気まぐれ流れ星オリジナル小説

ダチョウの走る街

「あっ!」

母に手を引かれて歩いていた女の子が立ち止まり、むこうの十字路を指して明るい声を上げた。
私も慌ててそちらを見る。

しばらく静かになり、やがて音が戻ってくる。

何とかやり過ごせたようだ。
私は再びスーパーの袋を両手にさげて、早足で歩いていった。

――こんなことを続けていたら心臓がもたないな…

そう歳もとっていない私がこう思うのには訳がある。

一年ほど前のことだったか、ダチョウの噂がたちはじめた。

何羽ものダチョウが街を走っている。
そんな噂だ。

動物園から逃げたのか、外国船から脱走したのか…原因が分からないまま、目撃者だけが増えていった。
最初にその噂を聞いたときはバカバカしいと思っていたのだが。

噂が流れ始めて、およそ一週間が経った。
ダチョウは相変わらず人前に現れるらしいが、私はまだ遇ったことがなかった。

この頃になると地元メディアでは、ダチョウはいつかの"タマちゃん"のような扱いをされはじめていた。
私は正直、ダチョウがかわいいとは思わないが…。

『ダチョウに会えると幸運が訪れる』
私の周囲では、そんな噂までまことしやかに語られはじめた。

それからまた一週間ほど経った頃、私は同僚の山岡に聞いた。

「あのダチョウ、いつになったら捕まるんだろうな?」

やはり私は、一度もダチョウを見かけたことはなかった。
それなのに目撃情報だけが周りでふくれあがっていくこの状況に少し嫌気がさしていたのかもしれない。

苛立ち半分に、そして軽い気持ちで同僚にそんなことを持ちかけてみたのだが、
すると彼は普段から丸い目を、さらに丸くしてこう言ったのだ。

「捕まる? 一体誰に捕まるっていうんだ。あのダチョウを捕まえるやつなんているのか?」

「だが、あのまま放っといたら事故を起こすだろ?」

「あの子らは事故なんて起こしたことない」

「あの子ら…って、お前そのダチョウを見たことあるのか?」

「いや、ない」

山岡は、それほど動物好きではなかったはずだ。
そんな彼が、ここまでダチョウに感情移入するなんて…?

しばらく経つと、私のまわりは一度はダチョウを見たことがある人ばかりになっていた。
私は次第に、"ダチョウを見たことがない"というだけで孤立していった。
山岡も、あの日以来私に話しかけてこなくなった。

不思議なことに、この街ではこんなにも有名なのだが、
"タマちゃん"とは違い、この街が『ダチョウが見られる街』として全国版ニュースで語られることは皆無だった。

ついにダチョウを見た人々は、見ていない人々を憐れむことをやめ、徹底的に差別しはじめた。
後ろ指を指し、蔑み、あざ笑った。

見ていない人々の中には、私も入っていた。
最近私は、自分が『まだ見ていない』というより『見ることができない』人間なのではないのかと、本気で考えている。

今までこうして『見えるふり』をすることで無事に外出できていたのだが、この頃はさらに監視が厳しくなってきている。
仲間内でもそれは同じらしく、この前私はある場面に出くわした。

道路の真ん中に人の円陣ができていた。
私は目を疑った。人の切れ目から見える中央の人…彼ないし彼女は、暴行を加えられていたのだ。

「あの人ウソをついて見えるふりをしていたんですって」

「まぁ!」

「あの子たちの色を正しく答えられなかったのでばれたのよ」

隣では主婦らしき女たちがぺちゃくちゃと喋ってる。

ドスッという鈍い音、そして男たちの怒号。
それらが自分に向けられているような気がして、私はよろめきながらそこを離れていったのだった。

世の中では、常に多数派が正しく、主流となる。どんなに馬鹿げていようと。

ダチョウを見ていない人々の数は少なく、彼らが団結して立ち上がる様子はない。
だが彼らは皆、この街に何か異常なことが起きていると思っているはずだ。現に私がそうだ。

この異常事態にはどう対処すべきなのか。
役所に行くのは危険だ。
もし、そこの人にまであの変な現象が起きていたら、私はすぐに異端狩りにあってしまう。

色々考えたあげく、私はこの街から出て行くことに決めた。
今日の買い出しもこのためだ。
私は食糧が入ったスーパーの袋を、もう一度しっかりと持ち直した。

だが、動き出すのが少し遅かったらしい。
国道をはじめ、街の外に通じる全ての道がいつの間にか通行止めとなっていた。しかも監視人までついている。

そこで私は、山道を使って脱出することにした。
監視の目もそこまでは届かないはずだ。

この街は四方のうち一方が海、三方がほぼ山に囲まれている。
海に逃げるという選択肢はなかった。私は泳ぎが苦手だし、そもそも海から逃げたのでは人目につきやすい。

全ての準備を整え、私はある夜、家を出た。

怪しまれない程度の大きさに抑えたリュックを背負い、こっそりと暗い山道に分け入っていく。
虫の声がやけに耳についた。

坂を上り、下り、また上り…平坦な道に出る。
用心のため、懐中電灯はつけていない。手探りで歩いていくうちに、だんだんと目が暗さになれてきた。
私はペースを守って歩を進めつつ、考え事をしていた。

――なぜ、この街は閉鎖されたのか?

前から全国版ニュースと、地元のニュースに共通の話題がのぼらないような気はしていたが。
まさか、この街は隔離されたのか? そうなのだろうか。
それはもしかして、このバカげたダチョウ騒ぎと…

私は急に横からの光に照らされた。

慌てて近くの草むらに隠れる。

「誰だ、そこにいるのは! 出てこい!」

息をひそめ、縮こまる。
心臓が破裂するかと思うくらい、激しく鼓動を打っている。

しばらくして、ガサガサという音は遠くなっていった。

私はそれでも十分に時間をおき、リュックを背負うと中腰でそろそろと歩き始めた。
時々地図を出して、今の位置とこれからのルートを確認する。

隣町まではまだ遠く、私の歩みは焦れったいほどに遅く感じた。

山のふもとが見えたとき、私は呆然とした。
ふもとは、隙間無くきっちりとバリケードで分断されていたのだ。
こちらと、あちらとに。

なぜここまでして…。

私はそこに立ち尽くすしかなかった。

あのダチョウ騒ぎは伝染するとでも言うのか…?

5メートルを超えるであろう壁を、歩哨に見つからず越える手だてもなく、
私は結局そこの監視人に捕まり、この街に連れ戻され、警察の取り調べを受けることとなった。

「なぜ街を出ようとしたんだ?」

なぜ・・街を出てはいけないのですか?」

警官の質問には答えず、私は半ば怒って言った。

「それは先日決まった方針にあっただろう」

「……?」

「見ていないのか。ほら、よく読むんだ」

彼は私に一枚の紙を渡した。
それにはこうあった。

『本日を以て○○市を一時閉鎖致します。
 ダチョウ保護のため、ご協力お願いします。
              詳しい情報は―』

ウェブサイトのアドレスがあったが、この街ではもはやインターネットすら繋がらないのだ。
何になると言うのか。

警官はそれ以上は追及せず、私を解放してくれた。

「警官さん…」

私は部屋を出て行くとき、振り返って聞いてみた。

「あなたには本当に見えているんですか?」

警官は向こうを向いたまま、何も言わなかった。
しかし、その口許はわずかに苦しげに歪んでいた。

家に帰り、私は警官から渡された紙をぼんやりと見ていた。
ご丁寧なことに、そこにはお辞儀しているダチョウの絵まで描かれてあった。

そのダチョウの絵を見ているうちに段々と笑いがこみ上げてきた。
笑いつつも、私の目からは涙が流れていた。

脱走しようとしたことが知られて、私は職を失った。
家も売ってしまい、その金で生活しながら私はふらふらとあてどなくさまよい歩いた。

時々、ばれてもいいから「ダチョウが見える」とウソをつきたくなった。
貯金はどんなに生活を切り詰めても減っていく。
ほんの少しでもまともな生活ができるなら…。

まともと言えば、この街は『まとも』なのか。
以前なら自信を持って「違う」と答えられたが…今は確信がない。

一体どっちがまともで、どっちがまともじゃないのか。

そもそも『まとも』とは何だ?
それすら分からなくなってきた。

だが、私は

 ダチョウが走っている。
 街の車道を、我が物顔に次々と。

 もはやこの街に車が走らなくなって久しいのだから当たり前だ。

 人々は彼らを指し、嬉しそうに眺めている。

 そのダチョウの流れの中に、1人の男がいた。
 地味な色の服を着た、薄汚れた男。

 彼は、自分の体にぶつかっているはずのダチョウの群れを何とも思っていないようだった。

 彼は何事もなく車道を渡り終え、さらに山のほうへと歩いていく。
 くたびれたリュックを背負うその背中は、しかし、毅然とした意志を持っていた。

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