気まぐれ流れ星二次小説

Open Door!

Track49『Left Alone』

~前回までのあらすじ~

『スマッシュブラザーズ』に選ばれ、それぞれの思いを抱いて輝く扉をくぐったファイター達。
しかし、彼らは目的地とは異なる灰色の世界に連れてこられ、得体の知れない人形の軍勢によって1人、また1人と捕らえられていく。
そんな中、プロロ島の風の勇者リンク(トゥーンリンク)と、タツマイリ村の少年リュカが出会う。
偶然が生み出した出会いは数々の困難に遭いながらも成長していき、10人のファイターが集結を果たした。
ついに、彼らは全ての根源であるエインシャントの根城へと最後の攻勢を掛ける。

激しい攻防の中7人までが倒され、エインシャントの元にたどり着けたマリオもまた、エインシャントに死の銃口を向けられていた。
絶体絶命の窮地。しかし、緊急時のために用意されていたバッジの機能によって仲間達は甦り、形勢は一気に逆転する。

浮遊城の最下層に置かれた大コンピュータ"HVC-GYS"。
エインシャントに操られ、人形兵の頭脳として働かされていたそれをリュカが止め、新型兵を含む全ての兵士が無力化する。
追い詰められたエインシャントはそれまでの態度をかなぐり捨て、自らに扱える創造の力を限界まで引き出してファイター達を仕留めようとする。
が、以前カービィが見つけていた金色のディスク、それを打ち込まれた途端に彼は動作を停止し、舞台の上に倒れ伏した。
ファイター達が見たものは、かつてこの世界で人間と共に暮らしていた"ロボット"、それと瓜二つな支配者の姿だった。


  Open Door! Track49 『Left Alone』


Tuning

犠牲

王としての威厳も失い、自らを神と称した機械はもはや再び立ち上がる気配さえなく、虚ろなレンズを空に向けていた。
リンク、マリオ、そしてカービィの3人は同じ舞台に立ち、距離を置いてそれを見つめていた。

エインシャントは動かなくなった。自分たちが倒した。
そう分かっていても、横たわる暴君の傍に進んで近寄ろうとは思えなかった。
ものを言わなくなってもなお彼はこの灰色の世界の王であり、
その中で散々苦しめられ苦労してきた記憶が、重く冷たい足かせとなってファイター達をその場に留めさせていた。

不意に足元が揺れ、3人ははっと身構える。

いつしか辺りには小雨の降るような音が響いている。
見れば、山肌から突き出たキメラ達の残骸がぼろぼろと崩れていき、あちこちで白い光が舞い上がっていた。
急ごしらえの舞台となった六角形のゲートも彼らを載せたまま、少しずつ傾きはじめる。

「悪い魔法使いが倒されて、呪文が解けたってとこかな」

帽子を片手で押さえて空を見上げ、マリオが言った。
エインシャントの力によってかき集められていた事象素の山が粒にほどけ、辺りの大気に拡散しはじめたのだ。
3人の周りで綿雪のような輝きが群れをなし、空へと吹き上げられていく。
その風にリンクは金髪をもてあそばれつつ、何とか姿勢の平衡を保とうとしながらこう返した。

「のんきに言ってる場合かよ。このままじゃおれ達、外に放り出されちまうぞ!」

なんと運の悪いことか、ゲートの残骸が傾いでいく方向には真っ白な空だけがあった。
王の間に開けられた巨大な風穴。支えを失った砂山は自然とその方角に倒れていく。まるで空の白に還ろうとするかのように。

六角のゲートから身を乗り出し、反対側の裾野の方を眺めていたカービィはそこで何かに気づき、明るい顔で振り返る。

「だいじょーぶ! でも、しっかりつかまってたほうが良いよ!」

彼の言葉の意味が掴めず、揃って間の抜けた疑問符を返す2人。
しかし、次の瞬間。足場が大きく揺れ、リンク達は慌ててその場にかがみ込むことになる。
舞台は一旦水平に戻り、それから、壁の崩落した方角ではなくその逆へと徐々に傾いていった。

マリオは咄嗟にエインシャントに駆け寄り、パイプ状になった胴の部分でそれを抱えた。
機械の重さに閉口しつつも膝で弾みを付けて持ち上げ、傾斜を増していく地面のわずかな亀裂にもう片方の手、その指をかけようとする。

「ほら、手を貸しな!」

見上げると、ケーブルの隙間にしっかりとフックショットを打ち込んだリンクがそこから思い切り手を伸ばしていた。
マリオは礼を言い、彼の手を取った。

体の浮くような感覚があった。
金属とケーブルでできたステージが3人を載せたまま、山の斜面を滑りだしたのだ。

あまりの速さに風が荒れ狂い、笛のような音を立てて彼らの服や髪を騒がせる。
本能的な恐ろしさが手の甲から腕へそして背中へと走り、3人は必死に体を縮こまらせていた。

数秒か、それとも数十秒か。
背筋も凍るような直滑降は始まった時と同じくらい唐突に、そして騒々しい衝突音と共に終わった。

フィギュアが並べられた階段状のステージ、その頂上に立ち右腕のアームキャノンを精一杯後ろへ引いていたサムスは、
衝撃から立ち直れずステージの上で伸びてしまっている3人の様子に気がつき、ややあってこう言った。

「……悪かったな。急を要したものだから、警告する間も無かった」

その銃口からは水色に光る鞭が伸び、ケーブルの端へと掛けられていた。
彼女はこれでゲートの乗った台座を繋ぎ止め、段の上に飛び乗って渾身の力で引っ張り、こちら側に引き寄せたのだ。

時間が無かったという彼女の言葉は真実だった。
台座の向こうに見えていた光る砂の山はあっという間に崩れ去り、その大方が城の外へと流れ落ちていく。
流出が収まると、後には綿雪のような輝きばかりが舞い踊っていた。差し込む光も相まって、埃漂う古屋敷の中にいるような気分にさせられる。

まだふらつく足で立ち上がり、リンクは幾分顔をしかめて答えた。

「こっちの身にもなってくれよな……ま、落っこちるよりはましだったけどさ」

と、そこにやや遠くの方から声が掛けられた。

「あら! 残念。どうやら舞踏会には間に合わなかったようね」

開け放たれた扉をくぐり、優雅に日傘を差して歩いてくる姫の姿。
その後ろには両手をポケットにつっこんだ獣人が手持ちぶさたな様子で続いていた。
彼は途中で立ち止まり、柱は砕け壁も吹き飛び床の至る所に陥没のできた王の間の惨状を、小手をかざして眺めていった。

「ずいぶん派手に暴れたんだな。いずれにせよ、待ってたのが君達で良かった」

そう言って肩をすくめ、フォックスは声を改めてこう続ける。

「さて、ここからどうする?
勝ち鬨を上げたいところだろうが、まずは脱出するのが先決だ。
既に城があちこちで崩れはじめている。斥力装置が支えきれなくなって墜落するのも時間の問題だぞ」

その言葉に、総大将に勝利し、仲間とも無事に再会して緩みかけていた空気が一気に引き締まった。
誰からともなく口をつぐみ、耳を澄ませる。
落盤にも似た音があちこちで轟き、いくつも重なり合って階下から響いてくる。
心なしかこの部屋自体も揺らいでいるように感じられてきた。

囚われのフィギュアへと顔を向け、急いで目算で人数を数えていたピットは目をわずかに見開いた。

「20人……ここにいる人で運んでも、一度に8人が精一杯ですよ! それが往復ともなると……」

そこで言葉が途切れた。彼の目は、ひな壇の上に立つサムスを注視していた。
誰もいない壁の方を向き、ヘルメットの上から耳のある辺りを押さえている。
最後に頷くように鎧の首が動き、彼女は腕を下ろすとようやくこちらに向き直った。

「心配するな。脱出の手立てはある」

白い空を背に立つ橙色の鎧姿。
その背景に、出し抜けに巨大な影が差した。

つぶれたドーム状のシルエット。青白い炎を底面から噴き出すそれは、ファイター達の母船であった。
マザーシップは橙色の装甲を日の光にきらめかせながら、ゆっくりとその場で回転していった。
一番広い出入口である後部ハッチが開き、格納庫が現れる。見慣れているはずの景色が思わぬところで出現し、見る者の目に奇妙な違和感を感じさせた。

格納庫のキャットウォークに誰かが立っている。赤と黄の縞シャツ、金色のくせっ毛。
リュカはこちらに気がつき、ただの1人も欠けていないことを知ると顔をぱっと輝かせた。
浮遊城の地階にいたはずの彼がなぜ船の中にいるのか。事情を知る1人を除いて、ファイター達はますます呆気にとられたような顔をした。

バイザーの後ろに表情を隠したまま、腕を組んで船を見つめるサムス。
周りから問いかけるような視線を何本も向けられ、彼女はやがて種明かしをした。

「実は、先ほどの戦闘中にAIから問い合わせがあったのだ。
登録された船主以外の者に操舵を許可しても良いかと。
リュカを迎えに行った後、彼は屋上まで折り返し向かうには時間が無いと判断したらしい。
そのまま先に城を脱出しマザーシップで私達を迎えに来ることにした、というわけだ」

それを聞き、ルイージが眉を寄せて首をかしげる。

「でも、橋はもう壊されたし、門も塞がれてるはずじゃ……?」

「ルイージはあたまがかたいなぁ~。飛んでいったんだよ、もちろん」

カービィが笑いながらそう返した。

つまり、リュカはこれで通算2回は恐ろしい思いをしたことになる。一度目はサムスに、二度目はメタナイトに掴まって。
彼がハッチの入り口ではなく奥のキャットウォークにいるのも、それを思えば無理のないことかもしれない。

外から差し込む明るい光に照らされ、すっかりそれまでの禍々しさを失ってしまった王の間。
吹き込む風に髪や服の裾をかき乱されながらも、8人のファイターは自分たちの母船が慎重に後進してくる様子を見守っていた。
と、その人垣の中から歓声を上げて飛び出していく者があった。

「おぉーい、リュカーっ!」

風に金色の髪をなびかせて走るリンク。
船に向かって片手を大きく振り、ほとんど崩れかけた玉座の石段を駆け上がっていく。
格納庫側で手を振っていたリュカもこれに気がつき、はっと手を止める。次の瞬間にリンクが取った行動を目にして、彼は肝を潰した。

タラップが掛かるのも待ちきれず、彼は大きく踏み込むと空隙を一足飛びに飛び越えたのだ。

相手の心配をよそに、リンクはこともなげに宙を渡りきる。
着地するが早いか、その勢いのまま鉄板を踏みならしてキャットウォークへと向かってきた。

彼は片手を高く上げていた。しかし今度は真っ直ぐ上げているだけで、挨拶とは違うところに意図があるようだった。
戸惑いつつもリュカは相手の格好をまね、こちらも高く右手を掲げていく。
少し控えめに上げられたその手の平に、小気味よい音を立ててリンクの手がたたきつけられた。

「やったな、リュカ! おれもお前も!」

肩を叩き、リンクが掛けた第一声はそれだった。

「サムスから聞いたぞ。あいつの人形を動けなくしたのはお前だってな。やればできるじゃんか!」

改めて相手に向き直り、腕を組み喜色満面の笑みでそう言うリンク。
対し、リュカはまだ状況を飲み込めていない様子で目を瞬いていた。

「リンク……もう、全部終わったの?」

「終わったも何も、ぜーんぶ解決したさ!
ブラザーズも取り戻せたし、エインシャントもとっつかまえたし、後はみんな揃って帰るだけ!」

「エインシャントが……」

信じられないといった顔で彼の言葉を繰り返し、開け放たれたハッチの向こう側を眺めるリュカ。
説明無しでは、埃にまみれた床に転がっているロボットがかの暴君だったのだとは、すぐには気づけないだろう。
きょとんと目を瞬いている友達に向けて、リンクは再会の喜びのままに喋り続けていた。

「お前もあそこにいたらなぁ。リュカはリュカで忙しかったの分かってるけどさ、見せてやりたかったよ。
すっごい戦いだったんだぜ? あのピカピカ人形がいっぱい出てきておれ達を取り囲んでさ。で、みんなでそいつらと戦ったんだ。
エインシャントも汚い手使ってきてさぁ、おれなんかうっかり倒されちゃったもんな」

自分が一旦フィギュアに戻されてしまったことをあっさりとした調子で話すリンク。
しかし、リュカはいつの間にかそれをそれとして受けとめられるようになっていた。

「……えっ、エインシャントも戦ったの? どうやって?」

純粋な好奇心と、恐いもの見たさが混じり合った顔を向ける。
これに答えてリンクもどこか自慢げな笑みを返し、こう言った。

「あいつはちっとも戦わなかったさ。少なくとも、自分の手ではな。
最後の最後まで他の何かを操ることしか考えてなかった。
とどのつまり、そんな卑怯な奴、おれ達スマッシュブラザーズの敵じゃぁなかったってことさ!」

威勢良く言い切ったリンク。そして腰の横に手を当てて後ろを振り返る。
彼の視線が向けられた先には見る影もなく崩れ果てた王の間があった。
2人の立つキャットウォークがわずかに揺れ、ハッチの向こうの景色が固定される。どうやらようやく停船したらしい。

金属音のこだまが格納庫の天井に跳ね返り、遠く微かになっていく中、彼方を見つめる少年達の間にはいつの間にか沈黙が降りていた。

少し間を置いてリンクが再び口を開いた。

「……でも、何だか惜しいよな。
リュカ。これが最後だって分かってたなら、お前と一緒に戦いたかった」

「僕は……」

向こうを見つめたまま、リュカはこう返した。

「みんなが無事に戻ってきてくれただけでも、十分だよ」

晴れやかにそう言った彼の笑顔には、少しのわだかまりもなかった。

モノトーンの天地。
至る所から白い炎がわき起こり、空へと還っていく。
その火の一つ一つが人の暮らした街の跡であり、あるいはエインシャントの作った工場であった。
住むものがいなくなってもなお生かされていた世界にようやく、休息の時が訪れようとしていた。

弔いの炎は見渡す限りの地平から立ち上り、天と地を結ぶほどまで伸び上がっていく。
どこかで一つまた一つと疲弊した塊が崩れ落ち、真っ白な火の粉を吹き上げさせる。

マザーシップの操縦室に居合わせたファイター達はその幻想的な光景を眺め、しばし沈黙していた。
今は、厳しい戦いを潜り抜け自由を勝ち取ったことから来る開放感よりも、
自分たちは一つの世界が終わりを迎える瞬間に立ち会っているのだという感傷にも似た思いが勝っていた。

黙祷を捧げるように佇むファイター達。
彼らの見る前で、不意にモニタの一枚が別の光景へと切り替わった。

徐々に遠ざかっていく建造物。傾きながら沈んでいくそれは、彼らが少し前まで戦っていた決戦の地。
ベールのように纏っていた事象素も失い、灰色の浮遊城は恐ろしくゆっくりとした速度で落ちていた。
ひずみに耐えかねたか、見ている間にもあちこちでバルコニーや尖塔が呆気なく折れていく。

城は急速に古びていった。それまで寄せ付けずにいた途方もない年月の経過に、ここに来て追いつかれたかのように。
その落ち行く先には黒紫色の混沌、亜空間が静かに待ち受けていた。

リンクはふと眉をしかめ、目を瞬く。
何かを思い出そうとモニタをじっと見つめ、そしてそれに思い至った。

「……そうだ、そういえば」

ちょうど傍らに立っていたフォックスを見上げ、彼はこう尋ねる。

「なあ。来る途中でデュオンに会わなかったか?」

意外な質問と思ったのか、相手は驚いたように片眉を上げた。

「デュオン……?
君達を追って上っていく途中で一度会ったが、そういえばその後は見かけていないな。君は見たのか?」

「ああ。見たも何も、追いかけてきたからおれとマリオとで懲らしめてやったんだよ。
でっかいキカイの下敷きにして、身動きできないようにしたんだ」

「そうか……彼らはあの時、あと2人残ってるファイターを始末しに行くとか言っていたな。
……あぁなるほど。すると、通ってくる途中にあったスクラップの山は君達の仕業だったのか」

「へへっ! ま、そういうことさ」

リンクはちょっと得意げに腕を組み、笑ってみせた。それから続けて、

「ということは、山は残ってたけどデュオンはもういなかったんだな?」

「ああ。自力で抜け出したか、あるいは他の兵士が助け出したか。だが、問題はその後どうしたかだな。
俺達の把握していないエリアに隠れていた可能性もあるが、あれだけ先細りになった場所じゃ他にあの図体を隠すスペースがあるとは思えない。
忽然と消えたのでもなければ……」

「逃げたのかもしれないな」

言いよどんだ先をリンクに取られて、フォックスは意外そうに目を瞬いて少年の方を向いた。
何しろ、デュオンはエインシャント軍随一の知能を持つ忠臣だ。そんな彼らが主君の危機を前にして背を向けて逃げるなど、万が一にも起きそうにない。
しかしそれを言い切ったリンクの目には、一切の迷いもためらいもなかった。

彼は強い眼差しを正面のモニタへと向け、そこに映るものを――沈みゆく城を真っ直ぐに見つめていた。

「おれはあいつらに教えてやったんだよ。エインシャントが自分の手下にやったことを。
あいつらと同じくモノを考えて言葉を話す手下を、ただの道具として使ったんだって」

あの時、それを聞かされたデュオンはむきになって否定することも、笑い飛ばすことも、耳を閉ざすこともしなかった。
彼らなりに、すでにうすうす勘づくものがあったのだろう。
瓦礫に埋もれ、抵抗する気配もなく瞑目する巨大な戦車。リンクは最後に見た彼らの姿を思い返し、我知らず目を細めていた。

と、そこでリンクの心に引っ掛かるものがあった。

「……でも、そうするとヘンだな。
人形はでくの坊になっちゃったのに、あいつらは平気だったってことになる」

いくらファイターに対する敵意を失っても、逃げることまではしないはずだ。
しかし、少しは人工知能というものに造詣のあるフォックスはちょっと考えた後こんな答えを返した。

「彼らはおそらく特別仕様だったんだろう。人形兵とは違って、自前で"頭"を積んでたんだ。
何しろあのでかさだからな。彼らは彼らなりの判断で城を後にしたのさ」

そう言ってから、フォックスは再びフロントモニタへと顔を向ける。

「しかし……そうすると、さすがのデュオンも愛想を尽かしたってことか」

城壁を撃ち壊し天井に風穴を開けてまで城を這い上り、馳せ参じようとしたデュオン。
彼らがそこまでせざるを得なかったのは、ひとえに主君からの信頼が失われてしまっていたから。
それでも健気なまでに主君を信じ、何とかして振り向かせようと独断で突き進んできた彼らだったが、
最後の最後で突きつけられた非情な現実に、頑なに守ってきた忠誠心も打ち砕かれてしまったのだろう。

自分以外の者を決して信じようとせず、全てを利用する対象として見ていたエインシャント。
だがその結果、彼は全ての部下から背を向けられることとなった。今の彼にはもう、守ってくれる者も代わりに戦ってくれる者もいない。

フォックスは振り返る。彼の見つめる先にあるのは、操縦室の扉。
いくつかの扉と廊下を越えた向こうにある小さな一室。エインシャントはそこに運び込まれていた。

データベースルーム。船の中心部にほど近い位置にあり、マザーシップに搭載されたAIへのアクセスポイントもここに置かれている。
ファイター達が普段会議や食事に使っているミーティングルームとも隣り合っているが
こちらはずっと狭い作りになっており、数人が入ればすぐ一杯になってしまうような部屋だった。
今はその部屋に、3人のファイターが集まっている。

彼らが輪を作る中心に、エインシャントは安置されていた。
その目に依然として光はなく、中途半端に腕を垂らし頭を傾げさせたその様子は力尽きたロボット達と何ら変わりがない。
人で言うならば彼は気を失った状態にあった。ただ接地部分が広いので、何の支えをしなくとも立った状態でいられるのだった。

彼が意識を失っている理由は、彼を閉じ込めている光の円柱にあった。
黄緑色の光。それは元々はパワードスーツの情報を船と同期させるためのものであったが
今は波長帯と出力を変更され、あらゆる電子機器を無力化するバリアとして働いていた。

エインシャントをここに封じた本人であるサムスは、動かなくなった彼を前に腕を組み佇んでいた。
運び込み、全てが落ち着いてから数十分は経っていた。何を待っているわけでもなく、次の行動を取りあぐねていたのだ。

AIの計算領域にサンドボックスを構築してそこからエインシャントの記憶を読み取ることも考えたが、
全く異なる世界の科学、それも最高峰の技術を掛けて作られた電子頭脳を船のAIと繋げることには少なからぬリスクがある。
防護を突破されてAIをハッキングされ、このバリアもあっさりと解かれて復活を許してしまうかもしれない。
そうなれば自分たちのこれまでの、まさに血のにじむような苦労も水の泡だ。

一方、マリオは動かぬ橙色の鎧と抜け殻のような白色の機械とを交互に見ていたが、ついに待ちきれなくなってこう尋ねた。

「なぁ、サムス。出してやるわけにはいかないのか?」

この言葉にサムスは顔を上げた。
耳を疑っている様子で、返事をするのも忘れたように相手の顔を凝視している。
エインシャントを挟んで向こう側にいるピーチも彼の意見に目を丸くしていたが、やがて一つ頷くと自分からもサムスにこう言った。

「私達には知る必要があるわ。
なぜ彼がスマッシュブラザーズを捕まえようとしていたのか。そして、どうしてマスターさんを目の敵にしていたのかを。
理由、それが分からないままでは本当の解決にはならないわ。私達にとっても、そして彼にとっても。私はそう思うの」

「それは……」

理想論だ、と言いかけてサムスは止める。すんでの所で自分が苛立っていることに気がついたのだ。
ここで感情の矛先を人に向けても、そしてそんなことを言っても何にもならない。目をつぶり、彼女は視界に映る全てから少しの間距離を取った。

数を数え、それからゆっくりと目を開く。視野の真ん中には、首をかしげさせたロボットの姿があった。

「分かった」

一歩、前へと進み出る。
それまで見落としていた方法に気づいたのだ。AIに直接繋げなくとも、エインシャントの記憶を読み取る手段はある。
アームキャノンを纏った右腕を掲げ、彼女は言った。

「AI、バリアの出力を下げろ。
ただし、船内設備及び乗組員に危害を及ぼす行動を認めた場合、如何なる手段を用いてでも速やかにこれを停止させるように」

"了解しました"

中性的な声が響き、エインシャントを閉じ込めていた半透明の円筒が薄れていく。
マリオ達2人が固唾をのんで見守る中、サムスはそのままエインシャントの前まで来ると跪き、
器具状に変形させた武器の先端を白い台座の表面に当てた。

派手な光も、音もなかった。
ただ沈黙の内に数秒間が、そして数分間が過ぎていった。
エインシャントは暴れ出すどころか目を覚ます気配さえなく、薄れたバリアの中で呆けたように首をかしげさせたままだった。

やがて、ゆっくりと鎧姿が立ち上がる。
それは緊張が解けたというよりも、どちらかと言えば心ここにあらずといった所作だった。

彼女を心配し、マリオは声を掛けた。

「大丈夫か?」

言い出したのは自分であったが、彼女の身にもしものことがあったらという不安が頭をよぎったのだ。
エインシャントはファイター達を操る知識を持っており、その方法については未知の部分が多い。
しかし、それは杞憂に終わったようだ。答えは思ったより早く返ってきた。

「……ああ」

ヘルメットがこちらを向き、影になった部分のバイザーが透ける。
その向こうに辛うじて見えた彼女の顔にはしっかりと感情があった。
いつものようにポーカーフェイス気味ではあったが、いくらか落胆したような表情が。

「彼の記憶回路には何も残されていなかった。少なくとも、人間に反旗を翻して以降のものは」

室内に、少しの間沈黙が降りた。

「それってつまり――」
「じゃあ」

かち合ったところで2人は同時に口をつぐんだが、すぐにマリオが手振りでピーチに発言を譲った。
レディーファースト、というように。
姫は行儀良く、そして笑顔で目礼を返し、改めてサムスへと向き直る。

「つまり、彼は何も覚えていないということなの?」

「そういうことになる。ロボットの立場で言うならば、"初期化された"という言葉が相応しいだろう」

そう言って、彼女は再びエインシャントへと視線を戻す。
抜け殻となってしまった鋼鉄の神。爛々と輝いていた眼光も失われ、暗い瞳はもはや何物をも捉えていない。

「黄金のディスク……あれにはエインシャントをリセットするプログラムが含まれていたのかもしれない。
手に負えないほど狂ってしまった機械を止めるには、その頭脳を一度まっさらにするしか方法がない。
あの映像に映っていた博士もそう考えたのだろうな」

そこまでを言ったところで何かが引っ掛かり、サムスはふと目を細めた。
彼を狂わせたものがどこにあるか分からない以上、その回路は隅々に至るまで初期状態に戻されるはずだ。

「……しかし、それならば何故、全ての記憶が消されなかったのか?」

疑問が口をついて出た次の瞬間、彼女は口を引き結び後ずさった。

すでに腰を低くしアームキャノンを構えた先には、瞳に光を取り戻したエインシャントの姿があった。
その頭部は水平に戻り、ギアの回転する音と共に腕が元の位置まで持ち上がっていく。

「2人とも下がれ!」

鋭い声が飛ぶ。その右腕には早くも光が灯り、着実にエネルギーがチャージされていく。

「サムス!」

頬に両手を添え、驚いたような声を上げるピーチ。
その向かいで、マリオはどちらに飛び込んでいくか決めかねているような格好で足踏みをしつつ、こう叫んだ。

「待て、まだ撃つんじゃない!」

騒ぎの中、エインシャントの目が心持ち上を向き、青い光を灯す。
3人が次の行動を取れずにいるうちにその光は真っ直ぐに伸び、扇状に、そして円錐状に広がっていった。

ファイター達は自分たちがしようとしていたことも忘れ、一様に呆気にとられた顔をしてそれを見上げる。
光は何者もいない宙に向けられており、明らかに攻撃を意図したものではなかった。
果たして、青い円錐の中に濃淡が生まれ、それはすぐに人の形をとった。

丸顔の老科学者。後退した白髪に、いかにも善良そうな八の字の眉毛。
それは、金色のディスクに記録されていたあの博士の姿だった。

彼は映像の中で、たっぷりと髭をたくわえた口元を嬉しそうにほころばせた。

その後に続いて流れてきた録音音声は、マリオ達には分からない言語で語られていた。
ただ1人、"現地語"を収集して構築した辞書を文字から音に至るまでスーツのモジュールに読み込ませていたサムスを除いて。

博士の映像から目をそらさず、マリオは声を抑えて言った。

「すまん。何言ってるか翻訳してくれないか」

対し、サムスはしばらく黙っていた。
数分から数十分とも思える間、狭い室内には異国の言葉だけが満ちていた。

やがてヘルメットを被った頭が力無く左右に振られ、彼女はこう答える。

「……一体どこから説明したら良いのか。
ともかく、切り出しはこう始まっている。『このロボットは狂ったのではなく、騙されたのだ』と」

この映像が再生されているということは、エインシャントを取り戻すことができたのですな。
ここまで至るには大変な苦労を伴ったことでしょう。研究所の全職員に代わって、私から感謝します。本当に、ありがとう。

これを見ているあなたがどの都市から来たのか、どうやってこのディスクを見つけたのか、今の私に知る方法はありません。
しかし私の顔を見て、あるいはこの名札の役職を見て、それでもなおディスクを届けてくれたことについては深く感謝しなければならないでしょう。

私の名前はヘクター。
皆さんが"ご先祖様エインシャント"と呼び、親しんできたHVC-012を開発した科学者です。
彼から続く自律型人工知能ロボットシリーズの生みの親であり、そして同時に、この災いを招いた加担者でもあります。
ですが、その災いは公に流布されているような、彼自身が自分の意思で引き起こしたものではなかったのです……。

あなたのいた都市でも、こういったニュースが流れていたことでしょう。
エインシャントが突如として我々人間に反旗を翻し、奇怪な軍隊を率いて次々に街を占領していると。
……私が今こうして話している時点でも、既に5つの大規模学術都市が無人となり、数万人規模の避難民がシェルターを求めて移動しています。
都市連合の臨時首脳部はこの世界を破棄して他の世界に逃れる決定を下し、シェルターは第三次までが旅立っていきました。
虚無の海を渡って遠く、まだ見ぬ新天地へと。

このメッセージが開かれる頃には、世界は一体どうなっていることか。
願わくばあなたが、新たな世界で反撃ののろしを上げ、再びここに戻ってきた解放軍の一員であればと思います。
しかし! ……しかし、そうであるならばなお、私は警告しなくてはならない。あなたに、そして皆さんに事件の真実をお伝えしなくてはならない。

初めに言った通り、彼は――エインシャントは騙されたのです。
狂ったのでも、人間を敵として定めたわけでもない。これまでの彼の行動は全て……全て彼ならざる存在の「操作」によって行われてきたのです。
それが何であるか。説明するには、ジャイロシティの上空に浮かぶ研究所で、設立日以来最初の事故が起こったあの日まで時を遡る必要があります。

――
―――

白銀に輝くハイウェイを、無数の車が音もなく滑るように走っていた。
車達はまるでそれ自身が意志を持っているかのようになめらかに車線を譲り合い、渋滞が起こらないよう振る舞っていた。
ほとんどの車が矢のような速度で走り去っていく中にあって、博士の乗るえんじ色の車はドライブそのものを楽しんでいるようだった。

前列の運転席には誰も座っておらず、ほとんど形式だけのハンドルの向こうでは各種のメーターがそれぞれの数値を刻んでいた。
後ろのシートに背を預けていたヘクター博士はふと顔を上げ、行く手に見えてきた光景を見つめた。

「ごらん。あれがジャイロシティだよ」

その声に、隣のロボットもフロントガラスの向こう側へとレンズを向けた。
彼は何も言わず、ただ彼が驚いた時によくやる仕草でレンズの絞りを動かした。

日の光にガラスを燦然と輝かせる、幾つもの尖塔。色も意匠も様々なビルディングの群れ。
そんな市街を縫うようにして編み目のような道路が走っており、その上を塵のように小さな車が行き交っていた。
高架道路は街の外にも何十本もの枝を伸ばしており、博士らを運ぶハイウェイはその一本に過ぎないのだった。

ロボットの目はそれらをつぶさに観察していき、そして最後に街の上空に浮かぶものへと向けられた。
どんな超高層ビルよりも高く、雲の群れを横腹に従えて宙に留まり続ける建造物。
支える柱も無く、つり下げるケーブルも見あたらない。ロボットは澄んだレンズでそれをじっと見つめ続けた。
その仕草は不可思議な力で空に固定された建物の謎を解こうかと言うようにも、また純粋にびっくりしているだけのようにも見えた。

知的好奇心。それこそが、この世界では最も尊いものとされていた。
都市の興りには必ず、ある目的を持つ科学者の集団があった。
彼らを主導者として人が集まり、研究者や職員そしてその家族が定住し、必要がさらなる職種の人々を引き寄せていく。
宿泊施設や食料品店、衣服を売る店、娯楽を提供する施設。人が人を呼び、やがてそのコミュニティは新たな都市へと成長を遂げる。

ジャイロシティも、そんな新興都市の一つだった。
主な研究テーマは時間と空間。もたらされた成果はあらゆる分野で応用され、大きな富を生んだ。
例えば、貴重な生体素材を鮮度を保ったまま長期間保存する方法。斥力を用いた斬新な建築様式。ワープ航法による宇宙探査の大幅な簡略化。

様々な都市からジャイロシティの先進技術を求めて人が集まり、資本が集まっていく。
各地から支払われた資金によって次々と新しい施設が建てられていき、そしてそれが更なる結果と利益を生み出す。
都市を成長させるサイクルは順調に回っていた。

HVC-012を初めとする世界で最初の自律型人工知能を設計したヘクター博士を招聘することができたのも、その成果の一つだ。
どちらかと言えばマクロな世界に視線を向けるジャイロシティの研究テーマに対し、博士がその時選んでいた分野は"心"。
人工的な脳を作った博士はそこから延長して心という、生きとし生けるものの内にありながら、実体もなく捉え所のない現象を解明しようとしていた。
彼が研究手段として選んだのは人ならざるロボット、エインシャントであった。

すでにその子孫が人々の生活に浸透し、今や無くてはならない存在となったロボットシリーズ。
その祖にあたるHVC-012は皆から「エインシャント」というニックネームを特別に与えられ、博士自身も我が子のように可愛がっていた。
エインシャントは、動物に連なる新たな人類の友としてのシンボルだった。博士と共にやってきた彼はジャイロシティの住人から熱烈な歓迎を受けたものだ。
博士に連れられて市長に会いに行き、記念公演に同席して記者達からフラッシュを焚かれ、
諸々のことが済んでようやく天空に浮かぶジャイロシティの誇り、記念研究所へ初めて足を踏み入れた時にはすでに一週間が経っていた。

彼がこれほどまでに一般から、そして専門家から注目を集めたのには理由がある。
この時、彼は最も古く、そして同時に最も新しいロボットになろうとしていたのだ。

彼には、博士の手によって子孫にはない新たな機能が備えられていた。好奇心を基本原理とする学習能力だ。
ヘクター博士はこれをもって人と共に生活し、様々な体験を経ることで人とは、そして心とは何であるかを学習していき、
彼にこれまでのような決まった反応を返す単なるプログラムではない、予測不可能な深みを持った本当の心が芽生えるだろうと予測していた。

人の作ったものが心を持つ。数世代前ならば論争の巻き起こりそうなものだが、
すでに人は社会的にも、そして精神的にもロボット無しの生活が考えられないようになっていた。
博士とその愛息を乗せて飛び立っていくプレートを見上げる市民の眼差しは、まるで本当の親子を見ているかのようだった。

研究所に到着した博士は、様々な研究室だのグループだの、何かしらの集団に属するトップクラスの科学者が挨拶をしに集まってくるのをよそに
あてがわれた自室へと向かい、これまでの遅れを取り戻そうかと言うように助手達を引き連れて設備を整え始めた。
全ての中心にはエインシャントがあり、運び込まれた機械はほとんどが彼の頭脳からフィードバックを得るためのものだった。

一方で、当の本人はそんなことなどお構いなしに、自らに備わった好奇心をさっそく活用し始めていた。
彼は仕事中の博士の後をついて歩くだけでなく、周りの研究員に端末を通して様々な質問をした。
『なぜ建物内に植物が置かれているのですか』『この窓は何のためにあるのですか』『その飲み物はどんな味がするのですか』
その大体が研究とは関係のないことであり、子供がするような他愛もない、それでいて時には途方もなく答えに困るような質問であった。

エインシャントの好奇心はじきに外へも向けられた。
博士の研究室が置かれたジャイロシティ記念研究所は、最上階に画期的な設備を備えていた。
ワームホールを安定化させ、宇宙の果てよりも遠く、全く別の世界へと繋がるショートカットを作る装置。
"旅行先"に悪影響を及ぼさないようその利用は研究目的に絞られていたが、研究チームはこれまでに数百を超える探検をし数十の文明を発見していた。
その文明を見てみたいと、エインシャントは博士に申し出たのだ。

異なる世界の異なる人々を見学することは心というものの輪郭をより鮮明にし、人とは何であるかを理解する助けになるだろう。
彼の申し出を有意義なものとしてとったヘクター博士はさっそく最上階に出向き、チームの責任者に頼み込んだ。
その次の日から、博士とエインシャントは新たな研究室の一員として働き始めたのだった。

働くと言っても、実際にはポッドに相乗りさせてもらい、護衛付きで見物して回る時間がほとんどである。
ヘクター博士は研究所に招かれた身であり、その研究チームでも、存命する科学者の中でも屈指の頭脳を持つ賓客として大切に扱われていた。
エインシャントもまた同様であったが、持ち前の好奇心から護衛の目を盗んで飛び出しハプニングに巻き込まれることも多かった。

彼のようなロボットを物珍しく思った現地住民に持ち去られ、分解されてピラミッドに祀られてしまったこともあったが、
困っている博士達を見たその世界の旅人がピラミッドから取り返してくれ、その時は何とか事なきを得た。
また、たまたまカーレースが開催されているところに居合わせた博士達がそれを見物していると、
いつの間に頼み込んだのかエインシャントが選手として参加しており、驚かされたこともあった。

エインシャントは行く先々で予想もつかない行動を見せたが、博士だけでなく他の研究員もそれをうとむことなく見守っていた。
旅を重ねるうちに彼は次第にチームの一員として溶け込んでいき、マスコットのように親しみを込めて扱われるようになっていく。
時に人を喜ばせ、時に人の手を焼かせながらも、彼の心は博士の望む通り着実に成長しているようだった。

しかし皮肉なことに、その成長がはっきりと確かめられたのは記念研究所を襲った未曾有の災害、その最中さなかのことであった。

異世界の探訪。
それは、はるか昔に国境も無くし、技術発展の末に自らが生まれた宇宙全体を知り尽くして
そこに自分たちの他には生命のいないことを知らされていたこの星の住民にとっては待ち焦がれたフロンティアの再来であった。
異文化を学ぶことは、自分たちの文明が何であるかを再発見することでもある。
開かれた扉によって人々の心には新たな風が吹き込まれ、各都市で様々な芸術や思想、服飾が流行するようになった。

だが、その風がもたらしたのは吉報ばかりではなかった。
大航海時代に乗組員が新大陸から未知の疫病を持ち帰り、それが瞬く間に広まって祖国に存続の危機をもたらしたように、
彼らの世界にも虚無の海の彼方から、知らぬ間に災厄の種が漂着していたのだ。

記念研究所の最上階。他の部屋と同じく、洗練されたシンプルさと明るい照明に満ちた円形のホール。
壁側には合計6つのワームホール生成装置が備え付けられ、乗組員を乗せた種子型のポッドがゲートの向こうとこちらを行き来していく。

今し方到着したポッドにロボットの一群が集まり、保守点検に取りかかった。
揃いの制服を着ている他は肌色も背格好も様々な乗組員がハッチから現れ、歓談しながら階段を下りてくる。
彼らはロボット達の横を通り過ぎて、今回持ち帰ったデータを解析するために部屋を後にしていった。

これまでに何度となく繰り返されてきた日常。いつもと変わらない風景。
しかし、1体のロボットがふと横を向いた。カメラアイに映った情報が異変を伝えていたのだ。

ゲートが閉じていない。六角形の門にはまだ紫色の膜が張り、無風の部屋の中で揺らめいていた。
いつもならばポッドを通した後、速やかに消失するはずのワームホールが生きていたのだ。

ロボットは首をかしげる。仲間やより高位な集積処理装置とも情報を共有している彼には、それが起きたのは今回が初めてではないことを分かっていた。
6番ゲート。目の前にあるその門は、エネルギーの供給が止まった後ワームホールが消えるまでに掛かる時間が徐々に延長していた。
彼が首をかしげたのは、その時間が今回、明らかにそれまでを超えて長いことを感知したからであった。

凝視していた彼は、ぎくりとしたように後ずさる。
見ている先で、ゲートのゆらぎの中に闇が発生したのだ。インクを落としたような暗い濁りが。

これはただの誤差では済まされない。ロボットは急ぎ、研究所の全体ネットワークに警告を飛ばそうとする。
彼は最善を尽くした。だが、わずかに間に合わなかった。

『緊急事態発生。緊急事態発生。
記念研究所、セクターGにて許容範囲を超える空間歪曲が観測されました。全職員は直ちに避難してください。
脱出用のプレートは人数分の余裕を持って用意されています。ロボットの指示に従い、慌てず、落ち着いて避難してください』

研究所の中枢、HVC-GYS。知性を持たされた機械達のいわば元締めにあたる存在だ。
普段は滅多に聞かせることのない人工音声を今や廊下の隅々まで響かせ、彼は人々に避難を呼び掛けていた。
その中で彼は幾度も繰り返していた。これは訓練ではないと。

HVC-GYSはあくまで落ち着いた声を作り、安心させようとしていた。
それでも怯えや恐れを隠しきれず浮き足立つ職員には、ロボット達がついて避難経路へと案内していく。
エインシャントも、その一団の中にいた。

『人に危害の加わる心配が無い限りにおいて、自分の好奇心を満たせ』
生みの親からそう言い渡されていたエインシャントはその言葉に忠実に従い、今は一体のロボットとして救助活動に当たっていた。

彼はしばらく、子孫に当たる周りのロボットに溶け込み、無数の中に個性を埋もれさせていた。
あるときは、研究成果の詰まったディスクカードを抱え廊下でおろおろしている職員の手を取り、仲間と共に彼の荷物を運んでいった。
またあるときは、避難指示にも気づかず自室にこもっていた老研究者を探しに行き、彼女がプレートに乗り込むまでを見送った。

「エインシャント」

与えられた名を呼ばれて、彼ははっと我に返った。
見上げた先にいたのは、現在所属している研究室のメンバー。年若い彼は足を挫いた様子の同僚に肩を貸し、セクターGからここまで歩いてきた様子だった。
エインシャントは彼に向けてメッセージを送った。

『ご無事でなによりです。どうか、後は私達にお任せください』

眼鏡型のデバイスに表示されたその文章を見て、彼は口を引き結んで首を横に振った。

「僕は大丈夫だ。それより、博士を見なかったか? 来る途中で端末を落としてしまって、僕では確かめられない。
君の権限を使って、HVC-GYSに問い合わせてくれないか。ヘクター博士が無事に避難したかどうか」

その言葉に、エインシャントは了解の返事を返すのも忘れ、数秒間静止した。

HVC-GYSは研究所内のいたるところに掛けられた固定カメラからロボット達のアイセンサに至るまで、
無数の目から送られる映像を統合して避難状況を把握し、人の動きをより良い方向へと誘導する作業に追われていたが
エインシャントの要請に応え、タスクの合間を縫って短く返答を寄こした。

『一般報告の許可は未だ為されていないが、災害の前後で行方不明になった職員がいる。
私が把握しているデータによれば総数8名。リクエストされた人員、"ヘクター博士"もその中に含まれている』

それを受信した瞬間、レンズの絞りが音を立てて絞られた。

「エインシャント、どうしたんだ……?」

同僚が眉をひそめて問いかけてきた言葉も処理に上らず、
気づけば彼は、自らに与えられた性能の限界までを引き出して廊下を疾走していた。
彼が目指す先には、空間の歪みに飲み込まれた区画、セクターGがあった。

発着所はほんの数時間のうちに、彼の個人データベースに記憶された様子から全くかけ離れた姿へと変貌していた。
膨れあがった黒紫色の闇がホールの天井をほとんど覆い尽くし、ぶよぶよと垂れ下がったそれがポッドもゲートも飲み込みつつある。
これまで自分が何度となく訪れ、人間達と一緒に数々の冒険へと旅立った、懐かしい港の面影はどこにもなくなっていた。

元の清潔な白さと共にあるべき空間の秩序が失われつつある光景を前に、エインシャントは愕然と立ち尽くしていた。

あちこちで仲間が倒れ伏していた。
すでにエネルギーを失い、身動きの取れなくなった機体を闇が覆い、溶かしていく。

発声機能を持たされていないエインシャントには、慟哭する代わりに呻くような音を出して首を横に振ることしかできなかった。

人の姿はなかった。おそらくはロボット達よりも先に闇の中に飲み込まれてしまったのだろう。
しかし、だからといって全てが手遅れになったとは限らない。人とロボットは構成要素からして異なるものだ。
わずかでも生きている可能性がある以上、自分は人間を救うために最大限の試みをしなくてはならない。

自分にできることは、残された手はあるだろうか。
変わり果てた異世界へのエントランスを見渡したエインシャントは、無傷のまま置かれた一機のポッドに気がついた。
ポッドはワームホールだけでなく、人が生身のままでは突入できないようなあらゆる環境に耐えるように作られている。
出た先がいつも呼吸可能な大気と気圧、快適な温度や重力に恵まれているとは限らないからだ。

それだけの耐性があるのならば、今ここで渦巻いている空間の歪みに飛び込ませても耐えられるはず。
エインシャントは静かに決意を固める。すでに闇は床へも浸食を始め、最後のポッドに、そしてエインシャントの足元にも迫りつつあった。
彼はその台座に備え付けられたホバーを全開にし、ポッドに向けて飛び立った。

これまで直接の操舵は許されていなかったものの、エインシャントは同僚の人間達が操作する様子を見てポッドの運転法を学習していた。
人から比べれば精緻な動作はできないアームを使い、足りない部分はポッドの電子頭脳に直接アクセスして補い、
彼はものの数秒でコントロールを確立すると、ポッドを発進させた。

わずかな衝撃があって、機内が暗くなった。闇の中に突入したのだ。
ポッドの内部には床と操縦モジュールを除いてモニタが張られており、一歩も外に出ずとも外界の状況が分かるようになっている。
エインシャントは操縦席についたまま、全天に広がった光景を見上げていた。

そこにあったのは、闇の中に浮かぶ大小の泡。
ともすれば背景に溶け込んでいきそうなほど薄暗い泡の中には、見慣れた光景が広がっていた。
博士と何度となく行き来した廊下、職員達が談笑していたホール、未だ見ぬ世界へと繋がるゲート。
それが闇に浸食された研究所の一部分だと気づくのに、そう時間は掛からなかった。
災害の前後で連絡が途絶えた区画。泡の中にあるものはそれらと一致している。

計算処理が空回りしそうになっているのを懸命に抑え、エインシャントはポッドを操り泡の一つ一つに接近していった。
そのほとんどは無人であったが、ある大きな泡に機体を寄せたところで彼は探していたものを目にする。
セクターGの職員区画。倒れ伏す8人の人影。そして――

――博士……!

一声叫び、彼はポッドの舵を大きく切った。

ポッドから降り立ったエインシャントはすぐさま近くにいた人間の元に駆け寄り、センサを切り替えて生命徴候を見た。
呼吸にも循環にも異常はない。酸素も足りている。しかし、どういうわけか気を失っている。
闇に飲まれた空間は本来の正常さを失い、有機生命にとって著しく害を及ぼす場所となるようだ。
いや、生命ばかりではない。エインシャントの保全回路からは彼自身のボディとハードウェアを取り囲む様々な異常の報告が飛び込んでいた。
今は行動に支障の出ない程度に収まっているが、損傷が決定的なものになるのは時間の問題だった。

なぜ、といつものように疑問が首をもたげたのを、エインシャントは頭部を横に振って打ち消した。今は彼らを助けなくてはならない。

たった1体で8人もの人間を、それも意識が無く脱力しきった人間を運ぶのには少なからぬ時間を要した。
機械の身であるエインシャントに疲労の概念は無いが、こんなところで充電が切れてしまっては元も子もない。
ようやく全員をポッドに運び込み、機内備え付けの補助電源と接続した彼は無意識のうちに人間を真似てほっと一息をついた。

しかし、彼を待ち構えていた困難はこれだけでは終わらなかった。
再びポッドの電子頭脳とコンタクトを取り、脱出シークエンスを呼び出そうとしたエインシャントに相手は無愛想なエラーメッセージを返した。

『ERROR! 当機ハ既ニ、ワームホール内ニアリ。目的地ヲ入力シ、推進シークエンスヲ使用セヨ』

密かに不安を抱きつつも、エインシャントはその指示に従う。
すると今度はこう返してきた。

『ERROR! 当機ハ通常空間ニアリ。既定ノ突入地点ニ戻リ、脱出シークエンスヲ使用セヨ』

エインシャントは窮屈な操縦席に台座をうずめたまま、無言でカメラアイを瞬かせた。
突きつけられた論理的矛盾を解決できず、途方に暮れてしまったのだ。
ここは宇宙の中であり、同時に外である。ポッドはそう言っていた。

彼に与えられた性能を持ってすれば、ポッドの電子頭脳を乗っ取り強制的に動かすこともできる。
しかし、エインシャントの持ち合わせたデータベースには現存する科学理論は山ほどあれど、こんな不可解な時空間のことなどどこにも載っていなかった。
何もかもが未知の状況で不用意に動こうものなら、せっかく助けた博士達を失うことにもなりかねない。

エインシャントは静かにヘッドを項垂れさせた。
闇のこちら側に入ってしまった今、向こう側にいる研究所の人々やHVC-GYSと連絡を取ることは不可能。
後ろで博士達が気絶している以上、あとはここにいる自分の力だけで解決策を見つけなくてはならないのだ。
けれども、その電子頭脳の中で音もなく飛び交う無数のプランはどれも解決の可能性に結びつくことなく消え失せていく。

どうなっても良いからとにかく発進させようという無謀な考えは、人間に作られたロボットである彼の頭によぎるはずもなかった。
だが、エインシャントはその禁忌を破ろうとしていた。
プログラムから来るものばかりではない良心の呵責に身を震わせつつ、彼はゆっくりと腕を上げる。
全ては人のため、人間のため。掛け替えのない命を救うために、彼は無謀な賭けに出ようとしていた。

必死の思いで差しのばされたアームの向こう側で、突然コントロールパネルの光が消えた。

エインシャントはカメラアイをせわしなく瞬かせ、慌てて辺りを振り仰いだ。
全天のモニタはいつの間にか電源が落ち、黒紫色に蠢く闇と泡の世界も消え失せていた。今彼の頭上を占めるものは本当の闇。
床面に備わっているはずの非常灯さえ沈黙し、船内は全くの暗闇に包まれていた。

ポッドの人工頭脳もまた、沈黙していた。
自力で制御区画にアクセスしたエインシャントは、そこに広がっていた電子的光景に我が目を疑った。
先ほどまで全体の20%ほどしか消費していなかったはずのエネルギー残量がゼロになっていたのだ。
センサの異常でもない限り、エネルギーはもうポッドのどこにも残されていない。まるで一瞬で蒸発したか、何者かに吸い取られてしまったかのように。
このままではポッドを発進させることはおろか、人が生命を維持するために必要な環境を保つことさえ難しい。

エインシャントは自らの頭部に備わったライトを点け、後ろを振り返る。
床に横たえられた同僚の、そして博士の顔が闇の中から浮かび上がる。彼らの表情は心なしか、先ほどよりも苦しげに見える。
光の加減であってほしいと思いつつも、エインシャントはやっとのことで目を背けた。

彼が状況を打開する策を見つけようと苦労する中、実はこのとき、彼の他にも目を覚ましている者がいた。
救出された時には全員意識がないと判定されていたが、いくらか正常な空間に近いポッドの中に運び込まれたことで
1人の科学者が息を吹き返していたのだ。偶然か必然か、それはヘクター博士であった。

まだ意識がもうろうとしている中、彼は自分が巻き込まれた災害も覚えておらず自分がどういう状況にあるのかさえ理解できていなかった。
ただ向けられた視線の先にいるエインシャントの後ろ姿が、何事かひどく思い悩んでいるように見えるのをぼんやりと不思議に思っていた。

その最中、それは何の前触れもなく近づいてきた。

「ほう……これは興味深い。私の領域に踏み入ってもなお、動くことのできる者がいるとは」

声ならぬ声。

それは音よりも根本的で、無遠慮な響きをもっていた。
意識の壁をえぐり、その奥深くまでを突き刺すような不快さに博士は眉をしかめる。
その声はエインシャントにも届いているようだった。彼は不安げに頭上を見上げ、声の出所を探ろうと首を動かしていた。

「なるほど。お前は生命であって、生命でない。後ろで転がっているひ弱な生き物とは別だな。
だが、お前は命じられたままにしか動かないそこらの作り物とも訳が違うようだ。……実に面白い」

声が笑う。それは、およそこの世の者に出せるとは思えない異質な冷たさを持った笑いだった。
笑い声が止まないうちに、その声の主が忽然と姿を現した。こちらの頭上に覆い被さるように広がる、青くぼんやりとした輝き。
その輪郭を見定めようと博士は努力し目を細めたが、それ以上に像がはっきりすることはなかった。

「取引をしよう」

青い影は言った。

「このまま私の領域でぐずぐずしていれば、このちっぽけな乗り物もじきに飲み込まれる。
お前が先ほど必死になって助けようとしていたその生き物も皆死ぬ。
だが、ここから出る手立てが無いわけではない。お前の目の前にいるのはこの領域の主なのだ。
返答次第では、この私が力を貸してやっても良い」

最後の力を振り絞り意識を保とうとする老科学者をよそに、声はエインシャントに向けてなおも語りかける。
執拗に、そして熱心に。

「条件は至って単純だ。私が要求するのは、お前のその作り物の体。たったそれだけだ。
お前がここで自己を手放すならば、この乗り物を元の場所に送り届ける。載せられている生き物も含めて、全てを元どおりにしてやろう」

虹色の後光を纏った人型が、手を差しのべる。
エインシャントは不思議そうにそれを見上げていたが、その背後で博士は声なき声を上げていた。
やめろ、その手を取るな、と。しかし、彼にはそれを叫ぶだけの体力も、這っていくだけの体力も残されていなかった。
ただ必死に念じ、それがエインシャントに届くように祈るしかなかった。それがどんなに非科学的であることか分かっていても。

だが博士の努力も虚しく、ついにエインシャントが振り返ることはなかった。

ジャイロシティ記念研究所はその日から無人となった。
職員が避難したことはおろか事故が起きたことさえ市上層部の命令で隠匿され、研究員にはもれなく箝口令が敷かれた。

全てはジャイロシティの築き上げた名声を守るためであった。
幸いにして、この事故による死傷者は出なかった。空間の歪みも行方不明者の救出から程なくして消失した。
だがそこから生還した8名の科学者は未だに意識が戻っていなかった。
しかも、その中にはあのヘクター博士も含まれている。
そんな事故が起こったと知れたら、そしてその原因が未だに分かっていないと知れたらこの都市の技術に対する信頼は地に墜ちてしまうだろう。

天空に浮かぶ研究所の全施設は、安全が確認されるまで停止され検査を受けることになった。
現場の復旧と事故原因の調査のため秘密裏に送り込まれたのは、やはりロボット達であった。
そこには安全面だけでなく、ロボットであればスキャンダルを漏らさないだろうという思惑もあった。
その中には、現地で人間に代わるリーダーとして任命されたエインシャントの姿もあった。

地上では何も知らない住民達がいつもと変わらぬ日常を過ごし、最先端の科学がもたらす便利な生活を享受し続ける。
研究所で事故が起こったことを知る当時の職員も同系列の研究所に散らばっていき、流れる月日に悪夢の記憶を埋もれさせていく。
空に浮かぶ研究所に疑念の目を向けるものは誰一人としていなかった。

そして誰一人として、市長でさえも疑うことはなかった。
エインシャントが送ってくるデータが全て、巧妙に偽装されたものであったとは。

エインシャントはもはや、人間達の知る彼ではなくなっていた。
研究所の全施設を監視するHVC-GYSを真っ先に掌握し、
視覚的にも情報的にも人間から隔絶された研究所の屋内で新たに得た"肉体"を、そして自らの力を試し始めていた。

彼と一緒にやってきたロボット達の姿はどこにもなく、代わりに彼の周りには奇妙な姿をした白い塊が付き添うようになっていった。
それらは手足を備え、頭のようなものを得て、最終的には色彩を与えられていった。
研究所内の設備はワームホール生成装置を除いて分解され、後には超現実的な造形物だけが残された。

記念研究所はあるときから分厚い雲の中にその姿を隠した。
その雲は昼も夜も研究所を覆い隠し、どれほど強い風が吹こうとも散らばることはなかった。
頭の上でそんな光景が一月も続けば、さすがに市民も疑いを持ち始める。
どれほど公報を発表し説明を尽くしても、事実として異変を見ている彼らの疑心を押さえることはできなくなり、
ついに市長は探索隊を作り、高々度区画に向かわせることを約束した。

空が晴れたのは、奇しくも、探索隊が記念研究所に向けて飛び立とうとしたその日のことだった。

人々が見たのは変わり果てた異形の浮遊島。
その底面が表す印、円の半ばまで切られた見慣れぬシンボルは、後に人間達の不安と恐怖をかき立てる印となった。

ジャイロシティの市民は、青かった空の色が浮遊島を中心として見る見るうちに色褪せていく様を目にした。
その白の中に黒い点がいくつも現れたかと思うと、それは鍵穴型の飛行物体となって都市に降りかかってくる。
フライングプレートは次から次へと降下し、留まるところを知らなかった。その数は明らかに研究所に元から配備されていた分を超えていた。
だが、曾祖父の時代まで遡っても戦らしい戦の無かった市民達は、その光景をぽかんと口を開けて見上げるだけで逃げようともしなかった。

プレートに乗って帰ってきたのはロボットではなかった。
ぞろぞろと列をなして降りてくるのは見たこともない姿の、生き物かどうかさえ疑わしい怪物たち。
玩具のようなどこか滑稽な姿をしたそれらはざわめく市民に対し何の前触れもなしに武器を構え、侵攻を開始した。
その時になって、ようやく人々は気づいた。これは祭日のイベントでも映画の撮影でもない、むき出しの現実なのだと。

悲鳴が上がり、パニックに陥った人々が我先に駆け出そうとし、あちこちで混乱が生じる。
それと時期を同じくして、空には巨大なホログラムが映し出されていた。
プレートに備え付けられたスピーカーを通して都市に響き渡る、人間への宣戦布告。
時代がかった深緑の衣服に身を包んだ人物はこう言った。

『人間どもよ。お前達の時代は終わった。
すみやかに降伏し、全ての資源を明け渡すのだ。抵抗する者には、我が軍の刃が振り下ろされるであろう』

これを見ていた住民の間にはただならぬ衝撃が走った。
帽子の陰から覗く正体が、空一面に渡って拡大されたことで明らかとなっていたのだ。

カメラアイを爛々と輝かせたその顔は、紛れもないロボットのものであった。

全ての人種がわかり合い、長らく平和のうちにあった世界。
当然人形兵に対抗しうる武力らしい武力もなく、最終的に市民はジャイロシティを捨てて散り散りに逃げていくしかなかった。
後には、人間たちを守って壊されていったロボットの山と、敵対者の超常的な力を受けて奇妙にねじくれた都市のなれの果てが残される。

逃げ延びた人々は口々に証言した。信じがたいことだが、エインシャントが研究所を乗っ取り、人間に反旗を翻したのだと。

老いも若きも、誰もが信じて疑わなかった。
これほどのことが出来るとすれば、エインシャントの他に誰がいるだろうか。
人でないものが人に近づく。それを禁忌だとする痕跡的な感情が侵略という衝撃を受けて息を吹き返し、あっという間に膨れあがり、人々の間に蔓延していく。

ジャイロシティの崩壊から始まった恐怖は都市の境を越え、市民の亡命と共に全世界へと伝播していった。

―――
――

私はただ1人、『違う』と言い続けておりました。
エインシャントは私達を助けるために、あの悪しき存在に自らの身を明け渡したのだと。
今我々を追い立て、街を壊しているのは彼の本意ではない。あれだけ心優しい彼が同胞を、ロボットを手に掛けるはずがない、と。

……しかし、それを信じる人はいなかった。
私が目を覚ますのが遅すぎたのかもしれません。
気づいたときにはもはやジャイロシティは放棄され、奴の……"亜空間の主"の根城となっていた。
耳を傾ける余裕がある人は少なく、その人さえも『あなたの見たものは混乱が生み出した幻覚でしょう』と言い、慰めの言葉を掛けるのみ。
思えば、我が子が極悪人であることを認められずむきになって騒ぎ続けているだけだと、そう受けとめられたのかもしれませんな……。

私は、ともかくこの世界に残り続けようとしました。エインシャントが奴の支配を逃れ、正気に戻ることを信じて。
送られてくるシェルターへのチケットは本当にそれを必要とする者に譲り、私は日夜プログラムをくみ続けました。
人々の言う『エインシャント軍』から逃れ、都市を転々としながら。
そうして出来上がったのが、あなたの見つけた金色のディスク。復旧プログラムなのです。

……助手が呼んでいる。私にはもう時間が無いようです。
シェルターに乗らなくては……あぁ、だが……

本当ならば……私自身が出向いて行き、彼にこのディスクを渡したい……。
しかし、そうするには私は年老いてしまい、また遠くに来すぎてしまいました。
私にできることは、未来に希望を託すことだけ。このディスクを、ブロックシティのセンターに託すことだけ。

ああ、エインシャントよ。

願わくは、私の祈りが届かんことを――

項垂れた博士の映像が暗がりの中に薄れていき、翻訳された文章の最後の一つが消え去っても
ミーティングルームにはしばらく沈黙が続いていた。
"ヘクター博士"と名乗る人物が明かした真相が――エインシャントが引き起こした戦争から、
ファイターを巻き込んだこの騒動までを含めた事件の始まりが、全く予想もしない形であったことに誰もが衝撃を受けていた。

「……筋は通るな」

最初に用心深く発言したのは、フォックスであった。
その場にいる全員の視線が自然とこちらに向けられたことにも気づかない様子で、彼は顎に手を当てたまま独り言のようにしてこう続けた。

「事件の前後において、エインシャントは全く別人のように言動を変えた。
人々から信頼され、愛されていたご先祖……今までに見つけた記録では誰もが、彼が反乱を起こした原因を当てられずにいた。
それだけじゃない。それまでの彼は、声を出して喋ることさえできなかったそうじゃないか。
しかし、俺達の見たエインシャントは違っていた。むしろ饒舌なほどに雄弁だった」

「だが果たして、これは真実だろうか?」

その声に、フォックスは顔を上げた。
こういった場では傍観者に徹することの多い剣士が積極的に発言するなど、珍しいことだった。
メタナイトは冷徹な中に静かな炎を込めた眼差しを円卓の中央に、それまで"博士"が占めていた空間に向けてこう言う。

「この映像自体が彼の作りだした虚構かもしれない。『彼は無害である』と我々に思い込ませるために。
私にはいささか……話が出来すぎているように思える」

「そう用心深くなることもないんじゃないかなぁ」

頭の後ろで腕を組み、マリオは顔だけは真面目な表情でそう言って背もたれに寄りかかった。

「エインシャントは、やろうと思えば俺達をまとめて片付けることもできた。
あのとき、バリアが弱められた瞬間に。それをしなかったのは、もう彼は俺達の戦ったじゃなくなってたからさ」

隣に座るルイージも、兄と同じ意見ではあった。
しかし彼には別に気がかりなことがあった。眉をひそめ、言葉を探しながら彼は控えめにこう発言する。

「でも……そうだとしたら、僕らの戦ったエインシャントはどこへ行ったんだろう?」

それに対し、円卓の向こうからピットが手をつき身を乗り出した。

「亜空間の主……彼に取引を持ちかけた青い影は、きっと今も亜空間の中にいるはずです。
僕らに直接の手出しはできなくなったけれど、こうしている間にも反撃の機会をうかがっているのかもしれない」

今すぐにでも外に飛び出していき、あの暗闇を調べに行きそうな勢いで語る彼の横で、リンクは納得がいかない様子で腕を組んでいた。

「何かムジュンしてるような気がするんだよなぁ……。
そのアクウカンってさ、飛び込んだものが全部溶かされてっちゃうような場所なんだろ?
そんな場所で平気な顔して生きていられるヤツって、本当にいるのかな」

そう言ってから、『どう思う』というようにリンクは視線を横に向けた。そこに座っていたのはリュカである。

「僕は……」

リンクだけでなく四方から視線が向けられる中、彼は顔を俯かせる。
しかし、彼はこれまでの経験で少なからぬ成長を遂げていた。一呼吸置いて、やがて彼は物怖じすることなく面を上げた。

「……僕は、信じます。これが本当にヘクター博士の残した言葉だって。
僕には、昔に書かれた手紙や録音された声からその人の気持ちを読み取ることはできない。
でも、本物だと思う。……最後に博士が祈った時、あの時の表情は偽物なんかじゃない。
僕らの戦ったエインシャントがあんな心を知ってるなんて、あんな表情を作れるなんて思えません」

この答えを聞いて一番驚いたのは隣にいたリンクだった。
頬杖をついた格好のまましばし目を丸くして相手を見つめていたが、驚きの表情はじきに笑顔に変わった。

「お前に一票!」

翻訳作業に掛ける前にディスクの内容を一通り見て理解していたサムスは、船の外にいた。
すでにマザーシップは大地に降り立ち、ジャイロシティを飲み込みつつある亜空間から距離を置いた安全な場所に停泊している。

タラップから足を降ろし、最初の一歩を踏み出す。
砂地を踏みしめるような軽い感触があって、綿雪のような光が舞い上がった。
彼女はそのまま、視線を地平へと向ける。天と地のあるかなきかの境はますます不明瞭になり、点在する森や山、都市の廃墟も陽炎の中に姿を消していた。
無言のまま目を細め、彼女は歩いていった。

彼女がミーティングルームを途中で辞したのには、もう一つの理由があった。
船のAIが通信で報せてきたのだ。エインシャントがデータベースルームを出て、船の外に降りたと。

仲間達が出した結論とは別に、サムスも彼女なりの見解を見つけていた。
あの博士の言うことをまだ完全に信用したわけではないが、他に納得のいく説明が付けられないのも事実。
先ほどハッキングできた範囲でも、彼の電子頭脳に情報を隠蔽しているような疑わしい部分はなかった。

自分の腕を信じるならば、彼と博士は潔白だ。彼女はそう考えていた。
しかし、引っ掛かるものが全く無かった訳ではない。それが動機の一つとなって、今の彼女にロボットの足跡を追わせていた。

エインシャントは立ち尽くしていた。
見知らぬ場所で目を覚まし、衝動的に飛び出してきた彼が見たもの……それは、すっかり変わり果ててしまった故郷の姿だった。

色が見あたらない。最初は自分の色覚センサがおかしくなったのかと思い、彼は慌てて辺りを見渡した。
その視線が自分の手元に向けられ、そしてそこに本来のえんじ色を見出す。どうやらおかしくなったのは自分ではなく周りのほうらしい。
いくらか混乱を残しつつも、ついで彼は一番近くにあった光景へとピントを合わせた。
白い炎を上げて燃えさかる廃墟、その向こうに透かして見える半球状の闇、そしてゆっくりと落ちて行く一塊の建造物。

彼はしばらくそのまま全身を緊張させて、理解を超える風景を見つめていた。
そして、静かに――項垂れた。

彼は本質的には、全てを忘れたわけではなかった。
あの存在が奪ったのはボディの制御だけであり、視覚や聴覚といった外界を認識する機能は残していたのだ。
逃げ惑う人々の姿。怯え、叫ぶ声。恐怖に引きつった幾つもの顔。そして、無残に散らばった同胞達の残骸。
延々と続くその光景は、彼に組み込まれた、もはや本能とも言える原則をことごとく踏みにじるようなものだった。

ロボットには、忘れることができない。
彼方に見える廃墟が昔はジャイロシティと呼ばれていたことも、街に対してあの存在がしていったことも、
人間達がついに白旗を揚げ、ここを去っていったことも全て覚えていた。

それだけではない。
あの存在が、人々が自分に付けた"エインシャント"という愛称で呼び掛けてくるのを小馬鹿にしたように笑い、
そしてそのまま、平然としてその名を騙り始めたことも。

あの存在が本当に企んでいたことを知った彼は必死になって制御を取り戻そうとした。
しかし、あれが持つ力はあまりにも強かった。
自分に出来ることは何一つとしてなく、全てが手遅れだと思い知らされたエインシャントはじきに自分の倫理判断回路を閉ざしてしまった。

――わたしは……

いっそのこと消えてしまいたい。
彼はそう願う自分がいることに気づき、驚いた。
何の解決にもならない思考が頭に浮かぶとは。いよいよ自分の電子頭脳が狂ってしまったのか。

だが、そうだとしたらこの"痛み"は何なのだろう。
ボディの何処ともしれない場所から発生している、逃れようとしても逃れられないこの感覚は。
信号をカットすることができない。彼は途方に暮れ、自分の手を見つめる。まだ自分は全ての制御を取り戻せていないのだろうか。

――いや、博士が間違うはずはない。

彼の頭脳に、自然とそんな言葉が浮かんだ。

自閉していた彼を解き放ち呪縛を切り裂いたのは、博士と歩んできたこれまでの歳月、あらゆる記憶だった。
そこには、度重なるアップグレードによって彼自身は忘れてしまったごく初期の出来事も含まれていた。

まだ言語を理解できるほど自分の頭脳が高度ではなく、会話もできなかった頃。
アイセンサに入力された光によって博士の言葉を理解していたあの日々。
あの頃は指示通りに積み木を積んだり、コマを回したりと今から思えばずいぶん単純なことをしていたものだ。
しかし積み木やコマはより細かく繊細な部品、あるいはより大きな機械のレバーやハンドルへと移り変わっていき、
電子回路にも新たな領域が継ぎ足されていった。その度に自分の意識は拡張し、より広く正しく世界を捉えられるようになっていった。

記憶のアルバムをもう一度めくり、エインシャントは過ぎ去ってしまった日々を懐かしむ。
しかし、痛みは依然としてそこにあり、風ばかりが吹き渡る荒涼とした世界が幻のように消え失せることもなかった。
名残惜しげに残り数枚を、あの事件が起こる前までの楽しかった頃を眺めていた彼は、ふとその手を止めた。

ディスクが解放した領域に、いつの間にか見慣れないデータが挟まっていたのだ。
作成者のIDはヘクター博士が使っていたものと同一だった。

――博士……

ほとんど意識しないうちに、エインシャントはそのデータを開封していた。

仮想領域の中でデータが単なる数字から組み上がって画像となり、そして動き出す。
年を経て丸まった背中に長めの白衣を羽織り、後頭部へと後退した髪の毛の代わりに口元には白い髭を蓄えたその姿。
彼は何も言わず、後ろ手に組んだままにっこりと微笑んだ。

記憶と寸分違わぬ博士の映像はこちらと真正面から向き合い、その右手に持ったものを差し出す。
赤い封のなされた、真っ白な紙。それが昔使われた通信手段の一つであることを、エインシャントはデータベースから学習していた。

『君に手紙だ』

不意に博士が声を発し、エインシャントは顔を上げた。

『これがある日、私の元に届いた。
不幸にもそれは君が奪われてしまった後だったが、私はこのデータをずっと放さずに持っていたのだ。
だが、安心したまえ。誰も封は開けていない。これは君宛に届けられた手紙だからね』

そう言って、博士は片目をつぶってみせる。その仕草は、『親しみを込めた秘密』を示すものとして登録されていた。

エインシャントは何も言うことができなかった。言いたいことは山ほどあったが、結局それが表に出ることはなかった。

仮想領域の中では人間のように言語を音声化し大音量で語ることも可能であったが、
それをすることでこの伝言に込められた博士の思いが台無しになってしまうような、そんな非論理的な予想が彼の中に沸き起こっていたのだ。
代わりに、いつも博士の前で――現実でそう振る舞っていたように、彼は黙って両手を伸ばした。

待ち受けるように伸ばされたアーム。その上に、博士の映像は封筒を載せた。
擬似的に画像で示されたデータを、仮想の上で伸ばされたエインシャントの手に。

博士の残したプログラムは、そこで終わりではなかった。
封筒を載せたのと同じ手がそのまま心持ちこちらへと近づき、そして頭の上にそっと重ねられたのだ。まるで、人間の親が我が子にするような仕草で。
エインシャントは現実のカメラアイをわずかに見開く。今度は間違えようもない、温度センサの上昇を――『温かみ』を感じた。
果たしてそれまでもがプログラムされていたことだったのだろうか。

彼が戸惑っている間に、博士は立ち去っていた。

仮想領域には封筒だけが残されていた。文字として記された差出人の名前はなく、その代わりに紙には黒いインクで印が押されていた。
直交する2本の直線で非対称に切り分けられた円。エインシャントはしばし無言のまま、そのシンボルを見つめていた。

サムスは今や、通常時にできる限界ぎりぎりの速力で走っていた。
踏み砕いた地面が光に変わっていく様子には目もくれず、彼女が見据える先には首を項垂れさせたロボットの後ろ姿があった。

彼が船を出たと聞いた時によぎった懸念が、膨れあがりつつあった。
望んでやったことではないとはいえ、自分の判断が結果的に守るべき人々に及ぼしてしまった影響を知れば、彼は一体どういう行動に出るだろうか。

自分はマシンではないから、彼の思考を完全に推測できるとは思わない。

――だが、人に限りなく近い知性と感情を持った存在なら。

0と1で記述される存在にも、あるいは造られた存在にも感情は宿りうる。
サムスはこれまでの人生でその実例を見てきたから、感応能力が無くとも分かっていた。彼に感情があることは疑う余地もない。
だからこそ、引き留めなくてはならなかった。
罪の意識に押しつぶされ、彼は自ら死を選んでもおかしくない状況にある。
だが、彼を失うわけにはいかない。最後の証人がいなくなれば、真の敵へと繋がる手がかりも永久に失われてしまう。

彼にとっては酷かもしれないが、せめてそれを聞き出すまでは生きていてもらわなくては。
声が届く距離まで駆け寄ったところで、サムスは一つ息を吸い、大声で呼び掛けた。

「エインシャント!」

彼は、まだ生きていた。

首をこちらに向け、そしてボディごと改めて向き直る。
数歩分の距離を残して立ち止まったファイターを見上げ、彼は黙って首を横に振った。

その意味を推し量ろうとした彼女は、そこで怪訝そうに目を瞬いた。
バイザーの内部に受信許可を求める表示が点いたのだ。それは、ステータス表示によれば単純な文字データであるようだった。

目配せでそれを許可した彼女の目の前に、こんな文章が表示される。

『わたしにその愛称をくれた人々はもう、ここにはいません』

それは明らかに"エインシャント"の返答であったが、サムスの眉は訝しげにひそめられたままであった。
確かにこちらには彼らの言語の辞書がある。しかし今送られてきたメッセージにはそれが使用されたというログが無かったのだ。
彼は、いつの間にかこちらの言語を理解し、そればかりか流暢にそれを扱えるようになっていた。

この現象には既視感があった。

呆気にとられて見つめる視界の先で1対のカメラアイが絞りを動かし、こちらを見上げていた。
彼の姿に被さるようにして、メッセージはこう伝えてきた。

『わたしの名前はロボット。ファミリーコンピュータ・ロボットです』

Next Track ... #50『Carillon』

最終更新:2016-11-13

目次に戻る

気まぐれ流れ星

Template by nikumaru| Icons by FOOL LOVERS| Favicon by midi♪MIDI♪coffee| HTML created by ez-HTML

TOP inserted by FC2 system