。

「あんた達はあいつに会ったのか?
でも、あいつが生きてるってことはあんた達でも倒せなかったってことだろ?
だったら、その責任ってやつをこれからどう取るつもりなんだよ」

「じきにあいつはここを吸い尽くし、行方をくらます。
これは最後のチャンスなんだ。あいつを追いかけ、捕まえるための」

「らしくないなぁ。君達2人は招待主だろう? 俺達ゲストの実力を見くびってもらっちゃ困るね。
イベントで君達と闘って勝った強者達が、こっちにはちゃんと揃ってるんだ」

「それじゃあ、このまま見過ごすつもりなの……?
ねぇ、2人とも。ちゃんとして。事件が起こってしまってからでは遅いのよ」

突きつけるように、あるいは引き留めるように。
身振りも加えて様々な声で呼び掛けられ、その矢面に立たされたクレイジーハンドは慌てて手を振りながら後退する。

『ちょ、ちょっとタンマ! ストップ、ストップ!
そんないっぺんに言われても聞き取れねーし、答えられねーって! オレはどっかの"セッショウ"じゃないんだからよォ!』

と、次の瞬間。騒ぎは水を打ったように収まった。
じっと考え事にふけっていたマスターハンドが、まるで状況とは乖離した静かな口調でふとこう呟いたのだ。

『――待て。彼が関わっていたとすれば』

満座の視線が向けられる中、彼が向き直り正面から相対した相手はサムスただ一人だった。

『もう一度、データを送ってくれ。その"駒"にされたファイター達のデータを。
今度は君の船にある機械を使って調べた、全ての情報を付けて』

サムスは軽く肩をすくめた。
本当はこうして仲間が集まってしまう前に送るつもりだったのだが、話が勝手に流れていってしまった。
それを邪魔が入ったと言うつもりはサムスには無かった。彼女はその代わりに黙って操作卓に手を乗せ、いくつかのキー操作を行った。

今度の沈黙は、亜空間の主を見せた時よりも長く感じられた。
画面の向こう側で両手は手元にホログラム装置を出現させ、指を突きあわせんばかりにして画像に見入っていた。
一人あたり何十枚にも及ぶデータをめくっていき、文字や数値のただ一つも逃さないようにして読んでいく。

『……前言撤回だ』

やがて掌を上げたマスターハンドはそう言った。

『君達にはあと一度だけ、戦ってもらわなくてはならない』

重々しく告げられた宣告に、リンクを初めとする何人かのファイターはやっと期待通りの答えを得たというように笑顔を見せた。
しかし笑いのどこかには少しばかりの怪訝そうな引っかかりがあり、その他の者は愁眉を開ききれずにいた。

サムスは組んだ腕をほどき、改めてフロントモニタ一面に映る両手袋を見上げた。
緑色のバイザーに映り込む反射光が位置を変えたが、彼女の表情が透けて見えることはなかった。

その顔でじっと相手を見つめ、サムスは冷静な声でこう問いかけた。

「つまり……君達にも治せない、ということだな?」

マスターハンドは一言も口に出さず、しかしゆっくりと頷くことでそれに答えた。
その衝撃がファイターを動揺させないうちに、クレイジーハンドが横から補足に入った。

『だが、"治せない"イコール"打つ手無し"ってことじゃないぜ』

右手がすぐにその後を継ぐ。

『彼は我々のやり方を熟知した上で計画を立てている。
どんな手を使おうと、駒にされた者を起こせば精神が封じられたままの状態で目を覚まし、彼の意思に従って行動を開始する。
そんな彼らを操り糸から解き放つ手段はただ一つ。厳重な封印を貫き心の奥深くまでを動揺させるような記憶、過去の衝動を再現すること。
しかしながら、私達では不可能だ。私達が知るのは君達の武勇伝であり、プライベートな記憶ではない。
また、例えどんなに精緻な舞台を用意したところで、それは我々がこうであったろうと推測した光景に過ぎず、支配を撃ち破るには及ばないだろう』

『つまり、これは王子様のキッスじゃなきゃ解けない魔法だってこと。
本当にそいつのことを知ってるやつが面と向かって思い出させなきゃならねぇ。
オレ達がいくらパペットを操ったところで、それは本物じゃない。所詮、的外れなおままごとにしかなんねぇのさ』

左手はいくらか砕けた調子で相方の難解な話をすらすらと解説し、一息挟んでからこう言った。

『問題は、肝心の"本物"が駒にされちまってること。ついてねぇ話だよ。
今回助かった2人は偶々マブダチが捕まらずに済んでたから良かったものの、後のやつらはみーんな、お仲間もろとも同じ檻に閉じ込められてる。
あんたらが早とちりしてなくて良かった。焦ってそいつらの目ェ覚まさせてたら今頃……全滅してたろうな』

しみじみと手首を左右に振るクレイジーハンド。
その様子を前に、マリオは口には出さず心の中でこう呟いていた。まぁ、それもたまたまだったんだけどな、と。
かつて弟と姫がフィギュアの陳列棚に辿り着いた時、すぐに衛兵がやって来たこともあってマリオ1人を抱えて逃げたという。
復活させられて敵対してきた"駒"がその1人だけだったから、警戒も出来上がったし対策も立てられた。

記憶に刻まれることの無かった過去、それを思い出そうというようにいつになく真剣な表情をしていた彼に、隣から声が掛けられた。

「貴公に一つ聞きたいのだが」

見ると、フロントモニタからの青味がかった光を仮面の横に受けて、メタナイトがこちらを見上げていた。
彼は、きわめて真面目な声でこう尋ねかけてきた。

「『マブダチ』とは、どういう意味だ?」

「そりゃぁ」と答えかけて、すんでの所でマリオは思い出した。
そういえばカービィの彼に対して付けた"しんゆう"認定は一方的なものだったっけか、と。
数秒で他の言葉を探してきて、マリオは咄嗟に答えを作り上げる。

「きっと、あの2人しか知らないようなどっか遠くの世界の言葉だな。俺にも分からなかったよ」

これに相手は少し訝しげな視線を向けたが、これ以上尋ね返されることは無かった。
他の仲間と両手との質疑応答が一段落し、話が次の段階へと移りかけていた。

「それで? それとこれとはどうつながるんだ。
今もフィギュアのまんま船の倉庫で待ってるファイターはおれ達にも、あんた達にも治せない。
でもたった一つ、おれ達があいつを倒せば何とかなるって言うのか?」

いくらか先ほどよりも表情を明るくして先を促したリンクに、マスターハンドはこんな謎めいた言葉で答えた。

『彼に物語を手放させるのだ。そうすれば全てはあるべき場所に戻る』

狙った効果だったのか、この意味を捉えようとした船内全員の注目が一斉にモニタへと集まった。
静まりかえった操縦室に、穏やかな温かみと紛うことなき威厳を兼ね備えた声が響いていく。

『これまで彼が関わってきた時と場所。いつ、どこで何が起きたか。つまりは"物語"。
亜空間のみならず、ロボットに接触してから今に至るまでの時空連続体は全て、彼の力によって保たれている。
従って、彼にその維持を諦めさせることができれば……これまでの出来事は初めから起こらなかったことになる』

当然、これを聞いたファイター達は呆気にとられた。
混乱が収まらない様子のまま、ピットがマスターハンドに向けて問いかける。

「そんな……そんな手品みたいな話、あり得るんですか?」

彼が答えるよりも先に、集団の前方にいたサムスが振り返ってこう言った。

「あり得る。亜空間の主が二柱と同様の、時空の要であるならば」

それから体ごと向き直り、ピットも含めて飲み込めていない様子の仲間に説明する。
攻城戦の前夜、会議室で行った解説をもう一度。今度は手短に。

「マスターハンドとクレイジーハンドは『スマッシュブラザーズ』の時間と空間を創り上げ、不要な部分を破壊し、そうして維持している。
彼らがいなくなればあの世界は、未来はおろか今に至るまでの過去さえも永久に失われる。
どういう理由か『スマブラ』を転覆しようと目論んでいた亜空間の主は、だからこそ二柱を狙っていたのだ」

それを聞いてから、ピーチは再びフロントモニタへと顔を向ける。
片手を胸の前まで上げ、そっと握りしめた。

「亜空間の主が、マスターさん達と同じ……?」

彼女はどちらかと言えばこれから戦うことになる相手に言いしれぬ危機感を覚えはじめていたのだが、マスターハンドは違う意味に取ったようだった。

『何も特別なものではない。程度は異なるものの、これは誰にでもある力だ。
物語を認識し、紡ぎ、構築し、育て、守る力。生きとし生ける存在がその内にたくわえた記憶は、他の何者とも入れ替えることができない。
唯一無二。君達の記憶は、本質的には君達だけのものなのだ。受け継がれることがあったとしても、完全な複製になることはないだろう。
物語は君達と共に生き、そして消えゆく。"彼"や私達の場合はその消失が、物語に関わった者全てにまで及んでしまうのだがな』

この小難しげな説明を何とか理解しようと、眉をしかめていたリンクは少しして不満げにこう返した。

「でも、おれはあんた達みたいに何もないとこからモノを作ったり、パッと消したりなんかできないぞ」

マスターハンドがより難解な理論を持ち出して場を混乱に陥れる前にと、クレイジーハンドが先回りして代弁する。

『良い質問だ。それはな、向いてる方向の問題なんだよ。
記憶ってのはガッチリしてるようで、実は四六時中手直しを受けてる。
都合の良いとこを消したり、誇張したり、別の記憶とくっつけたり。はたまたなんにも無いとこから全く新しい記憶を作り上げることさえある。
……ま、本人にとってはそれが真実なんだがな。
で、オレ達はそれを頭ン中じゃなくて、外でやってる。それだけの違いなのさ。
とどのつまり何が言いたいかっていうと、今回の場合で言えばお前らは今あいつの夢の中にいるってこと。
あいつがいなくなっちまえばその灰色の悪夢を夢見るもんもいなくなる。消えちまうって訳だ。跡形もなくな!』

「はぁ……」

リンクは生返事を返すしかなかった。途方もない規模を持つ話に、左手のフランクな解説を聞いてもかみ砕けなかったのだ。
脳が疑問符で飽和状態になってしまったのは他の大体のファイターも同じであるようだった。

しかし、リンクはわりあい早く気持ちを切り替えた。
再び表情を引き締めて、モニタに映る巨大な白手袋のペアを見上げる。

「ま、要するに取り下げてもらえば良いんだな?
あいつのことだからすんなり頷くわけもない。それこそ、この手で分からせないといけないだろうな」

マスターハンドがそれに応え、重々しく頷いた。

『頼んだ。我々の不始末を押し付けることになってしまって心苦しいが、この仕事は君達にしかできない』

モニタに向けられた11人の顔が、それぞれの調子で了解の仕草を返す。
と、その中から、不意に白い手袋をはめた手が挙がった。

「最後に一つ聞いて良いかな?」

マリオは軽く額の辺りまで上げた手をそのままに言った。
声こそいつも通りの気さくさを保っていたが、『スマブラ』の創設者を見つめる眼差しには隠れることのない光があった。

「俺達にしかできない理由って、何だ?」

これに対し、右手はしばらく沈黙した。
言葉を探しているのか、それとも黙秘を貫こうとしているのかは顔の存在しない姿からは読めない。
黙ってゆっくりと五指をうごめかすマスターハンド。ファイター達の心中を代表してクレイジーハンドが、その人差し指で相方を軽く小突いた。

『――そうだな。君達には知る権利がある。
……私達にも、巻き込んでしまった責任を果たす義務がある』

マスターハンドがようやく、その重い口を開く。

『クレイジーハンドは先程、私達の性質を頭の外に働きかけるものとして説明した。
それでも間違ってはいないが、正確には"私達には外も内も無い"と言った方が良いだろう。
我々が自在に破壊と創造を行えるのは、ただ単に外と内の区別がないからだ。
現実であり、空想であり、そしてもはやそのどちらでもない空間にいる。
そのため、空想の中で想像したことは現実としてたちどころに具現化する。私にとって想像することは創造することと同義なのだ』

言いながら、彼はその周りに様々なものを呼び出していた。まるで実例を見せるように。
何も無い地面から不意に何本もの若木が伸び上がり、急速に成長していき、青々と葉を茂らせた枝を伸ばしていく。
それが両手の浮かぶ辺りまで来たところで途端に強い風が吹き、枝はおろか幹までもが呆気なく折れ、消え去っていった。
しかし風に舞い上げられた緑の葉はそのまま色とりどりの蝶や桃色の花吹雪となり、青空の彼方へと飛んでいく。

そんな中で、白い手袋だけが変わらずそこに在り続けていた。

『一方、君たちは外と内が区別されているため、想像したことを今度は外で一から作らなければ具現化することができない。
だが、それは幸いなことなのだ。
我々の為すことがただの積み木遊びと異なるのは、遊ぶ者がいなくなれば積み木の城も消え去ってしまう点だ。
あまりにも自分の外と内が混然としているために、自分が観測し続けなければ、意識し続けなければ外も内も維持できない』

言葉こそ途方もない苦労を偲ばせるものだったが、それを語る彼自身の口調には疎ましげな様子などなかった。
彼らにとってはそれが現実であり、当たり前のことだったのだ。
しかし、その次の言葉を継ぐまでには少なからぬ時間が掛かっていた。

『造物主。それは私達のような存在に出会う前から、様々な世界で思い描かれてきた。
だが、私達に限っては崇拝を受けるほどの偉大さも、畏れ敬われるほどの神秘性も無いと思っている。
外と内の区別がないこと。それは利点でもあり、欠点でもあるのだ。
私か左手のどちらか、あるいはその両者が無意識のうちに想像したために、彼が具現化してしまったのだから。
我々と不完全に似た、"彼"を』

――
―――

「妙だ。あのようなものを創った覚えはない」

ぽつりと、マスターハンドは呟くように言った。

その声に、ようやく完成形を表しはじめた世界をほれぼれと眺めていた彼の片割れ、クレイジーハンドは振り向く。
そして同じ方角に目を――いや、掌をやり、少しの間マスターハンドの言った"もの"を探していた。

彼はじきにそれに気がついた。

「へぇぇ、バグじゃないか」

物珍しげにクレイジーハンドは言った。
バグ自体は珍しいことではない。ただ、2人の見る先にあるものは規模が大きかったのだ。
それも、桁外れに。

地面に半分がた埋まり、蠢く暗紫色の球体。それは実にスタジアム3個分の直径を持っていた。
森を飲み込み町並みの端を削り、2人が見る間にもあるかなきかのスピードでじわじわと成長している。
まさに、それは世界の虫食い穴バグだった。

暗黒の色に染まった球体がスローモーションで世界を蚕食していく様子を、
自分と相方が目を覚ましてからこのかたずっと取り組んできた最初の傑作が損なわれていく様子を、マスターハンドはあくまで冷静に見つめていた。
そして確信を持って頷く。

「確かにバグだ。しかし、あのような大きさがあるというのに今まで我々が見落としていたとは思えない。
つまり、あのバグには自身の拡大を促進する何らかの要因があるのだ」

「だろうな。ま、理屈はともかく早いとこ消さないとこっちまで危ないぜ」

その時の『スマブラ』の世界は、建物らしい建物はスタジアムの他、二三の小さな町しかないちっぽけな世界だった。
放っておけば、じきにこの世界はバグに食い尽くされてしまうだろう。これから招待される戦士達が一度も足を踏み入れることもなく。
だが、クレイジーハンドは平時と変わらない、どこか軽薄なまでの陽気さでそれを言うのだった。

規模が大きいとはいえバグの処理はいつでも同じだ。
すなわち、すっかり亜空間に飲み込まれて意味を失ってしまった領域をクレイジーハンドが破壊し、
そこにマスターハンドが大地や空といったあるべき事象を創造し直す。

壊し、創る。
それは、彼ら2つの手がこれまでずっとやってきたことであった。
傍から見ればただ単に二つの手が正常な空間を覆い尽くす闇を押し戻しているだけのように思えるが、
その実2人がぴったり息を合わせて、空白の残らないようにしながら元々そこに存在していたものを一から創り直しているのだった。

2人の手さばきは慣れたもので、すぐに亜空間の直径は最初に気づいた時点の半分にまで縮んでいった。

「ん……?」

それに気づいたのはクレイジーハンドだった。
草原を侵蝕するバグの縁を壊しかけて、彼はその向こうにある何かに気がつく。
少しの間戸惑ったように手を止めていたが、やがて傍らのマスターハンドにこう言った。

「おい、右手。ちょっと聞くがな」

「なんだ」

「……バグん中に存在できるヤツって、ありえるか?」

その言葉に、マスターハンドは驚いたように振り向いた。
相方が見つめる先、彼らが黙々と修復作業をしていた縁の向こう、亜空間側のやや左の深み。
そこに、確かに何かがいた。

青く光る存在。
動いている。いや、こちらに近づいてくる。それも、物凄い速度で。

「……」

マスターハンドからの答えはなかった。彼は凍り付いたように動きを止め、接近してくるそれをじっと凝視し続けていた。
彼はあり得るはずのないものを前に、説明のつく理由を求めて思考の中に沈んでしまっていた。

クレイジーハンドが前に進み出る。
明らかに敵意を持って飛翔してくる存在に対し、防戦も応戦も何の構えもしない相方に代わって。
対し、青く光るそれは人のような姿を露わにし、ますます速度を上げ巨大な白手袋に襲いかかろうと――

したが、わずかに彼の前の空間を引っ掻くだけに終わり、その軌跡は暗紫色のバグに置き換わった。

それは慌てて手を引っ込めたのだ。
しかし、間に合わなかったらしい。亜空に退避したそれの右腕は肘の付け根から先がすっかり失われていた。

目も口もないのっぺらぼうの顔に驚愕の表情らしきものを浮かべ、それは失われた右腕を見つめている。

対し、破壊の力を行使した本人は涼しい顔をしていた。
手首を傾げ飄々として呟く。

「オレ達がつくったザコ敵に似てるが色が違うな。それに、あいつらよりもちぃっとグロテスクな皮フしてやがる」

そして背後にいるマスターハンドに、こう声を掛けた。

「おい。あのクラゲ人間、あんたが創ったのか?」

今度はすぐに答えが返ってきた。

「記憶にはない。ということは、左手もか」

「ああ。オレだってこんな趣味の悪いイタズラした覚えはないぜ」

そして彼らは並んでバグの向こうを、そこに佇む青色のヒトもどきを見つめた。

彼らの見る前でそれはようやく衝撃から立ち直り、瞬く間に、そしていとも簡単に右腕を再生させた。
復活した右手を試すように開いたり閉じたりしているそれから視線を離さず、マスターハンドはこう切り出した。

「だが、今の一連の現象で分かったことがある」

冷静さを崩さず、かつ緊迫感を持って彼は続けた。

「彼は、我々のうちどちらかが、あるいはどちらもが生み出してしまったものだ」

マスターハンドがまだ言い終わらぬうちに、その"彼"が再び攻勢に転じた。
今度は初めからクレイジーハンドに狙いを付け、しかし相変わらず突撃以外の手段を持たぬまま突っこんでくる。
亜空間の境を超え、それまで2人が直してきた領域を再び闇の色に塗り替えながら。

対しクレイジーハンドはそいつに向けて人差し指をさし、すなわち銃の形を真似て――撃った。

静まりかえった空に一つ、爆発的な銃声が響く。

放たれた破壊の弾丸は青白く光るヒトの前、障壁のようにして彼の数十センチ手前まで展開されていた亜空間にめりこむと、
触れるそばからバグを破壊し、暗紫色の欠片を盛大にまき散らし、勢いを止めずにさらに突き進んだ。

衝突。そして、墜落。

今度は顔をかばった両腕を失って、ヒトもどきは再び亜空間の見えない地面に打ち据えられた。
マスターハンドはそれに構わずなおも真剣な口調で話を続けていく。

「私が知らぬ間に創ったのか、左手が壊した跡に生じてしまったのかは分からないが、
それ以外ではあり得ない。つまり、彼は他の世界から来たのではない」

なおも諦めず両腕を再生させ、目鼻立ちのはっきりとしない顔に憎悪をむき出しにしてヒトもどきは立ち上がった。
だがすぐに、彼は後退を余儀なくされる。
彼を守る亜空間はもうその目前まで砕き壊され、その向こうから喊声かんせいを上げてクレイジーハンドが迫っていたのだ。

左手は叫びながらケタケタと笑い声を上げていた。
彼は明らかに、壊すことを楽しんでいた。

一方的な、戦いとも言えない戦いを繰り広げている相方の後ろでマスターハンドはなおも語り続ける。
片割れが聞いているかどうかは気にしていなかった。半ば自分の考えを独話しているようなものだった。

「現に、彼は左手に指一本触れることもできていない。
しかしながらその一方で、左手の力は彼に及んでいる。すなわち破壊することが可能なのだ。
この世界にある、我々が作りだした物事と同じように」

またしても、青く光るヒトは亜空の大地に倒れ伏した。
やっと怒りより保身の恐怖が打ち勝ったらしく、彼はバグの奥に後退し始めた。

失った脚をかばい、飛ぶこともできず這うようにして去っていくヒトもどきの背中を見送りながら
クレイジーハンドもマスターハンドの傍らに戻ってきた。
いくら破壊して切り開けるとはいえ、補修の手順を無視していきなりバグの中心部まで突っこむ気にはなれなかったのだろう。

少し熱の収まった様子でクレイジーハンドは頷いた。

「確かにな。
そして奴はどうやら、オレ達の不完全なそっくりさんらしい」

クレイジーハンドの言うとおり、現にヒトもどきは破壊された自らの身体を創造することができていた。
だが、それだけではなかった。

手だけの姿で顎をしゃくるような仕草をし、クレイジーハンドは亜空の奥を示した。
暗紫色の霧の向こう、青いヒトもどきの行く手に広がっているのは無造作に転がる不格好な塊だった。
それら何らかの堆積物が、町や森あるいはスタジアムを真似たものだと分かるのに数十秒かかる。

幼児が手でこねた粘土細工のようにそれらは未熟で不完全だった。定まった輪郭も持たず、色彩らしい色彩も持っていなかった。
しかし、それらは紛れもない"創造物"だった。

世界を生み出すことは、物語を書き進めることと類似している。
ランダムに散らばった文字。それを集めて意味を成す単語を作り、さらに組み上げて文章を綴っていく。
余計な文字を消し、壊すことで文が文として見えるように空白を生じさせる。

青く光るヒトもどきは、意味のない文字の雑多な集合であるバグ――亜空間の中にいながら、
意味のある文章、つまり事象を創り-壊し、そうして世界を生み出そうとしていたのだ。

だが、その試みは彼自身の持つ特性によって完全に妨げられていた。
それは――

「彼には、我々にないものがあるようだ」

先ほどまで、クレイジーハンドを攻撃しようとしてことごとく失敗した彼の残していったバグ、
宙に幾筋もの尾を引いて残っている亜空間を見やりながらマスターハンドは言った。

「創造でもなく、破壊でもない。
何と言えばいいのだろうな……」

彼にしては珍しいことに、ふさわしい表現を探してその声が途切れる。

「あれは、おそらく元に戻してしまうのだ。
創り、壊し、それを繰り返して意味ある形へと構築された空間を、そうなる以前の状態に……そう、未分化な状態に戻してしまうのだ。
意味も存在も曖昧で不完全な空間である、亜空間に」

「元に戻すってぇ言うより、"否定"だな。ありゃぁ」

はっきりしないマスターハンドに対し、すぱっと割り切るようにクレイジーハンドは言葉を返した。

「オレ達がいるこっち側を、否定してんだ。在るもなく、無いもない。
打ち消して、そんでもってその跡に自分の世界をこしらえようとしてる。
その手前の世界さえ、制御できない自分の力で否定しちまってるから真似事で終わってるんだ。
ありゃあ、オレのやる破壊とは全く別モンだな。どんなに壊そうと分子だの原子だののちっこい部品は残る。
だが、やつの通った跡には亜空間のほか何も残ってねぇ。まったく、なンにもだ」

準備運動とばかり、指を曲げたり伸ばしたりしながら彼は繰り返した。

「ヤツはオレ達を否定してる。
先に手ぇ出したのはこっちだったが、それをさっ引いてもヤツの敵意は本物だぞ。
だっていきなり飛び掛かって来たんだぜ。つまりオレ達をすでに敵だと、邪魔者だと認識していたのさ」

それを聞き、マスターハンドは戸惑ったようにこう返した。

「だが、何故だ? 我々は彼に何もしていない」

「理由なんて知るもんか」

クレイジーハンドは手だけの姿で肩をすくめるようにして言った。
ただでさえ得体が知れない存在の、さらにその動機を理解しようなんてどだい無駄なことだ。
彼は言外にそう言っていた。

「なんにせよ、早いとこ手を打たなきゃこっちがやられちまうぞ。
同じ世界に創造と破壊は一組いれば十分だ。このままダブったままじゃ、世界がすっかりおシャカになっちまう。
ここでヤツを完璧に消し飛ばしちまえば良い。今ならまだ間に合うぜ」

そう言って、クレイジーハンドは相方の返事を待った。
いつだって重要な局面では2人の意見が揃ってから行動するものだ。
新しいシステムの是非、スタジアムの統廃合。まして、この世界『スマッシュブラザーズ』の存続に関わることについてはなおさらである。

そして今は、その時だった。

マスターハンドはたっぷり数分間は考え込んだ。
自分が直しかけていた草むら、そこに咲く一輪の花をじっと見つめる。そしてその視線を、目の前に巣喰う黒紫色の闇へ。
もやの中に腰を下ろし、消し飛ばされてしまった足を再生させようと意識を集中させる彼の姿。背を丸めた孤児。

やがて、マスターハンドは静かな声で言った。

「……彼を、生かしてやることはできないか」

「よっしゃ任しとけ――って、えぇッ!?」

意気揚々と突進しかけたクレイジーハンドは中途半端に制動を掛けられ、素っ頓狂な声を上げた。
そのままドリフトを掛けるようにして勢いよく右手に向き直ると、指関節を突きあわせんばかりにして言いつのる。

「なーに言ってんだよこの平和主義者! あんなエイリアンと仲良くお手々繋いで暮らそうってのか!?
このままじゃあっさり征服されるのがオチだ。オレ達がさっきまでみたいに延々壊して作り直すとしたって、
招待される奴らも落ち着かねぇし、観客もおっかながって帰っちまうだろうがよ! なぁ、頼むからシャンとしてくれ!」

若干押され気味にそれを聞かされていたマスターハンドは、さすがにため息をつくと無言で払うような仕草をした。
適切な距離まで後退した左手に、根気強く言い聞かせるようにして彼は言った。

「話は最後まで聞きたまえ。それが君の悪い癖だ。
……私は何もここで共存するとは言っていない。それが可能だとも思っていない。
だが、せっかく生まれた命を共存できないからという理由で消してしまうのも過ぎた行動だ。そうは思わないか?」

「じゃあ、追い出せっての?」

少し不服そうな声を出すクレイジーハンド。単純に破壊するだけなら仕事も簡単だったのだが、壊さずに外に出せとは少々厄介だ。
しかし、最終的に彼は頷いた。渋々ながら。
左手は根っからの破壊狂だったが、世界を管理する者としての倫理観までは壊れていなかった。

「オーケー。やるだけやってみる。だが右手、今度はお前も手伝えよな」

勢いよく人差し指を突きつけたクレイジーハンドに、マスターハンドは重々しく頷いて返す。

「もちろんだ」

完全復活した青いヒト型が飛び掛かってくる。
対し、迎え撃つのはマスターハンドにクレイジーハンド。この世界で最高の権限を持つ管理者。
創造と破壊が揃えば出来ないことはないだろう。しかし、待ち受ける彼らの背に油断はなかった。
彼らには分かっていた。死にものぐるいになった生き物ほど恐ろしい存在はない。

自らの持つ力が両手に通用しないと学んだ彼は、亜空間の中で自前の武器を用意していた。
こちらを真っ直ぐに見据え飛翔する青い影。クリスタルのように透けた眼窩が睨みつけるように歪み、彼はその右手に何かを出現させる。
黄金の輝き。その鋭さを見極めきれないうちに、それは目にも止まらぬ速さで両手に襲いかかった。

鈍い音。同時に、二つの手袋の前に分厚い壁が出現していた。
一つ一つが巨大な正方形のブロック、それを丁寧に組み上げて作られた茶色の壁。
両手のうち左手を狙い、彼を貫こうとした武器は壁を突き抜けて顔を出したところで止まっていた。
銛のような形をした黄金の結晶。その鋭いブレード部分を見たクレイジーハンドは身震いする。それは演技か本心か。

「っぶねぇ~!」

少なくとも、そう言った声にはこの状況を面白がるような響きがあった。
彼はそのまま壁ごと銛を殴り壊し、その勢いで亜空間に向けて突進していく。

バン、と大きな音が大気を揺るがしたのは彼が音速を突破したためであった。
マッハコーンと呼ばれるドーム状の雲を突き抜けて、その勢いのまま白い握り拳は黒紫色の闇にぶつかっていった。
たちまちバグが破壊され、球面が彼の前で見えない指に押されるようにへこんでいく。

その着弾予想点に立っていたヒト型は忌々しげに右手を振るうと、それまで持っていた武器の名残、黄金の鎖を消し去った。
次いで、彼自身も姿を消す。

「ん?」

能天気な声を上げる左手。
けれども、これほどの勢いが出ている状態では止まることもできない。

そのまま彼のいた領域につっこんでいった左手は、まばゆい光の炸裂に襲われる。

「うわっちちち!」

あちこちから煙を立ち上らせ、クレイジーハンドは派手に騒ぎながらその場から脱出した。

「大丈夫か?」

気遣うように声を掛けるマスターハンド。しかし左手の方へ向かいかけた彼の前に、光の柱が立ちはだかる。

「……」

咄嗟に後退して避け、次いでビームの出所を辿った彼は亜空間の中に砲台が出現しているのに気がついた。
それは機械というよりむしろ生物的なデザインで、カッと真っ赤な口を開けた怪物のような形をしている。その砲台の後ろには、やはり彼の姿があった。

神殿の柱ほどもあろうかという光線の膨大なエネルギーによって空気が熱せられ、右手の横で雲がいくつもちぎれ飛んでいく。
そんな熱を横腹に受けながらマスターハンドは顔色一つ変えず、途方もない大きさを持った鏡を出現させた。
皿状に湾曲した鏡が柱に差し込まれるとたちまち光は折れ曲がり、鏡が傾きを変えるにつれて亜空間を蹂躙しながら戻り始めた。
抗いがたい速度を持って光は折れ曲がっていき、その砲手へと襲いかかる。
自らが発生させた業火に焼かれて砲台は破壊され、光も消えた。しかし、その作り手は寸前でどこかへと姿を消していた。

だが、どこに逃げるにしても彼は外には出られない。亜空間の外には。
じきに彼は、少し離れた闇の中に姿を現した。

「まったく諦めの悪いヤツだぜぇ! ちょこまかと逃げ回りやがってよォ!」

すっかり気を取り直したクレイジーハンドが再びの特攻を掛ける。
それに気づいたヒト型は亜空間の中で瞬間移動を繰り返しはじめた。左手を撹乱しようというつもりなのだろうか。
しかし、左手の方が上を行っていた。

「そこだあぁっ!」

指をくわっと開き、凄まじい気迫が放たれる。

次の瞬間、暗紫色の亜空間に大きな凹みが生じていた。
その縁に、辛うじて逃げ切ったヒト型の姿が見えていた。片側の腕と足を失っている。
彼が瞬間的に飛べる距離を見極めた上で、その範囲を消し飛ばしてしまったのだ。まったく『そこ』も何もない攻撃だった。

「ちっ。外したか」

「左手」

マスターハンドから窘めるような声が飛ぶ。クレイジーハンドはへらへらと笑ってこう返した。

「わ~かってるって。わざとわざと!」

左手が盛大に破壊したお陰でこちら側の正常な領域にも空いてしまった暗い穴をとりあえず草地で埋め戻しつつ、
マスターハンドは亜空間に潜む存在の方に注意を戻していた。

「しかし、あまり猶予は無いな。彼は着実に私達の手の内を学習し、なおかつ自分のものとして取り込んでいる。
手遅れにならないうちに彼をここから出さなければ……」

「だが、その前にこれを縮めとかなきゃならないぜ」

「そうだな。彼は私が抑える。左手はバグを」

「りょーかい!」

短いやりとりを終えて、まずクレイジーハンドが飛び掛かっていった。
暗闇の中でぼんやりと輝いている彼にではなく、彼が発生させた蠢く闇へと。
これまでの戦闘で亜空間の至る所に残されたクレーターや棘は時間と共に徐々に吸収され、闇は一回り小さくなった半球として大地に埋まっていた。
クレイジーハンドはその表面をなでるように飛んでいき、その軌跡に従って亜空間がえぐれていく。

青く輝くヒト型は先程左手が巻き起こした大破壊の衝撃からまだ立ち直っておらず、消えた腕と足もそのままに亜空間の中で漂っていた。
ぼんやりと見上げた亜空の空が見る見るうちに深みを失っていく。その理由を探していた彼の目に、飛び去っていく白い手袋の姿が映った。
目のない眼窩が見開かれ、彼は憤慨のままに腕と足を一息に再生させるとその後を追いかけはじめた。

両腕を胸の前で組み合わせ、心臓に当たるコアを脈動させて空間を次々に跳んでいく。
宙を跳ぶたびに、彼の視界の中で手袋の姿は大きくなっていった。
もっと速く。もっと強く。そう望む彼の心がその背に更なる武器を生み出そうとしていた。

向こう側の青空を飛んでいく巨大な手袋、その腹にもう少しで追いつくという時だった。
ヒト型の頭上が不意に暗くなった。本能的に警戒し、彼はその場で足を止めて空を見上げる。だがそれがまずかった。

空気を切り裂くような音。それが急速に迫り、実体を持ってヒト型に襲いかかった。

揃えた五指を真っ直ぐ下に伸ばし、ドリルのように回転する右の手袋。彼の指先が亜空間の中にいるヒト型の腹を押さえつけていた。
マスターハンドのこの攻撃に捕らえられ、ヒト型は亜空間の奥に逃げることも叶わない。

身をひねり、旋風からようやく解放されたヒト型は逃げもせず、苛立ったように拳を震わせるとその手に剣を出現させた。
雄叫びを上げるように口を大きく開き、頭上の右手目掛けて弧を描くように飛び掛かっていく。
しかし、彼が発する鬨の声も、手の中で輝く光刃もマスターハンドに届くことはなかった。

右手はわずかに後退したかと思うと、人差し指と中指を揃えてヒト型に向ける。
先程クレイジーハンドが見せたものと同じコミカルな大きさの銃弾が3発、派手な銃声と共に放たれた。
素直に避ければ良いものを、すっかり逆上していたヒト型はそれを切り伏せてまで右手に襲いかかろうとする。
光刃を振り払い1発目こそ消滅させられたものの、その時にはもう残る2発が彼の目前に迫っていた。

剣をかなぐり捨て、ヒト型は両手を前に向ける。
青いエネルギー弾が何もない空中から散弾のように迸りだす。
しかし、迎撃するには遅かったようだ。光弾と銃弾がぶつかり合い、生じた爆風に彼は敢えなく吹き飛ばされてしまった。

何とか体勢を立て直そうとあがきつつ、ヒト型は再び先程のビーム砲を出現させようとする。
マスターハンドはその様子を冷静に見つめ、被せるように手を構えた。
たちまち5本の指先から光線が放たれ、まだ満足な形を為していない砲台のある辺り一帯の空間をくまなく焼き尽くす。
砲台は呆気なく爆発し、そこからヒト型が慌てて離れる。逃げながら、右手に見定められないうちにその手に何かを出現させ、投げ放った。

半透明に光り輝く飛び道具。刃を持ち、回転するそれをマスターハンドは難なく手の平で叩き落とした。
だがヒト型が狙っていたのはそのわずかな隙だった。

掌を上げた先、闇の中に彼の姿がかき消え、マスターハンドの動きが止まる。

「……む!」

思わず声をもらす。指を硬直させた彼の目前、指呼の間に彼が出現していた。
彼を食い止めることに夢中になるあまり、亜空間の縁に近づきすぎていたのだ。

憎悪に歪められた顔。結晶のような透明さを持った彼の姿が束の間、こちら側の太陽に照らされて鋭く光り輝く。
彼は振りかぶった手を閃かせ、マスターハンドに向けて思い切り叩きつけた。

「右手!」

クレイジーハンドが叫び、境界の反対側から戻ってこようとする。

「構うな。……私は、大丈夫だ」

切れ切れでありながらもマスターハンドは硬い口調でそう答えた。
指を曲げ防御の姿勢を取った彼に、亜空間側から飛び掛かったヒト型は猛烈な勢いで攻撃を続けていた。
その手にはもはや武器など握られておらず、彼は爪のように鋭く尖らせた輝きで相手を引き裂こうとしているのだった。

「ひ~! おっかねぇ」

執念に取り憑かれたヒト型の気迫にクレイジーハンドは一つ身震いすると、自分の仕事に戻っていった。
マスターハンドと彼とがぶつかり合っている辺りを除いた領域のバグはすでに破壊され、黒紫色の半球もずいぶん小さくなっていた。
右手はそれを分かっていて、わざと攻撃を受けることで彼の注意を引きつけていたのだ。

「よっしゃ行けるぞ!」

クレイジーハンドが言って寄こし、マスターハンドはそれに答える代わりに風を切るようにして手首を振るった。
青いヒト型がそれを包む亜空間ごと、大きな白手袋の中に消える。
捕らえたそれを何度か固く握りしめると、マスターハンドは捻りを利かせて思い切りそれを投げ放った。

青い輝きが尾を引いて堕ちていき、不可視の大地に叩きつけられる。
右手が破壊の力を持っていないために彼の身体はどこも損なわれていなかったが、
五体満足の状態で倒れ伏した彼は身動き一つせず、顔を上げることさえもできないようだった。

「やってくれ」

力無くうつ伏せになったヒト型。誰からも望まれずに生じてしまった命から目をそらすことなくマスターハンドは言った。
彼が存在したという事実を、せめて自分の記憶にだけでも留めておこうとでもいうように。

「あいよっ」

クレイジーハンドは威勢良くそう答え、握りしめた拳を細かく震わせて力を蓄え始めた。
両手は亜空間を単純に消滅させるのではなく、その周りだけを切り取るようにして破壊するつもりだった。
そうすれば亜空間の領域だけがくりぬかれ、中にいる彼ごとこの世界の外に追い出せるはずだ。

と、マスターハンドが指の動きを止め、身じろぎした。
その隣にいるクレイジーハンドは余裕のある口調でこう呟く。

「おっ……なかなかしぶといねェ」

彼らの見る先、再びヒト型が立ち上がろうとしていた。
震える手をつき、膝をついてこちらをゆっくりと振り向く。その背中では彼の身長を超える幅を持つ輝きが高まりつつあった。
それまであったぼんやりとした靄のような輝きが見る見るうちに密度を増し、ついにその実体を表す。

虹色の羽。曲線が複雑に絡み合い七色に光り輝くその様は、ステンドグラスのような美しさと危険なまでの鋭利さを兼ね備えていた。

彼はその翼を背にゆらりと浮かび上がった。
顔を俯かせて両腕を組み合わせ、祈るような姿勢で翼に一層の輝きを蓄えていく。

「……左手」

マスターハンドが、静かでありつつも差し迫った声で呼び掛けた。
もう軽口を叩くことはせず、クレイジーハンドも珍しく真剣な口調になって答える。

「分かってる。何とか間に合わせるぜ」

破壊の波動と、否定の波動。
それが放たれたのはほぼ同時だった。

残響が空のどこか高いところで轟く中、両手はしばらく何も言わずにその場に留まっていた。

彼らの見下ろす先、草原の真ん中にはクレーターが出来ていた。
光も届かず、黒一色としか表現できない空間の穴。周りの大気がゆるゆると吸い込まれ、神経を逆なでするような音を立てていた。

その直径は、明らかに亜空間があった範囲よりも広かった。

「うぅ寒い。閉めてくれねぇかな」

クレイジーハンドがようやくそう言った。

おどけるように身を震わせてみせる相方のために、マスターハンドは黙って宙をなでるような仕草をする。
たちまち、数キロメートル四方に渡って開いていた無への口はふさがり、そこには他と変わりのない草原が出現していた。
草むらは何事もなかったかのように風にそよぎ、傾きかけた午後の陽光に照らされて穏やかに輝いていた。

あの青く輝く孤児がいた形跡は、もうどこにも残っていなかった。

マスターハンドはしばらくの間その様子を見つめ、それからきびすを返した。
まだ彼にはやるべき仕事が山とあった。ザコ敵軍団を使ったスタジアムの試運転、外見しかできあがっていない建物の内部設計。
細かい齟齬の修正も入れれば、こんなところで立ち止まっている時間など無いのは明らかだった。

しかし、相方がそれを呼び止めた。

「なぁ」

いつになく真面目くさった声。右手は振り返り、顔のない姿で先を促す。
クレイジーハンドはこちらに真っ直ぐに指先を合わせ、こう言った。

「あいつは、あとどのくらい生きていられると思う?」

マスターハンドは、ゆっくりと手首を項垂れさせた。少なからぬ沈黙を挟み、ようやくのことでこれだけを返す。

「……それを計算することは不可能だ。こちら側にいる私達がいくら無について想像しても、それは空論の域を出ない」

亜空間とは、空間になり損なった時空だ。
そんな不安定な領域が単体で世界の外に、無の中に放り出されてしまえばいずれは消滅してしまうだろう。
辿る結末は同じであったが、マスターハンドは自分たちの手でとどめを刺さずに済む道を選んだのだった。

―――
――

船内はすっかり静まりかえっていた。
懺悔するように、モニタの向こうでマスターハンドは力無く項垂れていた。

『臆病者と言ってくれても構わない。私は彼を自分の手に掛けるのが忍びなかったのだ。
だが、あんな行動を選んだ理由の一つには、彼がどうにかして生き延びて自分の世界を構築し始めるのではないかという淡い期待もあった。
彼はいわば、未熟なまま自我を持ってしまった創造主。
時間が立てばその力も発達し、やがて正常な空間を作れるようになるのではないかと私は心の中で望んでいた』

クレイジーハンドがその後を繋ぐ。

『だが、その望みばかりは現実にならなかった。
あいつは無を生き延びたが、ついに大人になることはなかったのさ』

どこかしみじみとした様子でそう言う。
その隣で、マスターハンドが心持ち掌を上げた。

『今となっては言い訳にしかならないが、彼を追い出した後、我々の間には疑問が生じていた。
仮にあの時彼を消滅させる選択肢を選んでいたとして、私達にそれができたであろうか、と』

首をかしげさせ、しばらく考え込むような姿勢でいたフォックスがこの言葉に反応した。

「できるかって……一応、君達の世界で起きたことだろう?
あれがどこか別の宇宙から飛んできた存在ならともかく、『スマブラ』の中なら君達にできないことはまず無いはずだ」

『確かに、彼は我々のどちらかが、あるいはどちらもが創り出した存在だ。
彼の創造した兵器は私達そのものに対しては致命的な影響を及ぼせず、私達が彼に対して上位にあることを裏付けていた。
しかし同時に、それは彼についても言えた』

マスターハンドはそう言って、何かを思い出すように軽く拳を握りしめる。

『あの時……この手に彼を捕まえた時、私には手応えが感じられなかった。
これは私の意のままに操作でき、左手の思う通りに壊せるものだという直感。
私が創り上げた全てのものに共通するある種の感触が、彼からは伝わってこなかったのだ。そして……』

指を開き、心持ち掌を上げて彼は続けた。

『あの光。
虹色の翼から放たれたあの力は……あと数瞬遅ければ、我々をも消し飛ばしていたかもしれない』

手袋だけの姿でありながらどこか遠くを見るような気配を漂わせて、マスターハンドはしばらくそうして浮かんでいた。
モニタ側から見て右側に控えているクレイジーハンドも、茶々を入れることなく神妙な様子で黙っていた。

造り主さえも圧倒する、世界の摂理を外れた怪物。
そんな化け物と壁一枚を隔てて相対しているのだという事実が、確かな冷気と戦慄をもって、ゆっくりと戦士達の心に浸透していく。

フォックスは顎に当てていた手を戻し、腕を組むと確認するようにこう聞いた。

「それでも、俺達ならあいつを倒せると言うんだな」

『そうだ。私はそう確信している。
なぜなら、君達ファイターは境界を跨いだ存在だからだ。
君達の故郷と"スマッシュブラザーズ"。そして、空想と現実。
君達は規格外の存在なのだ。ファイターならば創る者と創られた者のルールを越え、彼を倒すことができる。
それだけでなく、私達をも。……驚くことはない。だからこそ彼は君達を捕まえ、駒として操ろうとしていたのだ』

驚くなと言う方が無茶だった。
誰もそんなことをして得をしないとは言え、神が自分の弱点をいともあっさりと明かしたのだ。
だが、筋が通るのも事実だった。人形兵やガレオム達を作ることのできる亜空間の主があくまでファイターにこだわり続けたのも、それが理由。
自分が作った兵士では、両手を倒すことはおろか傷を付けることさえできないと知っていたのだ。

マザーシップ側でその理解が行き渡りきらないうちに、次の言葉が継がれた。

『そして、これは"スマッシュブラザーズ"のためだけではない』

見上げた11人分の視線を受け止めて、マスターハンドは厳かでありながらもはっきりとした口調で続けた。

『心と体を切り離されてしまったファイターを救い、君達が辿るはずだった未来を取り戻すこと。
そればかりか、場合によっては君達が今まで歩んできた過去やそのほか多くの世界の時空間を守ることにもなるのだ』

『オレ達が作った世界の方の"スマッシュブラザーズ"は今回を入れて今までに三度、他の世界と繋がっている』

息の合ったタイミングでクレイジーハンドが話を引き継いだ。

『出入口を開け、そこに住んでるヤツらを受け入れた世界の数は回数を追うごとに増えてて、今じゃべらぼうな数の世界と関わりがある。
"スマブラ"は途方もない世界と持ちつ持たれつ、影響を与え合う仲になってるんだ。
それがアイツのせいでぜーんぶ無かったことになっちまったら一体どうなると思う?』

彼の問いかけを受けてファイター達はそばにいた者同士で顔を見合わせた。
ああでもないこうでもないと言い合うざわめきの中からまず声を上げたのはカービィだった。

「ぼくらが、ぼくらじゃなくなっちゃう?」

「まず確実に、ここにいる俺達が出会うきっかけは消えるだろうな」

マリオが頷き、その向こうからサムスがこう言う。

「我々自身も今の姿では居られなくなるかもしれない。あの世界から技術を持ち帰ることはできないが、記憶は保持される。
『スマブラ』で得られた価値観が行動の選択に及ぼす影響は少なからずあるはずだ」

モニタの方をじっと見つめたまま、彼女の言葉を受けてフォックスは呟いた。

「些細な違いであっても積み重なれば結果の違いを、"今"の違いをもたらすということか」

その傍らでピットも、広げた自分の両手をじっと見おろしていた。

「もしかしたらここにいる誰かが……そうでなくても、どこかで暮らしている人が消えてしまうのかもしれない」

隣にいるリンクはいささか憮然とした表情で腕を組み、きっぱりとこう言った。

「よーするにフクザツにからみ合った根っこを引っこ抜こうもんなら、意外と広いところまでとばっちりが行っちまうってことなんだな」

これから相対することになる存在の、そしてそれが企んでいることの危険性をファイター達が大方理解したと見て取り、
マスターハンドはそれで良いというように一つ大きく頷いた。

『彼が本当に望んでいることが何であるのか、我々であってもそれを測り知ることはできない。
だがしかし、彼は結果として百を超える世界とその住民達の存続をも脅かすような行動に出ようとしている。
決して我々のためだけでなく、皆のためにも……今一度、君達の力を貸して欲しい』

『オレからも頼むぜ』

クレイジーハンドが横からそう言った。

『来るはずの未来を守ってくれ。今度は笑って、"スマブラ"に来れるようにな。
……んでもって、無事にこっちに来られたら是非オレと闘ってくれよ! 全力で遊んでやっからな!』

指をワキワキと動かし、楽しみでたまらないといった調子で笑い声を上げている相方をよそに、
マスターハンドは11人のファイターに向けてこう呼び掛けた。

『さて……だいぶ語り過ぎてしまったようだ。
君達にはそろそろ、心構えをしてもらわなければならない』

そうして、彼は改まった様子でファイター達に向き直る。

『彼はおそらく、この世界を吸収して膨らませた亜空間を盾に無の海を渡り、次の寄生先を探すつもりだ。
君達の通信が我々に届いたこともすでに気づかれているだろう。もはや残された時間は少ない。
頼む。どうか、彼を解放してやってくれ』

真摯な声がそう締めくくった矢先だった。
突如、船内の空気を切り裂くようにしてアラートが響き渡った。それと同時に床が不安定に揺れ始める。
その場にかがみ込みつつも何事かと顔を上げたファイター達に、船のAIはこう告げた。

『警告。警告。着陸地点にて、大規模な地盤のずれを観測しました。
これより緊急離陸を行います。乗組員は固定された座席に着席するか、付近のハンドレールに掴まって姿勢を低くし安全を確保してください』

揺れは徐々に強さを増したが、そこにはエンジンが駆動し始める規則的で頼もしい振動も含まれていた。
着陸脚が折りたたまれていく音が船内の廊下に等間隔で響き渡り、そこにハム音の高まりも加わっていく。

人工的な音声が感情のない声で数字を読み上げていく。 

『離陸5秒前。5、4、3、2、1……ゼロ』

背を丸めてしゃがみ込んだ身体に、ゆっくりと見えない重みが掛けられていく。
しかし、何度とない離着陸を経験したファイター達の顔には不安げな様子はない。
あるとしても、それは突然地面が揺れ始めた原因が分からないことへの不安、張り詰めた警戒であった。

答えは、比較的すぐに与えられた。

噴射の騒音の中、緊張と無言の内に数分間が過ぎ、全身に掛かっていた重量がふっとかき消える。

AIのアナウンスが終わらないうちに立ち上がり始めたファイター達が見たのは、
モニタの半分を埋めるまでに肥大化した"天球"と、衛星のように従えられた大小無数の岩石群。

上下左右、どこを見ても大地はない。折しも近くを横切っていった岩には枯れきった木が生えていた。
つまり――目の前に広がるアステロイド群は、自分たちが今まで歩いてきた灰色の世界が砕けてしまったなれの果てだったのだ。
空はもはや偽りの白さを失い、いよいよこの世界に終わりが近づいていることを示すように黒へと、無の色へと変わっていた。

荘厳ささえ感じさせる光景を前に、ファイター達は言葉さえ出ず立ち尽くしていた。
ただ、その表情にあるものは純粋な驚きから警戒を含んだ疑念まで様々であった。

通信の向こうから、咳払いが聞こえた。

『突撃する前に、一つアドバイスさせてくれ』

船外の風景が優先表示されたために、両手の映像はモニタの片隅に追いやられていた。
左手は窓と一緒に小さく縮んだ体で人差し指を立てて見せ、注目を集めるように軽く振っていた。

『いくらお前らがあいつを倒せるからといって、あんまり無茶はすんなよ。
特にあの光には気をつけろ。まぁ、聞いた様子じゃ言われなくても分かってるだろうがな。
オレ達から言えるあの光への対策はただ一つ。"当たるな"。……以上だ』

その隣で、すでに言うべきことを言い切った右手も何も言わずに頷いてみせた。

サムスは背後を振り返り、全員の顔を見渡した。
問いかけの言葉は無かったが、発進の号令をかける前に心残りは無いかと尋ねているのは仲間達にも伝わっていた。
集団の中から小さな手が挙がる。その手の主は、リンクだった。

「なぁクレイジー。マスターでもいいや。もう一つ、教えてくんないかな?」

彼は前に進み出て操作卓の縁に両手をつくと、モニタの端に映った窓へと顔を近づける。

「いつまでも『彼』や『あいつ』じゃまどろっこしいや。でも、アクウカンの主ってのもぱっとしない。
あいつにも名前があるんだろ? このままじゃ辿り着いた時に文句の付けようがないからさ、教えてくれよ」

『名前か……』

マスターハンドが呟くようにして繰り返した。
先に口を開いたのが右手であったため、リンクの質問には自然と彼が答える形になった。

『彼を無事に追い出せた後、左手とそんな議論をしたこともあったな。
どちらが付けたものか今となっては思い出せないが、
本来生命が存在し得ない場所に生きていたことや、私達に匹敵するほどの力を持っていたこと、
そして、この一連の出来事が私達にとって触れたくない事件であるのと同時に、忘れてはいけない教訓であること』

一息に羅列して、マスターハンドはこう締めくくった。

『それらを総合して、私達は彼を"タブー"と名付けた』

「タブー……」

眉をひそめ、リンクはその名前を口にする。
事の真相が明らかになったせいもあるかもしれないが、その響きには今までの『エインシャント』よりも相応しい印象があった。
ファイターを捕らえ、他の世界を踏みにじってまで生みの親に復讐しようとする異形の人型、それが冠する名前として。

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最終更新:2016-11-19

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