気まぐれ流れ星二次小説

Open Door!

Track53『Suite Escapism』

~前回までのあらすじ~

『スマッシュブラザーズ』に選ばれ、それぞれの思いを抱いて輝く扉をくぐったファイター達。
しかし、彼らは目的地とは異なる灰色の世界に連れてこられ、得体の知れない人形の軍勢によって1人、また1人と捕らえられていく。
そんな中、プロロ島の風の勇者リンク(トゥーンリンク)と、タツマイリ村の少年リュカが出会う。

2人は時にぶつかり合いながらも共に戦い、人形兵の追跡を逃れて旅を続けた。
彼らのように何とか生き延びていた者や、後から駆け付けた者、そして謎の勢力に操られていたところを取り返せた者。
少しずつ仲間も増え、2人は灰色の世界にまつわる多くの真実を知ることとなる。
全ての元凶は、意外なことにも彼らの招待された『スマッシュブラザーズ』とも関わっていた。
最初に作られたかの世界を亜空間で飲み込もうとした存在、タブー
マスターハンドは情が移ったために彼を消滅させることができず、世界の外に追い出してしまった。
そこは本来ならばいかなる事象も存在し得ない領域。タブーはいくらも保たずに消えてしまうはずだった。
だが執念の為せる技か、タブーはその環境を生き延び、復讐のために今回の出来事を引き起こしたというのだ。

彼の暴走を止めるため、生き残りのファイター達は彼が潜む亜空間への入り口に向かう。
しかし直接働きかける術を失ってもなおタブーの力は強大で、無事に向こう側にたどり着けたのはたった2人のみ。
リンクとリュカ。彼らは再び2人だけとなって、彼らをこの物語に引き込んだ元凶に立ち向かうのだった。


  Open Door! Track53 『Suite Escapism』


Tuning

現実と空想の狭間で

あるかなきかの色が一団の霞を作り、決して日の昇ることのない空をたゆたっていく。
暗闇ばかりの世界では天も地も判然とせず、もやの中に浮かぶのは何かを形作ろうとしては溶けていく暗い塊と、辛うじて小島を成す光の藪。
何一つとして確かなものはなく、信じられるものもない曖昧な世界。風はその不安をかき立てるように渺々びょうびょうとむせび泣いていた。

亜空に点在する浮島の上に、2人の少年が立っていた。

並び立ち、彼らが一心に見つめる先には、これまでずっと彼らが追い求めてきた存在が浮かんでいた。
2人の立つ場所からでは指の先よりも小さく見えるが、それでも彼の後ろ姿は見る者を無条件に威圧するような輝きを纏っている。

そして実際に、彼の身体は光り輝いていた。
その色は、目を射るような明るさの青。およそ生き物の色としては異質な色調だった。

真っ先に拳を握りしめ、リンクはその名を呼ぶ。

「タブー!」

その声は辺りに幾度かこだまして消えていったが、遠く彼方にいるはずの彼は驚くほど素早くそれに反応した。
肩越しに振り返り、出し抜けにその腕を大きく振りかぶる。
手の中で何かが生じたと思った瞬間、その閃光は甲高い風音と共に2人の立つ小島を串刺しにしていた。

鎖を引き連れ目の前に深々と突き刺さったそれは、黄金の輝きを持つ錨。

タブーの意図するところを察して2人の間にさっと緊張が走る。

「リンク!」

リュカは警戒を促す意味を込めて短く言った。

「分かってる。掴まれ!」

リンクは彼に向かって右手を差し出し、足元に向けてフックショットを撃ち放つ。
辛うじてリュカがその手に掴まった次の瞬間、地崩れのような音と共に大地はむしり取られ、2人は足場ごと空に放り上げられていた。

天地がひっくり返り、その概念すらも吹き飛ばされていく。
気づけば、どちらからともなく叫び声を上げていた。

飛翔が徐々に落下へと移り変わっていったかと思うと、おもむろに2人は固い地面へと叩きつけられる。

痛みで顔をしかめつつも2人はすぐに立ち上がることを忘れなかった。
彼らを引き寄せた張本人、その輝く後ろ姿が視界の端に入っていたのだ。

彼はファイター達が予想していた全てを、あらゆる点ではるかに超えていた。

まず驚かされたのが、人としてのそれを優に超える身の丈。それでありながら彼は翼も持たずに重力を無視し、宙に浮かんでいた。
細く引き締まった身体には少しの無駄もなく、透き通った肌のそこかしこでは青い炎が濃淡を持って生々しく揺らめく。
輪郭だけで言えば彼は見事なまでに均整の取れた姿をしていた。それでいて、見る者の心に言い知れぬ嫌悪を呼び起こす気迫を放っていた。

戦慄と覚悟に身を引き締め、リンクとリュカは彼の広い背を見上げていた。
何事か考える様子で片手を顎の下に当てていた人型は、初めてこちらに気付いたというようにふと顔を上げ、振り返る。

「ふむ、客人とは珍しいな。私の望みが成就する決定的瞬間を見届けに来てくれたのか?」

その声は、"エインシャント"を名乗っていた頃の彼と同一だった。
あいかわらず生命の欠片も感じられない、相容れない冷たさを持つ声だ。
だが全てが分かった今となっては、目の前で浮かぶ半透明の異形こそこの声に相応しい姿であるように感じられる。

彼の顔はその全身と同じくらい実体を感じられず、結晶のように透き通っていた。
目を凝らしてようやく、細く尖った顎と整った鼻、そして眼球の無い虚ろな双眸が見えてくる。
極めつけに、その口はタブーが喋っている間でも皮肉な笑みを浮かべたままで、全く動こうとしない。
これも何かの操り人形なのではないか。そう錯覚させるほどに、彼の身体はありとあらゆる点でおよそ生き物らしからぬ異彩を放っていた。

すでにリンクは左の手に剣を、リュカは右の手に光を携えていた。
2人が警戒し早くも武器を構える向こうで、タブーはそんな少年達を見おろすと両腕を広げてみせる。

「もてなしてやりたいところだが、あいにく私には何も残されていないものでね。
せめてこの荘厳な景色を見て、じっくりと目に焼き付けてくれたまえ」

その言葉と共に、彼らの立つ大地が消え失せた。
リンク達はこれに驚き思わず後ずさったが、その足は確かな触感に受けとめられた。
地面は消えたのではなく、ガラスのように透き通っただけだったのだ。

荘厳、という言葉は決して嘘ではなかった。
足元の向こう側に広がった光景を見た2人の少年は思わず、今自分が大いなる仇敵を目の前にしていることさえ忘れてしまいそうになった。
それほどまでにその景色は美しく、また同時に人智の理解をはるかに超えるスケールを持っていたのだ。

光り輝く純白の大樹。
絡み合い天へと伸び上がる枝は無数に広がり、生え出る根元を追っていっても他の枝と合流を繰り返すばかりで一向に幹が現れてこない。
亜空の大地は彼らを乗せて、その枝の一本を素晴らしい速度で下り続けているのだった。

明らかな隙を見せた2人に対しタブーは何も仕掛けてはこなかった。
驚きの表情も露わに大樹を眺めている2人を、彼は首を傾げてじっと見つめていた。

「お前達は今、時の流れを見ているのだよ」

頭上からそんな声が掛けられて、ようやくリンクは我に返ると顔を引き締めて相手を見上げた。
剣を青眼に構え、ほとんど詰問する勢いでタブーに問いかける。

「時の流れだって? 一体どういうことだ。何を企んでいる!」

目のない眼窩が眉を上げるような調子で動いた。

「企んでいるとは人聞きの悪い……だが、どのみち他に聞かせる者もいないのだからほんの慰み物に教えてやろう。
私は今、全ての始まりを目指して時を遡っているのだ」

「全ての……始まり?」

リンクは眉をひそめてそう返す。
タブーの言葉を繰り返すことしかできない自分に苛立ちを覚えながら。
忘れもしないあの違和感。言葉が通じるのにも関わらず自分と彼の間に存在する、超えがたい隔絶。
その空隙は生まれつきのものなのか、それとも追放されたがために出来てしまったのか。今となっては知りようがない。
それほど彼の傷は深く、醜く引き攣れてしまっている。

「そうだ。お前達にとっては、それは『スマッシュブラザーズ』の生成された時点を意味する。
私がこれまで温めてきた計画は残念ながら失敗に終わってしまったが、私の手元にはまだ切り札が残っている。
あの世界を吸収して得たエネルギーを糧に、過去へ戻るのだ。今の私であれば……"奴ら"も倒せる」

マスターハンドは言っていた。タブーはいずれ自分たちをも脅かす存在になるかもしれないと。
今目の前にいる彼もまた、何らかの論拠を得てその結論に辿り着いたらしい。
だが、その確信は完全なものではなかった。だからこそ彼はマスターハンド達を確実に倒せるファイターに固執した。
試してみなければ通用するかどうかさえ分からないからこそ、彼は自分の手で倒すという方策を二の次にしていたのだ。

若きファイターは内心で焦燥を覚えつつも、横目で互いに視線を交わした。

少年2人が決意を固め、勇気を奮い立たせている向こうで、
握りしめた拳を見つめて語るタブーの言葉は徐々に危うげな光を帯び、独言めいたものとなっていく。

「追放され、枯れ果てた虚無の中を彷徨ったあの永遠とも言える苦悶の時……。
だが、決して無駄ではなかった。こうして力を蓄え、知恵を付けることができたのだから。
もう奴らが偽りの安寧を貪ることもない。奴らの都合の良いようにしか動かぬ楽園を見つめてのうのうと暮らすことも無くなる。
私がこの手で全てを終わらせるのだ。希望も夢も、何もかも!
奴らが作りあげた下らぬ虚構を、ありとあらゆる世界から欠片の一つも残らず消し去ってくれるわ……!」

煮えたぎるような憎しみの声を遮る者があった。

「ほんとにそれで良いのか?」

この声に、タブーの拳の震えがぴたりと止まった。
急に我に返ったかのように顔を上げ、発言者に向き直ると落ち着き払った仕草で首を傾げる。

「……それはどういう意味だね? リンク」

聞く者の背筋をぞっとさせるような静けさで、彼はその名を呼んだ。
対し、リンクは怯んだ様子も無くタブーを見返していた。剣を構えたままではあったが、誘うようにその腕を広げて見せる。

「せっかくここに操り人形の候補がいるのに、なんにもしないつもりか?
あんたはずっとファイターを欲しがってただろ。おれ達だってレッキとしたファイターなんだぜ。
てっきり、あっという間に掴まってコマにされちまうんじゃないかって思ってたんだけど、拍子抜けしちゃったな」

タブーはこの言葉を鼻であしらった。

「たったでどうしろというのだね?
私はすでに捨てた計画に固執するほど愚かではない」

「そうそう。そうしたほうが賢いよ。
ふんじばって無理矢理操ろうとしたところで、だーれも言うこと聞かなかったんだもんな」

これを聞き、彼の人で言えば眉のあるべき隆起がぴくりと動いた。
しかし彼はすぐに平静を取り戻し、悪戯をした子供をたしなめるように首を横に振る。

「お前は本当に口が達者だな。だが、幾らわめいたところで運命を覆すことはできない。
すでにこの亜空間は時の流れを逆行し、何も知らぬ奴らの喉元へと迫りつつある。どうだ、お前達にこれが止められるか?」

そう言ってタブーは手の平を下に、払うように動かした。
彼らが立つ亜空の小島は先程よりも少し不透明さを取り戻し、地面としての実体が感じられるようになっていた。
そんな大地を純白に輝く幾つもの枝が下から照らし上げ、こうしている間にも目まぐるしい速度で通り過ぎていく。

しかしリンクは剣さえも鞘にしまい、平気な顔をして頭の後ろに腕を持ってくる。

「止める必要もないさ。あんたの負けはあの城でもう決まってるんだから。
確かに、ファイターをコマにしようっていうあんたの計画は大失敗だったな。
結局あんたのとこに残ったのは、この暗くてミジメでなんにも無いアクウカンだけだ」

そこで十分に時間を置き、彼はふと強気な笑みを見せた。
タブーの目のない眼窩に真っ向から視線を合わせ、彼は言う。

「でも、これからあんたがやろうとしてることも大して変わんないと思うなぁ」

これに、少なからずタブーは興味を持ったようだった。
リンクの言葉を一笑に付すこともなく、こう尋ねたのだ。

「ほう……? 光を超えて進む私の存在を、奴らが見抜けるとでも?
しかし、これから向かう時点での奴らは私のことを未だ知らない。対策を立てる暇を与えるほど私は甘くはないぞ。
それだけではない。今の私であれば瞬きするよりも早く、奴らを完膚無きまでに消し去ることができる。
奴らに勝ち目は無い。それとも何かね? この私が見落としていて、お前達が知っている物事があるとでも言いたいのか。
他に一体誰が、何が私を止められると言うのか、是非とも教えてほしいものだな」

どうやら彼は、目の前にいるファイターを全く脅威として捉えていないようだった。
だからこそ自分から近くに引き寄せ、わざわざこれから行おうとしていることまで話したのだろう。

しかし、リンクは彼の態度にわずかながら変化が表れつつあることを見抜いていた。
リンクの隣に立ちタブーの精神に注意を向けているリュカも何かを感じ、静かに手を握りしめている。
傲慢なまでの余裕に満ちた絶対者の風格。その偽りの殻に亀裂が入ろうとしている。

その殻を壊すためならば、例えはったりであったとしても全力で演じなければならない。
心の中の緊張が否応なしに高まっていくのを意識の片隅に押しやって、リンクは余裕綽々の表情を作り腕を組んでみせる。

「分からないヤツだなぁ。どのみちあんたじゃ敵わないんだよ。
だって、大昔の2人に会いに行ったところでどうやって戦うつもりだ?
どんなに力を使ったところで、マスターとクレイジーには傷一つ付けられないんだぞ。
お前がどれだけ成長したって言い張っても、背伸びしてもムリなもんはムリなのさ」

そこでリンクは相手をきっと睨みつけ、前へと踏み出した。

「タブー! お前の力は、2人にとって痛くもかゆくもない。
お前はこう思ってるんだろ。『スマブラ』から自分が追い出された時、最後に使ったあの光が痛手を与えたはずだって。
だけどそいつは間違いだ。2人はあの後、平気な顔して浮かんでたんだ。あんたが出てった後の穴を見つめてな!」

静寂が訪れた。

張り詰めた静けさの中から、やがて凍てついた炎が噴き上がる。

「……言っただろう。私はあの時とは違う、と。
何も知らず、何も分からず、がむしゃらにあがくだけだった非力な存在とは違うのだ。
怒りと怖れに支配され、私は全てを失った。代わりに与えられたのは永く孤独な流浪の刻。
だが、私はそこから一つの真理を編み出したのだ」

両腕を交差させ、2人の少年を見下ろすその姿が徐々に浮き上がっていく。
胸に輝くコアから淡い光が放たれた。その光は波となって彼の全身を駆け巡り、そしてその外へと波及する。
空が震え、残響の中から浮かび上がってきたのは、虹色に輝く巨大な翼。

「そこまで言うのならば見せてやろう。完全な姿を取り戻した私の力を。
何によっても防ぐことのできない、最強の力を――!」

青く輝く人型はそう言い放ち、その身を折り曲げた。
闇を湛えた胸部のコアを中心として光が集約し、亜空間の隅々から彼へ向けて力が集まっていく。

波動が放たれる寸前、これまで影に徹していたリュカが動いた。
傍らのリンクに手を伸ばし、相手もこれに応じてその手を掴む。

無色の閃光。それは三度襲いかかった。

憎悪に満ちた忌むべき波動。不可視の波が亜空の地を襲い、全てを打ち砕いていく。
あまりの激しさに直視することもできず、その鋭さは遮ることも受け流すことも許さなかった。
しかし、再び視線を上げたタブーは愕然と目のない眼窩を見開いた。

そこに立っていたのは、全くの無傷でこちらを睨みつけている2人の少年。
彼らが繋いだ手を、そして心を読み取る縞シャツの少年を見てタブーは忌々しげに呟く。

「なるほど、回避したか……」

そんな彼に向けて、リンクは両手で口を囲うようにしてこう言って寄こす。

「ほーら! そんな程度じゃマスターを倒すことなんかできないぞ!」

「どうやらお前達を黙らせなければならんようだな……!」

凄まじいまでの殺気を放った次の瞬間、タブーの姿は一瞬にしてかき消えた。
途端に亜空の空は無数の残像に埋め尽くされ、輪郭さえ見定められないうちにそれらは容赦なく距離を詰めてくる。
脅し、撹乱するように目にも止まらぬ速さで消滅と実体化を繰り返す青白い影の群れ。

消失の時間が長引き、リンクとリュカは身構えた。
そんな彼らの頭上に突如として、巨大な光源が現れる。

見上げた彼らの視界を一杯に占めて、青く透き通った人型はその手を大きく振りかぶった。

標的とされたのはリンクであった。
歯を食いしばり咄嗟に取り出した盾に鋭い衝撃が走る。タブーが爪を閃かせるたびに、彼は全身に力を込めてその猛攻に耐えた。
しかし彼を実質的に守っている青い輝き、シールドは徐々に削れていく。

その輝きがあと少しで盾の表面と重なるという時、タブーは不意に攻撃を中断する。
振り向くが早いか手をかざし、背後に迫った六角の輝きに光弾を雨と降らせて打ち砕いた。
慌てて後退し散弾を避けようとするリュカに向けてタブーは不敵に笑い、腕を閃かせるとその全身を矛に変えて飛び掛かる。

地を削り、風を切り裂いて一直線に。
まだ体勢の整っていなかったリュカはこれを真正面から食らってしまった。
小さく悲鳴を上げ、高くはね飛ばされる。

そんな少年を背に悠々と人の姿へ戻ったタブー。
その腕が不意に跳ね上がり、彼の頭に向けて背後から投げ放たれた物体を弾き落とした。

カランと乾いた音を立ててガラス状の床に何かが落ちる。それはリンクの投擲したブーメランだった。

「こんな小手先など」

後ろを見やる。
相手が怯んだ隙に奇襲を掛けるつもりだったリンクは、剣を携えて駆け出した格好のまま驚きに目を見開いていた。
だがすぐに割り切り、足を止めずにそのままタブーに向けて掛かっていこうとする。

青い人型はゆったりとした動きで向き直り、その身を何らかの奇妙な文様に変じさせた。
淡い金色に輝く紋章。攻撃の意図は見えず、彼はそのままリンクを迎え撃つようにぶつかっていく。
これに対してリンクは剣を抜き放ち風を切って下段から振り上げ、繊細な紋章を一刀両断にせんと飛び掛かっていった。

しかし、その体は凍り付いたように動かなくなった。
タブーが変身した黄金の文様に閉じ込められ、一切の動きを封じられてしまったのだ。そのまま上空へと連れ去られるリンク。

その顔に刹那、恐怖と警戒の入り交じった衝撃が走る。

次の瞬間には文様が形を変え、弾き出されるようにしてリンクは地面に叩きつけられていた。

人型に戻ったタブーが、ゆっくりと宙を滑るようにして前進する。
2人の少年はそれぞれに痛手を負いながらも立ち上がり、警戒の表情も露わに後ずさっていく。自然と互いに近づいていき、左右を守るように寄り添う。
遮るものもなく、隠れられる場所もなく。彼らの身を守るのはもはや彼ら自身の実力のみ。
それでも彼らは次の一手をなかなか打とうとしなかった。

タブーの目にそれは悪あがきとして映った。どう出ても勝てないと知った彼らは、せめて自らに下される終焉を引き延ばそうとしているのだと。
彼は半透明の口元に冷酷な笑みを浮かべ、獲物を弄ぶ者の余裕をもってわざと彼らに逃げる時間を与えていた。

リンクは背後の響きが変わったことに気がつき、足を止めた。
同じく足を止めていたリュカと共に背後を振り返る。そこから先に地面はなかった。
空を流れていくぼんやりとした輝きでは底を見通すこともできなかったが、
止むことなく吹き上げ顔をなでていく弱々しい風が崖の高さを、2人が立つ舞台の高さを物語っていた。

彼らは再び、輝く大樹をその表面に映し出した水盆へと、2人をここに招いた存在へと向き直る。

忌むべき人型は立ち止まり、無貌の顔を傾げさせて酷薄な口調でこう言った。

「どうだ? これで分かっただろう。
自分達のしてきたことがどれほど愚かしいことだったのか。
何もかも無駄だったのだよ。必死で逃げ、追っ手から隠れ、せせこましく小細工を働かせたことも、何もかもだ!
お前達は私から全てを奪ったつもりでいるようだが、肝心の私を止めることもできないようでは"戦士"を名乗る資格もない」

背後の奈落から立ち上る冷気を感じつつ、それでもリンクはその表情から挑発的な笑みを消さなかった。

「へへっ、なぁんだ。やっぱり頭に来てたんじゃないか。
せっかく時間を掛けて揃えたオモチャの兵隊やボロっちいお城を壊されて、自信満々で進めてた計画も台無しにされて。
偉そうなこと言ったっておれには分かってるぞ。あんたが心の中でめちゃくちゃ悔しがってるのがな!」

「何とでも言うが良い。言葉だけでは私を倒せんぞ」

「さーて、そいつはどうかなぁ――」

言いつつ、リンクは横っ飛びにそれを避ける。
対話を一方的に打ち切って、タブーがその手に生じさせた武器を乱暴に投げ放ったのだ。

ブーメラン状の輝き。あまりにも回転が速すぎるためにぼやけ、刃が何枚飛び出ているのかも分からない。
獲物を捕らえ損なって戻ってきたそれをタブーが片手で受けとめた後ろで
2人のファイターはタブーの横を回り込み、窮地を脱してステージの中ほどまで戻っていた。

「やっぱりだな」

リンクが傍らの仲間に声を掛ける。リュカはタブーの背から目をそらさず、口を引き結んだまま頷いた。

あの時、2人は舞台の端まで追い詰められていた。
ほぼ円形に広がった盤の縁にいたのだから回避する場所もほとんどない。
だから、あの状況で最強の波動を放っていればタブーの勝利は確定していたはずなのだ。なのに彼はそれをしなかった。
その理由が慢心だけにあるとは思えない。あの技はおそらく、立て続けに撃つことができないのだ。
少年達は他にも何かしらの秘密を掴んでいるようであったが、それをこの場で口にすることはなかった。

2人はふと空を見上げ、目を見開いて後ずさった。
突如として彼らの上空に現れたタブー。力を溜めるような姿勢で固まったかと思うと、その体から幾つもの青い影が飛び出す。

ほぼ本能的に少年達は迫り来る輝きを避けていったが、結果としてそれが最善の対処だった。
目標を捉え損なった人型の影は床にぶつかっていき、あちこちで耳を聾する音を立てて自爆していた。

きな臭い煙が漂う中、立て直しを図るファイターに向けてタブーは少しの隙も与えまいと虚空から獣の口を作り出す。
獅子や竜を思わせる獰猛な意匠。砲台はわずかな充填の間を置いて極大のレーザーを撃ち放った。
少年達の姿はまばゆい光の中に飲み込まれ、咆哮にも似た騒音が全天を圧倒し、大地を揺るがした。
照り返しを受け、その青い顔を明るく浮かび上がらせていたタブーは口元を歪ませて笑う。

その輝きを貫いて、素早く飛翔した矢が彼の顔面を捕らえた。

不意を突かれたタブーは声を詰まらせて腕を振り払い、後ろに下がった。彼の手を離れた砲台はたちまち色のついた煙となって霧散する。
そんな彼を見上げ、したり顔でリンクは笑ってみせた。彼はいつの間にかうつ伏せになって弓を構えていた。
レーザー光が通り抜けていったわずかな下に転がり込み、タブーがいるはずの場所目掛けて矢を放ったのだ。

苛立ったように喉の奥で唸り声を上げ、拳を振るわせるとタブーは大きく手を振りかぶった。
開かれた手の平に黄金の輝きが生じ、長く鎖の尾を引いた銛となって投げ放たれる。
もろとも串刺しにせんとする鮮烈な殺意を持って金色の光が飛翔する。しかし、その光線は途中であらぬ方向へと折れ曲がった。

その変曲点に浮かんでいたのは、リュカ。
大胆にもタブーの隙をついてその懐に飛び込み、ありったけの力を込めて放ったPSIで鎖の軌道を弾いたのであった。

半透明の顔に虚を突かれたような表情を浮かべるタブー。それを怯むことなく見返すリュカ。

タブーが鎖を消滅させるよりも先に彼はそのまま意識を集中させると、生じさせた青い電光を纏って飛び掛かっていった。

咄嗟に、タブーは顔を守るように片腕を上げる。
青白い輝きに包まれた少年はその腕に真上からぶつかっていく。
衝突。明らかな身の丈の差があるにも関わらず、狼狽したような声を上げて押し負けたのはタブーであった。

しかし、彼がそんな声を上げたのは痛みを感じたというよりも不意を突かれたためであったらしく、
少年達の次の行動に気付くとすぐに意識をそちらに向け、それを迎え撃つ体勢に切り替わっていた。

リュカの体当たりによって高度を下げていたタブーの足を狙い、気勢を上げて駆け寄ったリンクはその白刃を閃かせる。
一撃、二撃と背を丸めてそれを受けとめていたタブーの姿がふと霞み、途端にリンクは訳も分からぬまま吹き飛ばされていた。

背中をしたたかに打ちつけ、痛む所を手で押さえつつ何とか立ち上がる。
が、そこに広がっていた光景を目にした彼は無言で目を見開き、心を整える暇もなく防御一辺へと追い込まれる。
タブーはそんな彼を追い込むように瞬間移動を繰り返し、姿を消すと同時にその場に爆炎を生じさせていた。
見えない敵を目で追い、飛び込むようにして安全地帯へと転がりこむ少年。彼の周りで次々と容赦のない火炎が花を咲かせていく。
閃光と硝煙に追い立てられ、もはや思考ではなく感覚を頼りに手をつき地を蹴り、リンクは必死にあがき続けた。

ただただ生き残ることに精一杯で、相手がこの攻撃の裏に用意していた策略に気を巡らす余裕も無かった。

どれほど経っただろうか。
ようやく爆発が止み、息をついて顔を上げた彼が目にしたものは、すでに舞台の上に浮かび虹色の翼を広げようとする人型の姿。
急いで辺りを見回すと、リュカの姿は少し離れたところにあった。爆発から逃れようとするうちに引き離されてしまっていたのだ。
天と地を見比べリンクは歯がみする。今からでは駆け寄っても間に合わない。

だが2人は互いに目を見合わせ、視線の中で語り、何も言わずに頷いた。

タブーはそんな少年達を見下ろし、翼に蓄えたエネルギーを一息に解き放った。
大気を引き裂き、どんな闇も圧してなお暗い輝きが疾駆する。

「1!」

亜空に声が響く。

「2!」

若く、強い意思に満ちた声。

「3!」

見事に、そして鮮やかに彼らは災厄を生き抜いた。
地に手をつき、転げ込んだ衝撃を受けとめて2人は顔を上げる。
その表情にあるものを見て上空に浮かぶタブーは苛立たしげに眉根を寄せた。

「しぶとい……。
何故だ。何故そうまでして戦う」

低く呟くように言いながら彼は静かに降りて来た。
両腕を組み、それでいて決して2人の手も武器も届かない高みに留まって彼は少年達を見下ろす。

勝ち気な表情でタブーを睨みつけ、リンクは声を張り上げた。

「なぜかって? 簡単なことさ。
おれ達には仲間がいる。でも、あんたはたった1人だ」

立ち上がり、剣を持たない方の手を胸に当てる。
あの時、緑衣の暴君を前にしたベテランのファイターがそうしたように。

「おれ達は2人だけで戦ってるんじゃない。
今まで一緒に戦ってきた仲間や、あんたが操り人形にしちまったファイター。
みんなの思いや願いがおれ達をここまで運んできたんだ。
お前みたいに自分勝手でどうしようもない理由で暴れてるようなヤツに、負けるわけにはいかないんだよ!」

それは決して比喩や虚飾では無かった。
彼ら2人は実際に、多くの仲間の意思を背負っていた。ここまで来ることができたのは決して自分たちの力によるものではない。
これまで倒れずに来られたのも、討ち取られずに済んだのも、何かを通じてあるいは直接に差しのべられた誰かの手があったから。
亜空の門をくぐり抜けることができなかった者の分も背負って、彼らはありったけの力を振り絞るつもりでいた。

しかし、亜空間の主は彼らの決意を嘲笑った。
首をのけ反らせ、闇に閉ざされた空に高らかとその声を響かせて。

「笑わせてくれるな。今まで一体何を見てきたのだ!
あの灰色の世界で見たことを思い出せ。それでもそんな戯言が言えるか?
お前達には分かっているはずだ。希望というものがいかに儚く、心というものがいかにか弱いのか。
そんなものに頼った愚か者の末路を、お前達は至る所で見たはずだ。そう、見るも無惨に寂れ果てた廃墟として」

少年達を神の視点から見下ろして、彼は続ける。

「かつてあの世界にいた人間は我が力の前に恐れおののき、無様に命乞いをし、それも効かぬと分かれば為す術もなく敗走した。
それまで誇りにしていた都市も崇め讃えていた技術の粋も、何もかもを捨てて逃げたのだ。挙げ句の果てには、『友』と呼んだロボット共を犠牲にな!
……何とも皮肉な話ではないか。意思も決意も、信頼も絆も、圧倒的な力の前には塵ほどの価値もないのだよ」

その余韻が闇に響いていく中、彼とは別の声が静かにこう言った。

「君は……」

言葉を発したのは、リュカであった。
彼は俯かせていた顔を上げ、青く透き通る人型を真っ直ぐに見上げる。

「君は、同じ目に遭わせたつもりでいるんだね」

タブーはこれに答えなかった。
だが少年は見逃さなかった。その表情がわずかに動き、たじろぐように震えたのを。

ともすれば辺りの音を吸い込み、貪欲に辺りの曖昧さと同化させようとする亜空の大気。冷気を湛えた無辺の闇。
リュカはそれに負けぬようさらに大きな声を出して言った。

「でも、それは違うよ。あの人達は逃げたんじゃない。君の力に負けたわけじゃない。
少しでも叶う可能性があるならそのために必死で頑張って、君の企みを止めようとした。
ロボットが本当は操られていることを知っていて、願いを未来の誰かに託した人もいた。
君とは違う。どんなに苦しくても、あの街のみんなは最後まで諦めなかった。最後まで、前を向き続けたんだ!」

「虫けらの分際で何を語るか!」

叩き伏せるように言い、タブーは頭上に構えた両の手を一気に振り下ろした。

光弾が雨あられと降り注ぎ、地上に立つ少年達に襲いかかる。
辺りの地面がえぐれ、爆ぜ返り、ぐにゃりと平らに戻っていく。だが2人は逃げなかった。
リンクは最小限の動きで身を躱し、わずかな隙をついて反撃の矢を撃ち放った。

執念に引き寄せられるようにして2人に近づいていたタブーは意外にも素早い動きで反応し、これを避けてしまった。
だがそれによって光弾の雨は打ち止められ、リンクは語る猶予を得た。

「虫けらだって生き物だ! そしてあんただってそうさ。なのにあんたは、虫けらでもできることをやろうとしない。
どうしてよその世界を壊そうとする。どうしておれ達の未来を奪おうとする。欲しけりゃ自分の手で作ってみせろよ!」

「黙れ!」

ついにタブーはそう言った。
言い放って、両者の間にあった距離をあっという間に飛び越えた。

つかみかかるように振りかざされる手。
2人の少年は素早く前に転がり込んでこれを避け、それぞれの武器を構え肩を並べて後退していった。

彼らが睨む先には、今やこちらとほぼ同じ高さまで降りて来たタブーがいた。
これほどまで近づきながら、彼は決して手を下そうとしなかった。
ただその圧倒するような覇気をもって少年達をじりじりと追い詰めていく。
下手に手を出すこともできず、口を引き結んで後ずさる2人の少年に、タブーは凄みのある笑みと共にこう言った。

「未来だと? お前達が守りたいものはそれか。フ……笑わせてくれるではないか」

それを言う彼の声は露程も笑みを含んでいなかった。
あくまで氷のように冷たく、あくまで炎のように激しく。
彼は幾千年の長きにわたってその心の内に蓄えてきたありったけの憎悪をぶつけていく。

「ファイターよ。未だその手に入れていないものを何故惜しむ?
お前達は皆そうだ。可能性、未来……在りもしない幻想を、さも宝刀であるかのように気炎を上げて振りかざす。
愚かな! 実に愚かだ。存在しないものをどう失うと言うのだ。私がどう奪うと言うのだ!」

宙を払った手、その中に大剣が生じた。
青く輝く手がそれを掴み、2人の少年に向けて身体ごとぶつかっていく。
彼らは咄嗟に二手に分かれ辛うじてこれを避けたが、その向こうでタブーは落ち着き払った様子で剣を霧散させ、振り返った。

「私はそのような不確かな幻想にすがりつきはしない。未来や可能性には何の価値もないからだ。そうだろう?
夢を見ても傷は癒えぬ。願ったところで運命は変えられぬ。どんな美辞麗句で飾ろうとも、そんなものはただのまやかしに過ぎんのだ。
いつの世も弱き者、愚かな者は敗れ去り、忘れ去られる。それが運命であり、揺るがすことのできぬ真実なのだよ」

そこで長いため息を挟み、ゆっくりと、まるで別人のように落ち着きを取り戻した声がこう言う。

「やれやれ……全く理解に苦しむな。私は何をも奪うつもりがないというのに。
時の枝振りに縛り付けられた者は皆そうだ。自分の意思で世界が動くと思い込んでいる。
だが事実は違う。世界のほうが勝手に分裂していき、お前達はただそこにへばりついているだけなのだ。
今さらその一塊が消えたところで何になる? お前達が気づくことはない。かつてそこに何があったのか想起することさえもだ。
何が起ころうと、お前達の存在は枝のどこかに残り、決して損なわれることはない。だというのに、何故そうまで必死になるのだ?」

亜空の曖昧な空を背に、流れゆく時の大樹を足元に。
彼は自らの身体を示すように両腕を軽く広げてみせた。

「私の望みに比べれば、お前達の悩みなど呆れるほど些細なものだ。
我が胸にあるのは屈辱の記憶と復讐の意志。それだけが真実。それをもって私の存在を奴らに刻み付け、私が今ここに在ることを証明する。
その意志さえ叶えられれば後はどうなろうと構わん。奴らがもがき苦しみ、後悔に苛まれ、這いつくばって懺悔する様を見られればそれで良い。
これは失われた私の過去を、損ねられた存在理由を取り戻すための戦いなのだ。
そこに至るまでの過程で誰が苦しもうと、何が失われようと、私の知ったことではない」

これを聞き、リンクは当惑したように眉をひそめた。
何かが引っ掛かる。タブーの発した言葉、そのどこかが自分たちの信じていた「真相」と食い違っている。
それが何であるのか見定められないうちに、自然と言葉が口をついて出ていた。

「じゃあ……あんたは」

表情は困惑から怒りへと移り変わっていき、彼は一言一言噛みしめるようにして言葉を継いでいく。
天上に青く輝く異形の存在へと向けられたその目も、一句ごとに強く光を帯びていく。

「……あんたは、おれ達ファイターのことなんか何とも思っちゃいないんだな?
おれ達だけじゃなく『スマブラ』も、そこに繋がってるいっぱいの世界も。欲しいとも思ってないし、奪おうとも思ってない。
何もかも狙いじゃなく、ただの手段だったんだ。あの2人を苦しめるための!
見せしめにするためにおれ達をさらって、いろんな世界をめちゃくちゃに壊させて、そのまんま放っておくつもりだったんだな。
あんたが……あんたが狙っているのは『スマブラ』の支配じゃなかった。あいつらに成り代わろうとも思ってなかったんだ。
欲しかったのは、マスターとクレイジーの命。ただ、ただそれだけか! それだけだったって言うのか!
それだけのために、こんな……!」

あまりの怒りに声を詰まらせ、その先は食いしばられた歯の陰に消えた。
マスターハンドとクレイジーハンドの命は、確かに大切なものだ。『それだけ』と言い表したリンクもそのことは分かっている。

彼が怒りを覚えているのはただ一点。語られた理由の度を超した理不尽さだ。
タブーの望みは、自分を追い出した二柱に思いつく限りの苦痛を与えること。自分の存在を思い出させ、もはや二度と忘れることもできないほどにすること。
明言はしていなかったもののそこには明らかな殺意が滲んでおり、タブーはリンクのそんな指摘を否定する素振りさえ見せなかった。
こんなにも刹那的で理解を絶する復讐のためだけに今まで自分たちは散々苦しめられ、多くのファイターが危うく心を失うところまで追い詰められ、
数え切れない世界の未来が壊されようとしていたのか。そう思うと、これ以上ないほどの腹立たしさがこみ上げてきた。

しかし、対する亜空間の主はどこまでも平然としていた。

「その通りだとも。
知らなかったのかね? 頭ばかりは働くお前達ならとうに突きとめていると思っていたのだが」

むしろ他にどんな答えがあるのか、とでも言いたいような口調であった。
リンクとリュカがそれぞれに表情に怒りを表すのを見て取り、タブーはふと苦笑する。

「恨むのなら『スマッシュブラザーズ』の主を恨め。
私をここまで追い込んだのは奴らだ。奴らの行いが、私をして他に取るべき手も無くなるほどに打ちのめしたのだぞ」

それを聞いたリンクは剣を構えた。

「そうかい。じゃあおれ達があんたを倒しても文句は無いな」

あくまでも被害者ぶる彼の態度が気にくわず、少年は嫌悪に顔をしかめていた。
隣に立つリュカも表情を引き締め、胸元へと上げた右手に小さく心の光を弾けさせている。

タブーはそんな2人の少年を見つめ、閉じた口をにやりと曲げた。

「できるのならな」

その冷笑が身体ごと闇に消え、リンク達は全身を緊張させて辺りを見回す。
出現に備え警戒を怠らない彼らの、目前に"彼"は現れた。

2人が驚きの声を上げたのも束の間、人型の身体から放たれた電光が彼らを勢いよく弾きとばす。

離ればなれにされた少年達が手をついて立ち上がろうとしつつ顔を上げると、地平の向こうに浮かぶ虚ろな眼窩と目が合った。
いつの間にか舞台の外側に移動した彼が、この浮島さえも片手で掴んで放り投げられそうなほどの身の丈になってこちらを見つめていたのだ。
一体何をするつもりなのか。唖然としたまま動けないリンク達に向けて、タブーはその目をカッと見開く。

迸ったのは二条の光線。
それらは刃物めいた音を立てながら水盆の表面を素早く切り裂いて接近し、それを見た少年達は慌てて立ち上がると駆け出した。

少しでも狙いを逸らさせようと2人はてんでばらばらな方角に逃げたのだが、光線は彼の視線とは関係なく動いているようだった。
背後から爆ぜるような音を立てて追いかけてくる閃光から必死に走って逃げ、
やっとそれが落ち着いたところで息をついていると、今度は瞬間移動であっという間に距離を詰めてくる彼の姿が視界に映った。
しかし少年ファイター達もやられるばかりではなかった。

2人の間にタブーが出現しあからさまな隙を見せても、焦って飛び掛かることもなく二手に分かれて距離を置く。
機を待つ彼らの視線の先では先程まで素振りも見せなかった彼が無数の分身を放ち、その爆炎で辺りを盛大に焼き尽くしていた。

ようやく顔を上げたタブーは、目の前に迫った閃光を見てぴたりと動きを止めた。
顔を庇うように腕を上げた直後、透明な輝きが炸裂し彼の前腕を氷の中に封じ込める。
衝撃の余波を受けてわずかに後ずさりする人型。その顔が不意に肩越しに振り返り、迫ってくる少年剣士の姿を捉えた。

リンクはタブーを見据えて跳躍し、宙を蹴ってあっという間に相手の身長をも飛び越える。
下から時の輝きに照らされ、彼は頭上を越えて高く掲げた剣を、掛け声と共に一気に振り下ろした。
タブーはそれを避ける素振りも見せず、先程氷に閉じ込められてしまった右腕を盾にする。

破砕。
ガラスを勢いよく踏み割るような音がして氷は砕け散り、束の間その細かな破片を大気中に輝かせた。
それを真上から顔に受けて、タブーは痛覚に歪んだ口を不敵に曲げて笑ってみせた。

自由になった右の手に黄金の輝きが宿り、鋭く撃ち放たれる。

「ぐっ……!」

至近距離で発射された金色の鎖。
剣を全力で振り下ろしたばかりだったリンクはそれを避けられず、たちまち胴を絡め取られてしまった。

リュカが息をのみ、すぐに駆け寄ろうとする。
だがタブーは無駄だと宣言するように嗤い、少年が駆けていく方向とは全く別の遠方へと鎖を打ち振るった。
大気が唸り、護身すら許されぬ勢いでリンクは地面に叩きつけられた。

せめて仇討ちをと、タブーに向けて走っていくリュカはなびかせた指の先に光を弾けさせる。
しかし、ゆっくりとこちらを振り返った人型がその手に持っていたものを見て、彼は目を丸くして立ちすくんだ。

横っ飛びに跳んで避けた後ろに、鋭い風音を立ててブーメランが迫る。
わずかに間に合わず、片足を軸にして身体が突き飛ばされた。見開かれた視界の中、目まぐるしく天と地が入れ替わる。
感じられた痛みこそわずかだったが、それでも反射的に沸き起こった恐怖の感覚に背筋が引きつれていた。
あまりの衝撃に、自分の足が何事も無く繋がっているという簡単な事実さえ認めることができなくなっていた。

手をつき何とか立ち上がろうとしているリュカに、青い巨人がゆっくりと迫る。
だがその背後で、再びリンクが前線に戻っていた。

彼は先程手酷いしっぺ返しを食らったものの、すでにその衝撃から立ち直っていた。
駆けてきた勢いのまま爆弾を取り出すと、こちらに背を向けリュカにとどめを刺さんとするタブー目掛けて思い切り投げ放つ。
爆弾は透き通った背中の上で弾むような音を立てて炸裂し、少し遅れてタブーは何も言わずそちらの方角に目のない眼窩を向ける。

反撃に移るかと見えた彼は、不意にその姿を消した。

亜空の天地はしんと静まりかえった。
互いの近くまで来た2人は、自然に背中同士を預けるようにしてその場に立っていた。

「今度は何だ……?」

剣を真正面に構え、視線と耳で辺りを探るリンク。
彼らの周りでは時間をおいて幾つもの閃光が瞬き、何も及ぼさずに消えていった。

タブーは一向に現れる気配が無かった。

「動かないで。動くと危ない」

直感のままに、リュカはささやくようにして言った。

その途端、彼らの見る前で突然、相次いで幾つもの爆発が起こる。
一見不規則に見えるその爆発は彼らの視点から見ると因果関係が明らかだった。
それは先程、閃光が灯った場所を追うようにして起こっていた。

少年達はこの"花火"に驚いて浮き足立つこともなく、その場を守って爆撃をやり過ごす。
熱い爆風に髪をかき乱されながらも静かにその時を待ち、目配せをし――そして息を合わせて背後へと向き直った。

一刻遅れてそこに青い輝きが顕現する。

爆炎に囲まれて身動きが取れなくなっていた2人目掛けて空間を跳躍し、一息にねじ伏せようと目論んでいたタブー。
しかし彼が見ることになったのは、すでに最大限の覚悟を済ませて待ち受けていた少年達の姿だった。

刀身を白く輝かせた退魔の剣、そして心の奥底から集約された意思の光。
タブーは彼らファイターの渾身の一撃を胸に受け、驚愕に顔を引きつらせる。

「……ぐぅッ!」

振りほどくように首を振り、彼の姿は再びかき消えた。

今度は距離を置いて現れる。
先程までは殺意を持って開いていた腕を胸の前で交差させ、彼は2人を見下ろせる高度に浮かんでいた。
羽根の現れる気配は無く、タブーはただ黙ってこちらをじっと見ていた。明らかに彼は少年達を警戒していた。

少年達もまた戦闘の構えを解かず、互いに肩を並べて立っていた。
しかし彼らの方がいくらか余裕を持っていた。
辺りを吹きすさぶ風の音が様相を変えていることに気がついているのは、この場では彼らしかいなかった。

リンクは右手に構えた盾を前に、一歩踏み出すとこう声を張り上げる。

「なぜだ! どうしてあんたはマスター達を倒そうとするんだ。
あいつらはあんたにとっちゃ親みたいなもんなんだろ?
嫌うならともかく、消してしまうなんて……どこの島にそんなことするヤツがいるんだよ!」

「親だと……?」

食いしばった歯の隙間から絞り出すような声がそう言った。

「親ならば、血を分けた子に祝福を与えるのが常ではないのか?
だが、奴らはそれさえくれようとはしなかった。どころか、私から何もかもを奪っていったのだ。
私が作り上げたささやかな創造物も、私が唯一生きていくことのできる場所も、私が得るはずだった未来をも!
今や私には何の意味もなく、顧みられることさえない。ただの、誰にもだ!
そんな存在に作ったのは誰だ、そうなるよう仕向けたのは誰だ! 奴らを親と呼ぶならば、私は親が憎い!」

怒りを込めて打ち振るった手を、彼は目の前に持ってくると強く握りしめた。

「奴らは恐れたのだ。自分たちの立場が私に奪われてしまうことを怖れ、創造と破壊を兼ね備えた私を畏れた。
その感情が、その心が! 前後も分からず極めて未熟な状態で生まれ落ちた私の未来を永久に奪った。
祝福の言葉もなく居場所を与えることもせず、奴らは私を虚無の海に放り投げたのだ。
それがどんなに残酷なことか、お前達に分かるか……?
奴らは死さえも与えることをいとうたのだ。私の存在を世界から抹消するために、奴らは最も自分の手を汚さずに済む方法を選んだのだよ」

これを聞き、次に一歩を踏み出したのはリュカであった。
下げた両の手を静かに握りしめ、彼は首を横に振るとこう言った。

「それは、違う」

闇の中に浮かぶタブーの姿を見つめ、真っ直ぐに言葉を継いでいく。

「マスターさんは君のことをずっと気に掛けていた。クレイジーさんも、あの人なりに君のことを思っていた。
彼らが君を外に出したのは邪魔になったからじゃなく、一緒に生きていけないことが分かってたから。
でも……それでも君を消さなかったのは、君が自分だけの世界を持ってくれることを、その可能性を願っていたからなんだよ」

「だから何だ! それで私の憎しみが消えるとでも言うのか!」

タブーはわめいた。
胸の前に押し当てられた手を透かして、その向こうに見えるコアが激しく揺れ動いている様子が見える。

だが彼はそこで一旦間を置いて空を仰ぎ、やがてがくりと項垂れると呆れたように首を振った。

「可能性……下らん言葉だ。およそ理性的な判断とは思えん。
中途半端な慈悲など掛けるから私が苦しむことになったのだ。
奴らに心さえ無ければ……心さえ無ければ、私は…………」

俯いたまま胸に置いた手をきつく握りしめ、彼は震える声で呟き続けていた。

「中途半端なんかじゃないさ」

リンクはそう声を掛けた。
彼はその手にまだ剣と盾を携えていたが、その表情にはどこか沈痛な陰りがあった。

「マスターもクレイジーも、今でもあんたのことを思ってるんだ」

タブーはこれを一笑に付し、投げやりな調子で顔を仰向かせた。

「……馬鹿馬鹿しい、何を言うかと思えば。一体何を根拠にそんなふざけたことを言えるのだ」

彼はそう言って首を傾げ、宙に浮かんだまま2人の答えを待っていた。

両者の距離は静かな亜空の中で言葉をかわすには十分なほど近いが、戦闘に移れるほどには詰められていなかった。
だが、少なくとも一方にとっては距離など問題にはならない。
リンクはしばらく口を引き結んでいた。彼には感じ取れていたのだ。タブーがその身から発している尋常ならざる殺気が。
彼は、返答次第によっては瞬く間に空間を飛び越え、その手でこちらを引き裂くつもりでいる。

「"タブー"」

やがて、リンクがその名前を口にした。

「あんたの名前だ。そして、これはマスターとクレイジーが付けた名だ。
名前を付けるってことはそいつがいるのを認めること。そして、そいつのことを忘れないようにすること。
目の前からいなくなっても、あいつらの心の中にはお前がいたんだ。あの時から今までも」

強い光を持った眼差しが、タブーの姿を捉える。

「あんたは最初からずっと与えられてたんだよ。やり直すきっかけも選ぶための道も、いくらでもあった。
でも、あんたは自分の中の憎しみに目がくらんでそれに気がつかなかった。気づこうともしなかった!
何も知らなかったのは、何も見ようとしなかったのは、あんたの方だ。
……あんたが一人ぼっちになったのは誰かのせいじゃない。
昔のことを延々と引きずって、くだらない復讐にばっか自分の力と時間を使って、
差し出された手があれば、意味も心も分かろうとしないで片っ端から払いのけてきた。
道は他にもそこらじゅうにあっただろ。なきゃないで作れば良かったのに、それさえもやろうとしなかった。
いいや、それどころじゃない。自分にはできないって決めつけて、最初っから試そうともしなかったんだ。
未来は数え切れないほどたくさん広がってる、だから失われても惜しむことはない。そう言ったよな?
でもあんたはムジュンしてる。それを知ってるのに、分かってるのに顔を背けてたんだ。
自分の未来はただ一つ、あいつらへの復讐しかないって。
これだけ言えば分かるだろ! あんたを苦しめてるのは誰でもない。全部、あんたのせいだったのさ!」

透き通った人型が、胸を一突きされたように後ずさった。

彼は何も言わなかった。

言葉を発することさえなく、やがてその背から闇の中へと滲むようにして暗い虹が流れ出していく。
波動を放つたびに自らをも否定し、消え失せてしまう翼。
美しくもありながら全ての生命と相容れない歪さをもった羽根が広げられる。

ただひたすらに憎悪の炎を糧に成長し、全てを否定してきた者が行き着いた姿。

亜空間の全天から彼を中心にして光が集約していき、抽象的な形をした虹色の輝きが徐々に高まっていった。
だが、今回は少し様子が違っていた。風音にバリバリと不快な雑音が混じり、少年2人を乗せた浮島も不安定に揺れ始める。

「これっぽっちのことも認められねーのか……!」

歯を食いしばり、腰を落とすリンク。
揺れは今や耐え難いほどになり、水盆は時の流れを映したまま荒波に飲まれた船のように激しく揺らいでいた。

タブーの様子を見ていたリュカが、そちらから目を離すことなく切迫した声を上げた。

「来るよ! リンク、手を!」

「分かってる! 頼んだぞ」

差しのべられた手の平に手を重ね、そして彼らは跳んだ。

色のない波動を、他者の存在を拒む波動を。
一切の命を寄せ付けない波動を越え、わずかな隙間を目掛けて身を翻し、2人の少年は心を一つにして前へと進んだ。

そして、ついにその時が来た。

最後の波が撃ち放たれた直後、無音のまま彼らの頭上で全天が砕け散った。

鼓膜を圧するような感覚を覚えたのも束の間、彼らの周りで全てのものが空へと巻き上げられていく。

果てのないように感じられた亜空間を、空や大地の区別もなく一様で薄っぺらいひび割れが無数の断片へと断ち切っていく。

少年達はその場にかがみ込んでいた。
風に耐えて上を盗み見たが、そこには亜空間の割れ目が不規則に続くほか何も見えなかった。
そこにはおそらく"無"だけがあるのだ。色は白とも黒ともつかず、かといって灰色に見えるわけでもない。

理由は分からないがこれ以上直視してはいけないような予感がして、2人は同時に目をそらした。
次に視線の先に捉えられたのは、青く輝く人もどきの姿だった。

何も無い空を仰ぎ、目に見えぬ陽の光を遮るように腕を上げて。
その背に備わった翼は宙に貼り付いたまま千々に砕け、統率を失った薄っぺらい輝きを辺りにまき散らしていた。
翼の破片は見る見るうちに溶け去っていく。もはや、彼を守るものはその2本の腕しか残っていなかった。

いや。彼は、守るものを作り出そうとしていた。
その足元からは苦悶の表情を浮かべた獣の幻や、かぎ爪のように指を折り曲げた透明な手が次々に生え出て、
互いを圧する勢いで成長してはあっという間に崩れ落ちていく。色彩が目まぐるしく瞬き、形が形を為さないままに消えていく。
全て"無"に食われているのだ。亜空の殻が割れた向こう側、そこから降り注ぐ容赦のない無色の光に。

腕の下に垣間見える彼の口元はひどく歪んでいた。
苦痛か恐怖か、それとも絶望か。叫び声を上げているのだとしても、少年達の耳では聞き分けることができなかった。
亜空から吸い上げられ消えていく大気がすでにむせび泣くような音を立て、2人の頭上を轟々と響き渡っていたのだ。

タブーが落ちてくる。彼の身を中空に留めていた力が消えてしまったかのように、ゆっくりと。
彼にはもう、浮かび上がる気力もなく、逃げることもできない。何をも遠ざけることもできない。
無に生身を晒した彼の輪郭はおそろしくゆっくりと、溶けるように縮んでいく。

2人はその姿を、何も言わずに見つめ続けた。

彼らはこうなることを知っていたのだった。
タブーの記憶、その一部に触れたリュカは彼が『スマッシュブラザーズ』の世界を追い出された瞬間も目にしていた。
マスターハンド達には絶対に見ることのできなかった、タブーの視点からの記憶。
そこには、亜空間さえも吹き飛びほぼ身一つで無の中に放り投げられたタブーの姿があった。

放たれた波動は正常な時空を消し飛ばすだけには留まらなかった。
彼が唯一生きられる亜空間さえをも否定し、跡形もなく消し去ってしまったのだ。
無に晒された彼はあっという間にその身を失い、わずかに亜空間を纏わせたコアだけが残ってあてどもなく無の中を彷徨っていった。

彼らの目の前で起きたことも、ほぼそれを再現したものであった。
ただ今回の場合は残り少なくなっていたとはいえ一つの世界を吸収した後であり、
亜空間の厚みを削らせるためには結果として何度も否定の波動を撃たせる必要があった。
無への口が開いた今でも一瞬にして亜空間が消えることはなく、彼らが立っている浮島とその周囲は変わらぬ闇の色を見せてそこにあった。
だが、いずれは終わりが訪れるだろう。

吹き上げる風の中にかがみ込み、2人の少年はタブーの輪郭が、身体が少しずつ失われていく様を見つめていた。
怒りも憎しみもすでに無く、どこか憐れむような彼らの眼差しを受けて、ついにタブーは小島の上に足をつく。
均整が取れていたはずの身体は無の侵蝕を受け、面影もないほどにやせ細り始めていた。
棒のような足では体を支えきれず、彼はふらふらとよろめいて呆気なく膝をつく。ぐらりと頭が揺れ、そのまま肩から後ろへと無造作に倒れ込む。

まるで糸が切れてしまったかのようだった。
ほんの数刻前までは空間を自在に跳躍し、幻影めいた武器を虚空から生み出し、
己の執念を掛け、楯突く最後の生き残りを根絶やしにせんとありったけの殺意をぶつけてきたというのに。

今、2人の見つめる先にいるのは憐れな抜け殻。
捨てられた人形のように足を投げ出して横たわり、全く意味のない格好に腕を広げて。
もう、彼には何を作ることも、壊すこともできないだろう。

無は星のない空を飲み込み終え、2人の視点で言って地平線に当たる高さを浸食しはじめている。
風は少しずつ勢いを緩め、どこかくぐもったヒュルヒュルという音を立てて空の高みを彷徨っていた。
小島の地面もいつの間にか透明さを失いはじめていた。汚れたガラスのような質感の向こうに辛うじて時の流れが見えている。

リンクとリュカは顔を見合わせ、そして立ち上がった。

武器は仕舞っていた。そもそも出す必要も生じなかった。
そのまま2人は虚空に小さな足音を響かせて歩いて行く。

驚いたことに、まだタブーには意識が残っていた。
指の別も判然としなくなった手を投げ出し虚空を見つめていた彼の顔が、こちらの足音に気付いて緩慢な動作で振り返る。

「なぜだ……」

見た目よりもまだ流暢さを残した声が、呆然と開かれたままの口からそう言った。
弱々しく震えた声だったのにも関わらず、2人はその声が持つ何かに気圧されて立ち止まる。
いや、正確にはその声から失われた何かが違和感を生じさせ、2人に足を止めさせたのだ。
それは言うなれば虚栄、極端なまでに独善的な自信。彼の身をここまで保たせていたのは、その常人離れしたエゴだったのかもしれない。

アイデンティティの柱を打ち砕かれてもなお、死ぬことのできない偽神は恐怖とも呆然とも取れる様子でわずかに口元を歪め、
数歩先で立ち止まってしまった若きファイターに向けて繰り返した。

「なぜだ」

語調を強めて放たれたそれは、すがりつくような響きを持って耳に迫ってきた。
リンクは心に沸き起こってきた苛立ちと言い知れぬ不安に眉をひそめ、言葉を投げ返しかけた。

「何がだよ――」

「なぜ、私は勝てぬのだ……!」

半透明の胸が、存在しない肺が震えながら息を吸い込み、そして言葉が一気にあふれ出す。

「私はありとあらゆる世界を見てきた。
世界を作ることが出来ぬのなら、せめてそれを成り立たせる事象を理解しようと試みた。
幾千とも幾万とも分からぬ宇宙を隅々まで見つめ、介入する術を、身を滑り込ませる綻びを探し続けた!
私は確信を得ていた。私は森羅万象の全てを、それを成り立たせる理の全てを知った、時が来た暁にはそれを我がものにできると!
だというのに、なぜだ! やっとの思いで手に入れた世界は私の手の中で朽ちていき、虫けらでさえ私に背を向けた。
何もかも奪われていく。何もかも……あぁ、あり得ない! 認めんぞ、なぜ私がお前らごときに!
これさえも私に与えられた運命だと言うのか? 私は自分の、運命に勝つことは出来ぬというのか、永遠に――!」

怒りから来るものか、あるいは意識も昏迷し始めているのか、息も絶え絶えに放たれる彼の言葉は次第に筋道を失っていく。

2人の少年は、これをじっと黙って聞いていた。
もはや言い返す必要さえなかった。すでに勝敗は決しているのだから。
放っておけばじきにタブーの体はコアを残してすっかり溶け去ってしまい、もはや叫ぶ気力も無くなるだろう。

タブーは思いつく限りの不平を並べ立て、狼狽し、「なぜ」という言葉を繰り返し続けた。
思い返せば、彼は"エインシャント"だった頃からそれを度々口にしていた。
少年達は何の答えも返すことができなかった。すでに彼らの仲間によって言葉は尽くされていたのだ。
それでも彼は理解しようとしなかった。提示された答えを否定し続けた。
だからこそ、気の遠くなるような歳月を越えて彼は問い続けていられたのかもしれない。

手も足も満足に動かせなくなり、その分を補おうとするかのように最後の力を振り絞り、わめき続けるタブー。
自分たちを含む多くの仲間を苦しめ、それよりもっと多くの人々を恐怖に陥れた元凶だと知りながらも、
2人の少年はどこか居たたまれない顔をしてその場に立ち尽くしていた。

と、そのうちの片方が、意を決したように顔を上げる。
ためらわず初めの一歩を踏み出した彼を、もう片方が驚きと疑問に満ちた目で見つめる。

煤けたガラスの大地を赤いスニーカーが踏みしめる。
そう、口を引き結びタブーに向けて歩み寄っていくのは他ならぬリュカだった。

振り返らず、立ち止まることもせず少年は歩いて行く。
それを見つめ、タブーの開かれたままの口が恐れを抱いて歪む。言葉の奔流もぱたりと途絶える。

他に何者も入れないはずの亜空間で暮らしてきた彼にとって、無抵抗の状態で他者に接近されることほど恐ろしいことは無い。
だが、今は後ずさろうにも体は微動だにせず、錨のように彼の身をその場に縛り付けるのみ。

「や、め……」

唯一、まだ動かすことのできる首を横に振り、打って変わってぎこちない口調で彼は言った。
しかし、リュカは立ち止まらなかった。そのままタブーのそばまで来ると、膝をつく。

だらりと力無く垂らされた青白い腕。
少年の目の前には、すでに指の別さえつかなくなった手が投げ出されている。

ひどく真剣な面持ちでリュカはその痛々しい手を見つめ――そしてそっと、自らの手にとった。

タブーの目が、眼球の無い眼窩が驚きに見開かれる。
息をのもうとし、同時に驚愕の声を上げようとして、開け放たれた口から奇妙な声が漏れる。
彼は、まだ残されている力を使えば腕を引くことくらいはできたのかもしれない。だが、彼はそれをしようともしなかった。

リュカの小さな両手に包まれた、もはや手と言えないほどに輪郭を失った手をそのままにタブーは呆然と空を見上げる。

「何だ、この感覚は……」

彼の心の中では無数の波が荒れ狂っていた。意味を求めてせめぎ合っていた。
だが、彼にはそれを言葉にすることができなかった。幾千年ともしれぬ時を、世界の原理を凝視することで過ごしてきたというのに。
全く未知のものを目の前にしながら、しかし不思議と恐怖は感じなかった。
何もかもを投げ出し、それに身を任せてしまっても構わないという考えさえ浮かび、彼は自分の中にそんな考えが浮かんだことに驚愕した。

すっかり混乱しきっているタブーに、
その手に温もりを与えている生き物が、ちっぽけな生き物が静かにこう言った。

「君が知りたがってたことだよ」

それを聞き、目のない眼窩からふっと緊張が解ける。

「ああ……」

安堵と少なからずの後悔に満ちた呟き。
それを最後に、彼の口はやっと閉じられた。そこにはもう、苦痛の欠片もない。

リュカは、それを見届けてから腰を上げ、タブーの手をそっと離してやった。
青く透き通った腕は骨の存在を感じられない動きで磨りガラスの上に横たわる。

なおも黙りこくってタブーを見つめ、振り返ろうとしないリュカの背に声が掛けられた。
我に返って後ろを向くと、そこにはリンクが怪訝そうな顔をして立っていた。

「なあ。あいつに何したんだ?
またあれか、お前の得意な魔法か?」

どこか胡散臭げな顔をしているのは、自分だけ置いてきぼりを食らって不満だったからだろう。
リュカは照れくさそうに、そして少し寂しげに笑って首を振った。

「そんな大したものじゃないよ」

そして再びタブーの方へと顔を向け、

「僕はただ手に触れただけ。彼は自分で気づいたんだ」

だから何だというように眉を上げたリンクのその気配に気づいたかのように、
リュカは声の調子をちょっと明るくして、今度は体ごと振り返る。

「言ってたよね、リンクも。タブーは今まで分かろうともしなかったって。
差し出された手も何もかも、ずっと否定してきてたんだって。
僕もそう思う。でも、それはもしかしたら仕方のないことだったのかもしれない。
だって、彼は生まれてからずっとここで暮らしてたんだ。何に触れることもできないし、誰と話すこともできない」

そう言ってリュカは片方の手を上げて辺りを示してみせた。
もはや空も無くなってしまった亜空間。小島の下から割れたガラスのような形をした黒紫色が一つ、また一つと浮き上がり、溶け去っていく。 

リンクの眉間に寄っていた怪訝そうなしわが消える。
亜空間。何一つとして確固たる質量を持たず、自分の他には何者も住んでいない曖昧な世界。
生まれた、つまり自分という存在を意識した直後に出会った他者は、タブー自身の振る舞い方にも問題があったにせよ、
初っ端から彼が居られる唯一の世界を潰し、どころか彼そのものを追い出しに掛かり、その間決して言葉をかわそうとしなかった。

そしてその後に始まったのが、永遠に限りなく近い孤独の時間。
ファーストコンタクトで刻み込まれた最初で最後の"他者への反応"が彼の行動原理として根ざすには、十分過ぎるほどの時間だった。

「だから、こいつはずっと突っぱねてきたのか?
誰がどんな気持ちで近づいてこようと、タブーの目には自分を消そうとしているようにしか見えなかった。
たまに自分から手を伸ばすことはあっても、それは自分の良いようにこき使うためで……」

同意を求めるように目を合わせたリンクに、リュカは頷きかけてその後を継ぐ。

「そう。決してわかり合おうとするためじゃなかった」

そして2人は、タブーの方へと視線を向ける。

他者と出会えば、人は変化する。そして多かれ少なかれ、それまでの自分が失われていく。
相手との隔たりが大きければ大きいほど、理解することには大変な努力が伴うようになる。
そういう見方、価値観もあって良いのだと受け入れることさえ、我が身を刻まれるような苦痛と感じる時もある。
だが、それを乗り越えることができれば自分の世界はその分、色鮮やかに広がっていく。
あたかも、扉を開け放ち、その向こうに新しい部屋を見出すように。

タブーは、扉を抜けた向こうに温もりが待っていることを知らなかった。
誰も教えてくれなかったし、知る機会も与えられなかった。だから閉じこもっていたのだ。
近づいてくる気配を全て自分という存在への「否定」と捉え、自らの心を固く閉ざし続けた。

これで正しいのだと思い込んでいたが、それでも言い知れぬ渇望がわき起こり、常に彼を苛んでいた。
彼にはその理由を突きとめられず、そのために自らの感情を一層強く、他者への敵意に振り向けてしまった。
自分を追い出したあの存在には復讐を、そしてその他あらゆる生き物へは冷淡な蔑視を。
彼は、他者をさげすむことでしか自身を保てなかったのだ。

背後で力無い笑いが聞こえ、少年達はふと振り返る。
タブーが弱々しく、鼻を鳴らして笑ったのだ。
だがその嘲りは初めて、自分自身に向けられていた。

「……今さら、気がつくとはな」

何も無い空を見るともなしに見上げ、彼はぼそりとそう言い捨てた。

「私はずっと……お前達のことを憐れに思っていた。
お前達は、世界を織りなすあらゆる事象の中で最も無力な存在だ。
力に見合わぬ中途半端な意思を持ち、己を取り巻く事象に、立ち向かうこともできず飲み込まれていくばかり。
迷い、惑わされ、飽きもせずに同じことを繰り返し……そればかりか常に他の誰かを求め、その飢えは止むことを知らない。
他者も自分とさして変わらぬか弱い存在だというのに。寄り集まったところで何になる?
私には荒れ狂う嵐から目を背け、互いに身を寄せ合って震えているようにしか見えなかった」

そんな言葉を連ねる彼の口はしかし、今までに見せたことが無いほどの真剣さで引き結ばれている。
目のない眼窩はいつしか真っ直ぐに空の彼方を見つめていた。

「私だけは違う、と思っていた。……敢えて、そう思い込んでいたのかもしれんな」

不器用ながら後悔のようなものを口調に滲ませ、タブーは言葉を継ぐ。

「ありとあらゆる世界をつぶさに眺めた私は、"奴ら"も含めて、お前達が不合理な行動をする理由は"心"にあると結論付けた。
心があるから、判断を狂わされる。心があるから、不安と恐怖に支配される。誰かがいなければ生きていくことさえままならない。
私はずっと、心とはある種の欠損であり、それに支配されたお前達は憐れな失敗作だと思っていた。そう決めつけていた。
だが、私の作り上げた心なき完璧な兵士達はそんなお前達に勝つことができなかった。
より強く、より賢く……手を掛ければ掛けるほど、私の忌み嫌う心が宿るようになった。
純粋な溶液から作り上げたはずの結晶に、汚らしい不純物を見つけたような思いだった」

彼の言葉を聞き、リンクとリュカの頭にはこれまでに出会った人形兵の姿が去来していた。
がむしゃらに突撃するしか能のない緑帽、ふとした拍子にその仕草に感情らしきものを滲ませた気球兜、
ほとんど機械と変わらぬ姿をもった砲台兵士、頭を放り投げては慌てふためき逃げ惑う爆弾兵。
そして、主から完全に見捨てられてもなお、最後までそれぞれの矜恃を貫いたタブーの腹心。

目の前に横たわる創造主もまた、彼らの顔を思い出しているのか。それともただひたすらに自己を振り返っているのだろうか。
独り言のように呟かれる言葉からは、それをうかがい知ることはできなかった。

「……考えてみたこともなかった。そもそもの前提が間違っていたとは。私は、物事の一側面しか見ていなかった。
他者がいなければ生きられないということは同時に……他の誰かと関わることができるということでもあったのだ。
必要とすることの裏返しは、必要とされること。あるいは誰かから意識されること、その存在を知覚されること。
……そこに"在る"と、気づかれること」

そこまで辿り着いたところで、彼は苦笑した。

「結局、私はずっと羨んでいたのだな。恵まれたお前達のことを」

彼にしか見えない上空の何かを見つめ、タブーはこう続けた。

「お前達には守るべきものがあり、住むべき場所があり、戦うべき信念があった。
言い換えるならば……そう、『存在する理由』。
お前達は生まれながらにしてそれを持ち、たとえ途中で奪われようとも時が来ればいつの間にかそれを再び得ていた。
ある者は己の力でそれを勝ち取り、ある者は己の言葉でそれを獲得し、そしてある者は己の心でそれを作り出した」

これほどまで身体が失われた今でも、彼の思考は意外なほどの明瞭さを保っていた。
だが、もはや敵意は感じられない。そこにあるものは奇妙なことに、満ち足りたような穏やかさであった。

断片的にではあったが、タブーの記憶を垣間見たリュカは知っていた。
無を放浪していた頃の彼は必死の思いで亜空間を維持しながらも、自らの傍を通り過ぎていく様々な世界に思わず目を奪われていた。
大乱闘で沸き立つ『スマッシュブラザーズ』も、彼はその音もなく光もない外に佇んでじっと眺めていたのだ。
あのとき無慈悲にも自分を追い出した存在が別の世界からやってきた余所者を歓待する様子を、彼は羨望と嫉妬の眼差しで見ていた。
ずっと自分を苦しめてきた感情の正体を、思考の根元を、彼は今になってようやく突きとめることができたのだ。

タブーの言葉は続いていた。

「……私にはそれを真似ることができなかった。あの時、奴らに奪われ否定された未来が私の全てだと思っていたのだ。
失われたものは帰ってはこない、枝からふるい落とされた私に未来はない……だから、私は他者から奪いとることしか考えていなかった。
だが、結局それは間違いだった。奪いとったところでそれは本質的には私のものではない。
我が軍から逃げ惑い、怯えて空を見上げる者共、そればかりか私の創り上げた兵士の目にも……誰の目にも『私』は映っていなかった。
私は決して、存在する理由を得ることができない……そんな結論に至った私は、いっそ自分を消し去ってしまおうとしたのだ」

リンクはこれを聞き、驚いたように目を見開いた。
だが一方で、その隣に立つリュカはすでにこれを覚悟していたような顔を向けていた。

空を見上げるタブーの声はだんだんと気怠げに間延びしていく。
それでも彼は残された力を使って語り続けた。今まで認めようともしなかった自分の本心を見つめ、傍にいる者に分け与えていた。
そうすることで自分の生きた証を残そうとするかのようにも、過ちを償おうとしているかのようにも見えた。

「マスターハンド、そしてクレイジーハンド。私は奴らに作られた存在だ。
従って奴らを消せば私もまた消滅する。……『スマッシュブラザーズ』の世界と同様、無かったことになるのだ。
私は今までその衝動を、奴らへの復讐として捉えていた。
だが心の奥底では、ずっとそれを……終わりを望んでいたのだな。果てることのない苦しみから逃れるために……」

そこで、ふとタブーの顔がこちらへと向けられた。
彼はもはや前腕と下腿のほとんどを失い、顔立ちもわずかながら彫りが浅くなっていた。
砂で形作られた像が寄せては返す白波に溶かされていく。そんな様にも似た顔を向けて、彼はこう言った。

「私は、嬉しかったのだ。今になってようやく気づいたのだが。
お前達ファイターが私を敵と認め、全力で立ち向かってくることに言い知れぬ感情を覚えていた。
あれは怒りだったのか、驚きだったのか、それとも喜びだったのか……。
お前達が見ていたものはあの傀儡だったかもしれない。それでも、私にはお前達の目に……私の姿が、映り込んでいるように思えたのだ。
そして実際に、お前達は惑わされることもなく本当の私の居場所を突きとめ、ここに辿り着いた。この、私の目の前に。
睨みつけられ怒声を浴びせられたとしても……誰からも存在を気付かれないよりは余程幸せだ。
お前達は、私に背を向けることなく向き合い続けた。孤独な私に存在する理由をくれた、最初で……最後の存在だ」

彼はぎこちないながらも、口を歪めていた。笑顔のつもりだったのかもしれない。

それを見つめていた少年達は、ふと辺りの明るさが変わったことに気付いて足元を見た。

時の流れを映し出す水盆は、無にさらされて磨りガラスのように曇ってしまっていた。
だが、目を凝らせば辛うじてまだその向こう側を望むことができる。

亜空間はすでに枝の一点で下降を止めていた。変化の源は足元ではなく、枝の先にあった。
枝の上流を辿って視線を背後に向けると、いつの間にかそこには暗い空白が生じていたのだ。

輝く枝振りの中、ぽっかりと空いた小さな窓。
その意味を計りかねている2人の後ろで、タブーの声がこう言った。

「私の過去を捨てたのだよ。
……もう必要ない。私は十分すぎるものを得た」

それはつまり、彼がこれまで築き上げてきた自分の物語を捨てたということであった。
『スマッシュブラザーズ』の外に追い出されてから今までの時間と空間。怨念と憤怒に満ちた、幾千年とも知れない暗黒の年月。
何も持たず生まれ、何も持てずにさまよい続けた彼が唯一固執し続けたもの。

少年達は思わず互いに顔を見合わせ、目を丸くした。これほどあっさりと彼が諦めるとは思わなかったのだ。
そんな彼らをよそに、タブーは空を――もはや何の色もない無を見上げてこう言った。

「不思議だ……過去も、現在も、そして未来も……。
私はこれで本当に全てを失おうとしているのに、これほど穏やかな気持ちになれるとは。
看取ってくれる者がいるだけ贅沢というものか……ああ、お前達はこれで今までのことを忘れてしまうのだったな。
全ては無になる。……無から生まれて無に帰る。これで良い。これこそ私にふさわしい最期だ……」

彼は深く息を吸い、長く、満足げなため息をつく。

「さあ……ファイターよ。境界を越える戦士たちよ。
最後の仕上げは、お前達でなければ果たせぬ。ここで、私を……終わらせてくれ…………」

それを最後に、彼の顔から意思とでも言うべきものが消え去った。

託された2人の少年はしばらく彼の前に佇み、そして立ち上がる。

立ち上がったものの、その手は武器を持とうとはせず、彼らはじっと目の前の青い結晶体を見つめていた。
彼らが決断を下せずにいるうちにその身体はみるみるうちに溶け、赤いコアにわずかばかりの青さを纏うだけとなっていく。

水盆の風景はすでに消え失せ、浮島は一面がまるで陶器のような感触を持った白さに染まっていた。
亜空間の天地も大方が無に飲み込まれ、周囲は色のない薄明に包まれていた。後は彼らの立つ浮島を残すのみ。

ホワイトノイズが辺りを満たす中、少年達はそれでもその一歩をためらっていた。

迷っている猶予は無い。
タブーほど不安定な身体ではないからまだ目に見えるほどではないが、リンク達にも無の浸食が感じられるようになっていた。
ちりちりと肌に電気が走るような、徐々に冷気が染み渡ってくるような感覚。

だが、それでも。
それでも、並び立つ彼らの顔にはためらいが残っていた。

Next Track ... #54『Hello World』

最終更新:2016-12-02

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